第11話 休息
*
その時、ヤンは暗闇の帝都を馬で駆け抜けていた。やがて陽が差し込み、ちらほら農村なども見えてきた時、イルナスが眠気に襲われて落馬しそうになった。
慌ててヤンが童子の脇腹を支えて体勢を戻し、ことなきを得るが、もう体力が限界なのだろう。
ヤンは馬から降り、イルナスをおぶって歩き出す。
「ヤン、すまぬ。
「いえ。もうそろそろ馬から降りないといけないと思っていたので、ちょうどよいです」
黒髪の少女はそう答え、馬房を持つ農家を訪ねた。さすがに馬を野に放すと即バレしてしまうが、馬房の中で一頭増えたところで気にする者は少ない。
理由は聞かないという条件で、無償で渡すことにした。代わりに、貧民から農民用の服を得て、食事もわけてもらう。
「イルテス様はそろそろ平民口調の練習をしなくてはいけませんね」
蒸した大根のかじり方を教えながら、ヤンが優しく頭をなでる。『そなた』や『
「……平民は『俺』とか『お前』の方が一般的でだと教わったが?」
「平民でも童子には、割と綺麗な言葉を覚えさせる家も多いのです。行儀良く育ってほしいですからね。かと言って『私』のような気取った言葉は男の童子では使いません」
そう説明しながら、非常に頭のよい子だとヤンは感心する。皇族教育が厳しいことは知っているが、培った知識を踏まえた上で、疑問を投げかけてくる。
好奇心も旺盛だし、気質も素直だ。賢帝の素質は十分にあると黒髪の少女は密かに思う。
20分ほど休憩した後、すぐさま農村を出発した。帝都を抜けるにはこの森を通り、さらに10時間ほど歩かなくてはいけない。天空宮殿を出発してから半日ほどで、ここまで来られるとは予想していなかった。
「しかし、ここからはより慎重さを求められます。すでにイルナス様に懸賞金がかけられている可能性も考えて行動しないと。まあ、いざと言えば魔法を使いますが」
ヤンは自身の魔杖を見つめながらつぶやく。
法具は他にも札・剣・鎧・鞭など多岐に渡るが、各々固有のものである。
中でも魔杖は魔法使いが主に使用するため、市場に出回ること自体が少ない希少品である。
魔杖は使い方はわからなくてもそこそこの効果を出せるものだが、それでも修練してないことに不安を覚える。
「……ヤン。やはり、戦わねばいけないのか?」
「どうでしょうかね。しかし、さすがに、
彼ら最高捜査班を単独で相手ができるのは、ヘーゼン=ハイムや皇帝親衛隊、四伯くらいだろうとヤンは思う。
四伯は帝国で最も武功をあげた4人の敬称である。それぞれ、数国を従属させた莫大な功績と周囲を圧倒するほどの強大な魔力を併せ持つ怪物たちだ。
そして、彼ら四伯を分け合っているのが、皇位継承権第一位のエヴィルダースと第二位のベルクートルだ。
ヘーゼンが表だってイルナスの支援をするのは、まだ当分先のことになることを考えると、単独でヤンが味方を囲っていく必要がある。
1時間ほど山道を歩くと、さすがにイルナスの息が上がってきた。昨日の祈念式から不眠不休なのだろう。そろそろ体力の限界だとわかったヤンは、大きな木の幹にもたれかかって座りこみ、イルナスを優しく抱きかかえる。
「イルナス様、少し休んでください。昼間の森は危険が少ないので、数時間ほど睡眠をとりましょう」
「い、いや、わ……僕はまだ大丈夫だ」
イルナスから、足手まといになるわけにはいかないという強い思いが伝わってきた。この童子は5歳の割に身体が小さい。
肉体的にも精神的にも疲労が限界を超えているというのに、その気丈さは驚愕に値するものだとヤンは思う。
「それでは、休憩ではなく準備とお考えくださいませ。申し訳ありませんが、もうこの森では休めません。より早く帝都を抜けるために、より過酷な道を行かねばなりません。そのために、今は少しでも睡眠をとってください」
そう諭すと、やっとイルナスの肩から力が抜ける。堅かった筋肉が柔らかく崩れ落ち、寝息がスーッ、スーッと音を立て始めた。
そんな童子を微笑ましく思いながら、うつ伏せの体勢から仰向けにする。多少体勢は悪いが、子どもは関節が柔らかいので、腰を痛める心配は少ないだろう。
ヤンはなるべく力をかけぬようにイルナスを優しく抱きしめた。昼間とはいえ、森の中は少し冷える。少しでも温もりを感じ、安心して眠って欲しかった。
決して、自分が抱きしめたいだけじゃない。決して、自分がイルナスのツルツルの頬をスリスリしたいだけじゃない。誰もいない森の中で、ヤンは自分自身に弁明をした。
スヴァン領のゼ・マン候の城までは、まだ4分の1にも到達できていない。無事につくことができたとしても、彼が力になってくれる保証もない。
考えれば考えるほどイルナスの周囲は敵だらけだ。こんな小さな子どもに。こんな聡明な皇位継承者候補に、本当の味方が母だけだなんて。ヤンはその現状を省み、感情がこぼれる。
「イルナス皇子殿下……絶対に私がお守りしますから」
ヤンは童子の頭をなでながらつぶやいた。
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