第9話 馬倶


          *


「ビシャス護衛長……今、なんとおっしゃいましたか?」

「……そなたを宮殿外のイルナス皇子捜索責任者に任命する」


 その言葉に、パガ・ドはポロポロと感激の涙を流した。この老人は、馬倶マングと呼ばれる捜査班の長である。皇族が関わるような事件は、犬狢ケバク蛇封ダオフォン古虎ジェガンの最高捜査班が担うことがほとんどである。


 馬倶マングは上級捜査班の中でも、成績が低い者たちが集められた集団だ。あるのは、貴族としての格だけ。しかし、そんな評判など気にする様子もなく、日々地道な捜査に励む老体がバガ・ドという男だった。


「ははっ! ご期待に添えられるよう必ずや、犯人を捕まえてみせます」

「……期待している」


 そう答えたビシャスは、むしろ、逆方向の期待をしていた。現状、皇太子であるエヴィルダースが関わっている線が濃厚である。

 下手に最高捜査班などを動かし、証拠を掴まれると非常に不味いことになる。

 犬狢ケバク蛇封ダオフォン古虎ジェガンの捜査班は危険だ。一度野に放てば、それこそ皇族であろうと容赦なく捜査を敢行するだろう。


 その点、長年の付き合いであるこの老人は安心だ。超馬鹿。班員も、のろま揃い。その癖、妙な正義感だけは発揮するのだから、なおさら愚かだ。

 そして、『正義感』という言葉が浮かんだと同時に、先ほどヘーゼン=ハイムの椅子となりながら、何度も何度も頭を擦りつけた記憶がビシャスの脳裏によぎった。


 ……正義など、生き残る上では不要なものだ。


 そう己に言い聞かせた宮殿護衛長は、すぐさまバガ・ドに退出を命じた。

 とにかく……疲れた。ビシャスが倒れ込むように自分のソファに座りこんだ時、部屋の外から『ノルマンド帝国上級捜査長バガ・ド! この任拝命いたしました! 皇帝陛下の名の下に、必ずや国賊を捕らえて見せましょう』という大声が響く。


 ああ、こいつ本物のバカだ、とビシャスは確信した。


           *


 大声で宣言した後、銀の軽鎧ガシェルを着たバガ・ドは、更に扉に向かって一礼をする。隣にいたのは、茶髪の若い男だった。痩せ型で眼光が鋭い猟犬のような雰囲気をまとう男。そんな彼がバガ・ドの様子を渋い表情で眺めながら、眉間に皺を大きく寄せる。


「ビシャス護衛長の信頼に応えねばな。ゲルググ、馬倶マングを呼べ。ひとり残らず、すべてだ」

「……はい」

「声が小さい! もっと、腹から力を出せ、腹から!」

「……はい! ……はぁ」


 側近のゲルググ=ドラノは踊らされているのにも関わらず、狂喜乱舞しているバガ・ドを見ながら大きくため息をついた。決して悪い老人ではないのはわかっている。

 しかし、何事もまっすぐで融通も効かず、機転も利かず、正義の名の下に猪突猛進していくだけの捜査長の側近は非常につらい。


 馬倶マングの捜査士は総勢5人。長であるバガ・ドを筆頭に、糖尿病のベプト、万年遅刻のファゾ、拒食症ぎみのレッセ、そしてはぐれ者のゲルググ。宮殿内の評価が非常に苦々しいメンバーで構成されている。

 それぞれ、魔杖持ちであることは確かだが、こんな構成でどうやって犯人を捕まえればよいのかとゲルググはため息をつく。


「点呼!」

「1……2……3……4」

「よし! 報告」

「バガ・ド捜査長……全員揃いました」


 5人だけの点呼って意味あるのかという疑問を封じ込めつつ、ゲルググは張り切っている捜査長へ報告する。絶対に犯人を捕まえることができないという想いは胸に秘めた。

 そして、やっと捜査が開始された。イルナス捜索の任を拝命して実に30分後だった。初動は迅速さが重要だが、遅い。

 班内会議において、まず、どこを捜査するのかという話になった。


「当然、貴族地区だろう。この天空宮殿に入れるのは、皇族、上級貴族だけ。まずは、貴族地区の商業街……いや、住宅街か……」

「……私は、貧民地区だと思いますが」


 バガ・ドに反論したゲルググに、ファゾは嫌そうな表情を浮かべる。貴族でもあり、独身貴族でもある彼は、そのまま貴族地区の商業街にある戯館ギカンにでも繰り出すつもりだったのだろう。


「そなた……バガ・ド捜査長が貴族地区だと言っているではないか! 長の意見を否定するのは、信義に反する。昔、犬狢ケバクだったからと言って、調子に乗っているんじゃないか?」

「……いえ、決してそのようなことは」


 確かに大方の捜査士は貴族地区から行くだろうなとゲルググは思った。しかしそれは派閥を意識していないからだ。現時点の情報では誘拐には他の皇族が絡む要素がない。

 そうだとすれば、上級貴族の犯行であることが覗えるが、今の情勢でイルナス皇子の誘拐などを匿うことになんの益もない。よって、貴族の邸宅で匿われる可能性は限りなく低い。


 とすれば、操ることのできるのは平民地区か貧民地区だ。どちらもメリットとリスクが混在するので、確信的なことは言えないが、自分なら貧民地区を選択する。

 犬狢ケバク蛇封ダオフォン古虎ジェガンなどの最高捜査班に追われることを前提とするなら、平民を使った痕跡はすぐにバレるからだ。


「なるほど……ゲルググ、でかした」

「バガ・ド捜査長!? こ、こんな当てずっぽうの意見を採用するのですか?」

「なにを言う! 苦言を受け入れてこそ、長としての役目。ゲルググは見事、部下の義を果たしたのだ。そのような彼の意見を尊重しないで、なにを信じることができるのだ。上級捜査班、馬倶マング。全員、貧民地区へ続け―!」

「……」


 席を立って、全力で走っていくバガ・ドの背中を見つめながら。ヤバい人ではあるが、悪い人ではないのだ、とゲルググは何度も自分に言い聞かせた。

 


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