第14話 追跡者
ヤンに雇われた若者は、関所を難なく通過した。そのまま馬車を走らせ、どんどん関所から離れていく。ここから、帝都の境までは残り数キロ。
ヤンとイルナスは米樽の中に潜んでいたが、二人で安堵の顔を見合わせる。そんな中、関所がにわかに騒がしくなった。
「……ねえ、もう少し速度あげてくれない?」
「無茶言うなよ、俺の村までは結構な長いんだ。馬が疲れてくたばっちまうよ」
ヤンは嫌な予感がした。いくら周到に準備していたとしても、予測不能の事態は起きるものだ。特に今回は時間がない中の逃亡。最低限の策しか施していないので、不確定要素はいくつもある。
実際、ヤンの予感は的中していた。ヘーゼンの仕掛けた策は2つ。
天空宮殿護衛士長ビシャスを貶めて
もう一つは貧民地区にヤンたちを転送して、捜査士が通常捜査するであろう貴族地区の裏をかいたこと。
ヤンが仕掛けた罠は1つ。仮に
結果として、彼らの工作は、かなり可能性が低い1つの追跡を見逃した。
元
後ろから馬の蹄音が響く。この速度には、迷いがない。明らかに、なにか目的に向かって走っている音だ。
ヤンの脳内が高速に働く。残りの距離と蹄音からはじき出した予測距離を引くと、微妙に帝都の境までは届かない。
黒髪の少女は意を決したように顔をローブで覆う。そして、イルテスを抱えて、米樽から飛び出した。馬の乗っていた若者はギョッとした顔で振り返る。
「あんたっ! ちょ、まだだって!」
「それより、これ握って。ギュッとね」
「えっ……これ……大銀貨……どあああああああああああっ!」
壮絶な回し蹴りをきめ、ヤンが若者を落馬させた。抱えられているイルナスは、驚愕の表情で、宙を舞う若者の姿を見送った。
ヤンはすぐさまナイフで馬車の荷台を切って、馬を全力で走らせる。
「や、ヤン! いくらなんでも酷くないか!?」
「お金払いましたから、問題ないです! ちなみに相場の5倍です!」
「そ、そういう問題じゃ……」
手段を選ばぬ黒髪の少女は、ピクリとも動かない若者を一瞥もせずに、更に後方にいる捜査士たちを見据えた。
彼らはすでに馬にまたがりながら魔杖を構えている。非常に不味い状態だ。ヤンもまた、自身の魔杖である牙影を取り出す。相手の魔杖の能力はわからないが、魔法には魔法でしか応戦できない。
捜査士は2人。まず、老人の捜査士の魔杖から炎が飛び出す。
しかし、ヤンはよけずにまっすぐ突き進む。案の定、炎の塊がすぐ横を通り過ぎる。若者の捜査士はチッと舌打ちをして馬の速度を上げて猛追を見せる。
「イルナス様、ご安心ください。威嚇です。あなたが乗っているこの馬に、傷つけることなどありえません」
ヤンは童子を安心させるような言葉を吐く。
全力で引き離すため、馬の脇腹を何度も蹴るが、若者の捜査士が、魔杖を使わずに距離をどんどん詰め始める。
ヤンは耳元で『失礼』とつぶやき、イルテスの首元にナイフを突きつける。
「おおおおおおおおおっ! なんたる非道。比類なき不敬! これでは、攻撃ができないではないか!」
「落ち着いてください、ハッタリです! 殺すつもりなら、誘拐しません。まずは、馬の進路を阻みましょう」
「そうか、さすがはゲルググ! イルナス皇子殿下。この
「自己紹介しないでください!」
交互に言い合いながら進んでくる2人の様子を見て、ヤンは小さく舌打ちをした。ゲルググの方が賢い方で、バガ・ドがバカ。
こんなデコボココンビがいるのは
しかし、ゆっくり考えている暇はない。ハッタリを見破られたヤンは再び、イルナスを手前に戻す。境を越えているかどうかは、線がないのでわからない。非常に微妙だ。
ヤンは思い切って、5秒という制限時間を設け、迷いを捨てた。どんな状況でも5秒後には牙影を使う。どんな状況でも5秒までは牙影を使わない。ここからは、カンだ。理由もない。
心の中でカウントダウンを始めた時、ゲルググが追いついてヤンの馬と併走を始める。ヤンが思いきりナイフを彼の馬に投げるが、ゲルググの剣に弾かれる。
返す刀で彼女の馬の首を両断された。落馬が確定したところで、ヤンはイルナスを抱えて自ら飛んだ。
地面に落ちて転がりながら着地するが、その間にゲルググとバガ・ドの二人に囲まれた。
「ここまでだ! 観念しろ、誘拐犯! 皇帝陛下の名の下に、我が正義の鉄槌ーー」
「……」
時間だ。ヤンは、バガ・ドの口上をガン無視しながら牙影を構えた。
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