第3話 夏祭り 前編

 土曜日の午前中にもさおりんに図書館で勉強を教えていた。ここのところさおりん漬けの毎日であった。そんな現場を多くの人に目撃されて噂話になっていた。さおりんは見た目は艶やかな黒髪の美人なので、ある程度の人気者であった。


 そこにクラスで浮いていたわたしが登場してあちらこちらでヒソヒソである。今日も図書館で勉強だが、本当は隣町まで行きたい気分であった。


 もし、クラス内の人に見られたら厄介なことであったからだ。別に付き合っていると言ってしまえば簡単なのであろうが。そこは思春期の男女である。わたしは確かにさおりんを女性として意識しているが、さおりんの本音は不明である。


「この重力加速度って何?」


 おっと、今は物理の勉強の最中であった。


「9.8の定数だ」

「は?」


 この辺は難しく言うと切がないので……。わたしは優しく教える事の難しさを改めて実感したのである。しかし、さおりんは何時も以上に落ち着きが無かった。


「どうした、さおりん?」


 さおりんは挙動不審の理由を聞かれて何かが吹っ切れた様である。


「明日は町の神社で夏祭りだよ」


 夏祭りか……ま、関係無いな。それで重力加速度だよな……。わたしが続きを教えようとすると。


「女子から夏祭りに誘われたら、男子はドキドキして一緒に付いて来てくれるのだよ」


 つまりは一緒に行きたいとな。さおりんはスクールバックをゴソゴソとし始めて財布を取り出す。


「この厚い財布が目に入らぬか」


 イヤ、普通だと思うが、さおりんは自慢して勝ち誇った様子であった。そうか……それなりにお小遣いを貰ったらしい。


 ホント純粋で可愛いところがあるなと、さおりんの無邪気な笑顔がそれを象徴していた。よし、わたしは試しに浴衣も着てくるか聞いてみた。


「ノー、プロブレム。アサガオ柄の浴衣だよ」


 少し英語の勉強も必要だなと。一瞬、思うのであった。はて?日本語に訳すとどういう意味だ?


 つまりはさおりんは浴衣を着てくるとな。一気にわたしの体温が沸騰する。夏祭りで女子とデートだと!


 きっと、死亡フラグに違いない。ただでさえ噂になっているのだ、二人で歩く姿を校内の上位カーストの生徒に見られて、生徒指導の先生の耳に入って、退学処分になるのだ。


「変装してもいい?」

「Tシャツと短パンでいいから普通の格好にしてよー」


 小声でさおりんに訊ねると不機嫌そうに言われる。確かにさおりんの言う通りだ。変装などしたら余計に怪しい。


 大体、さおりんは子供っぽいところがあるが立派な女子高生である。釣り合う格好でなければならない。


「リンゴ飴、焼きそば、スーパーボール釣り……楽しみだな」


 行く気満々である。これは断れない……。イヤ、浴衣美人と夏祭りなど、こんなチャンスなど二度と無い、断ったら一生の汚点だ。


 あードキドキする。今日の事は日記に書いておこう。はて?毎日の日記は付けてはいないから。将来の黒歴史メモになりそうである。ダメだ、今日の歴史は黒くならない。ルーズリーフに残しておこうと思う夏祭り前の土曜日であった。


          ***


 図書館でさおりんと分れて帰宅すると。最近、自分の勉強ができていない事を思い出す。仕方がない、少し勉強をしよう。


 来週の小テストは百人一首からの問題だ。要は百人一首の丸暗記が必要なのである。えーと、和歌の勉強をしていると。基本、恋の歌が多い事に気づく。それは人が人である事を思い起こさせる。


 こないだ観た、二十五年前の青春恋愛アニメもスマホなど無くても成立しているように恋に文明は必要ないのかもしれない。


 「ニャー」


 そんな哲学的な事を考えていると。黒猫のリーダーが寄ってくる。おっと、大切な家族がお腹を空かしている。恋の仮説を立てるのも良いが腹が減ってはダメだな。


 わたしは黒猫のリーダーと一緒に台所に行き。カリカリのエサを探し始める。いつもの所にエサが無いのでストックを探していると。


 あった、あった。


 戸棚の奥の方にカリカリのエサが置いてある。わたしは袋を開けて黒猫のリーダーにエサを与えていると、母親が近づいてくる。いい機会だ、明日の夏祭りの軍資金を調達しよう。


「あ、あ、明日、夏祭りだよな、少し融通をしてくれないか?」


 流石にさおりんと一緒に行くとは言いにくいので伏せておこう。


「健治?計画的なお前がどうしたんだい?」


 そうか、いつものわたしなら夏祭りに行くなら計画的にお金を貯めておくはずなのか。


「急に行くことになってね……」


 やはり、さおりんと一緒に行くとは言えないな。


「ま、せっかくの夏祭りだ、これで行っておいで」


 数千円であったが感謝してもらうことにした。


       ***


 今夜は町の神社でお祭りである。わたしはさおりんに誘われて一緒に行く事になった。そして、何を勘違いしたのかお昼前にシャワーを浴びている。Tシャツに短パンでいいと言われても……。


 やはり、今からでもいいから浴衣を買ってくるか?ダメだ。先立つものがない。


 下手に浴衣を着ていくと……あぁ、浴衣同士の……。


 シャワーを浴びながら、そんな妄想をしていると。左足が無いのに気づく。


『また、挫折するよ』


 そんな言葉が頭の中をよぎる。まるで悪魔の呟きが聞こえるようであった。わたしは舞い上がっていた気持ちが一気に冷めていく。


 さおりんを失うのか……。


 左足を失い、T大を諦めて。きっと、さおりんも去っていく。自室で髪を乾かしている時間は地獄であった。なんとか自我を保つ為に窓を開けて扇風機を回す。風が入り、導かれるように不意に携帯を見ると、さおりんからメッセージが届いていた。


『神社の隣の郵便局で待つよ』


 メッセージ時間の指定もない、さおりんらしいな。仕方ない、わたしは大急ぎで支度をして神社の隣にある郵便局に向かう。


 そこには薄いブルーとピンクのアサガオの浴衣姿のさおりんにが居た。


「えへへへ、早かったかな?」


 そう、外はまだ明るく出店も準備中であった。


「神社の本殿の裏で待とうよ」


 わたしの言葉にさおりんが付いて来る。本殿の裏は夏祭りとは思えないほどの静かさであった。


『また、失って、挫折するよ』


 蝉だけが鳴いている、静寂の中でまた聞こえる。


「どうしたの?顔が真っ青だよ」

「ははは、水当たりでもしたかな」

 

 わたしは必死にさおりんが居なくなるとの感情を誤魔化す。さおりんはそんなわたしを見て不思議そうにしていた。それは、わたしが浴衣姿のさおりんに魅かれていた。だから、なおさら、失った左足首が疼く。


 わたしは目を閉じて蝉の声を聞く。


「さおりん、少し、側に居てくれないか?」


 わたしの弱さをさおりんにぶつけてみた。しかし、さおりんは神社の土台の上に座り足をぶらぶらして暇そうにしている。


 イヤ、これで良い、さおりんが一緒にいてくれるだけで十分だ。わたしは大きく息を吐き、さおりんに話しかける言葉を探していた。


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