第12話 南紀猫


 3時間ほどの睡眠を終えたヤンとイルナスは、再び歩き出した。昼の森は、魔獣も少ないため危険も少ない。ここを越えれば、帝都の境だ。

 そこを越えれば、魔法が使える。そして、ヘーゼンとも交信できるようになるはずだ。そんなことを考えながら歩いていると、コウコウと鳴き声が聞こえる。


「なんの声だろう?」

南紀猫ナクビクですね……まいったな」


 ヤンは唇に指を当ててつぶやく。南紀猫ナビクナは、普通の猫よりも、ひと回り大きい種である。奇妙な鳴き声で、仲間を呼んで人を襲う。帝都の森で出現することは珍しいと聞いていたが。


「……イルナス様、これから火をおこします。木の枝を集めてきてください、私は打石で着火しますから」

「わ、わかった」


 南紀猫ナビクナはある程度、群れないと襲ってこない。奴らが恐れるのは火。魔法でつければ一発なのだが、それでは星読みに感知される危険がある。

 コウコウ、コウコウ、と言う言葉が、どんどん集まってきた。イルナスが慣れぬ手つきで木の枝を並べたが、これでは駄目だ。ヤンは打石をおいて、それを並べ直す。


「違います。こうやって、空気を入れないと火はつきません。枝と枝の間に空間を作りながら……」


 そうやって木の枝を組み立てていたとき、コウコウという音がやんだ。ヤンはすぐさま立ち上がってナイフを抜いた。


「イルナス様、打石で火を起こしてください! 私は南紀猫ナビクナを食い止めます」

「……しかし、僕はやったことがない」

「摩擦で着火させるのです!」


 南紀猫ナビクナが周囲を取り囲む。ヤンは威嚇にナイフを群れに投げつける。

 すると、コウッ! という鳴き声と共に、鮮血が周囲に飛び散った。威嚇が多少警戒を促しながらも、大きな効果はない。すぐに、数体の南紀猫ナビクナが襲いかかってきた。

 ヤンは素早くもう一本のナイフを振り払い、数匹を跳ね飛ばすが、攻撃を躱した一匹が少女の腕に鋭い牙を突き立てる。


「ヤン!」

「くっ……平気です。南紀猫ナビクナに毒はありません。それよりも、早く着火を……」


 そう叫んで、ヤンは腕ごと地面に叩きつける。南紀猫ナビクナの頭蓋骨は割れて、鮮血が少女の身体に飛び散る。

 すかさず、もう片方の手で死んだ南紀猫ナビクナを引き剥がすが、鋭い牙を突き立てられた腕には血が滴り落ちる。

 その様子を見ながら、イルナスは涙目になりながら何度も打ち石を合わせて叩く。


「ヤン! ヤン! くそっ……」

「イルナス様……落ち着いてください。焦らなくて大丈夫です。いざとなれば、魔法を使いますから。慌てず、擦りつけるように」


 痛みをこらえながら、ヤンは笑顔で振り返る。南紀猫ナビクナは臆病な魔獣だ。決して、一斉には襲いかかってこず、数体単位で順番に襲いかかってくる。

 もう少しならば、つたないナイフの技術でも持ちこたえられるとヤンは自分に言い聞かせる。


 イルナスは黒髪少女の笑顔を見て、一度フーッと息を吐く。そして、両手を集中させて打石を交互に合わせた。すると、バチッと火花が飛び散って、それが小枝に燃え移る。


「やった! ヤン、やったぞ」

「はい! では、その火を消さないで、少しずつ大きくしてください。決して、焦ってはいけません。急いでいるときほど、心を落ち着かして冷静にするのです」


 ヤンの忠告にイルナスは首を縦にふる。そして、枝から枝へと炎をつたい、炎がある程度大きくなった。ヤンがそれを確認したとき、後ろへ飛んで木の棒を持って炎をつける。

 そして、炎がついた棒を南紀猫ナビクナに向かって投げつけた。コウコウという悲鳴がワッと拡がり、やがてそれは霧散する。安心したかのようにイルナスはその場にへたり込み、ヤンは笑顔で童子の頭をなでる。


「素晴らしいです。よくやってくれました」

「ヤン……それよりも……ああ……血が」

「大したことはありませんよ」


 ヤンはそう言って、服の袖を切って傷口に巻きつける。化膿しないか若干心配ではあるので、近くに川があればよく洗うようにしようと思った。治療しながらふと隣を見ると、イルナスが落ち込んだ様子を見せていた。


「どうしたんですか?」

「僕は……なにもできない足手まといだな。ヤンが打石を使っていたら、一発だったのだろう? 僕がロクに木の置き方もしらないから、ヤンが傷ついてしまった」

「……っ」


 健気で可愛い。近年、自分をここまで心配してくれた経験が著しく乏しいヤンは猛烈にキュンキュンした。

 ここ最近は、『傷つくなど無能な証拠』と言われて、傷口を足蹴でグリグリされて『ぐわあああああ』と叫んだ記憶しかない。

 傷ついたら、そこをグリグリするのがヘーゼン=ハイム流の教育方針だが、やはりあのスーは頭がおかしいと言うことを再認識した瞬間だった。


「イルナス様は十分にお役に立っています。火のおこし方なんて、平民しか学ぶ必要がないんですから、上手くできなくても当然ですし、打石を初めて使ってすぐに火をおこせるのは正直驚きました。偉いです」


 そう言って、ヤンはここぞとばかりに童子の頭をなでた。

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