キャッチボール、僕らの敵、霞み夏

@mimimiminase

第1話 キャッチボール、僕らの敵、霞み夏(完結)

あいつは今日も来なかった。


「さむっ……」

居酒屋を出た瞬間、同級の理絵が言う。

今日は同窓会があったのだ。

なんとなくだが、地元に残り続けている俺は同窓会に呼ばれることが多かった。

そして、なんとなく参加し続けて、いつのまにか大学生になっていた。

田舎であり学校も少なかった中、俺はありがたく国立に受かり、平凡な大学生活を送っていた。

それだけの話。おっと、このままだとただの日記になってしまう。


白い息を吐きながら各々がまだ喋り足りない様子で駅に向かっている。


**************************************


あいつの話をしなければならない。

あの頃、俺はあいつを見捨ててしまった。

見限ってしまったとも言えるのかもしれない。

どこかに消えてしまった、あいつの腕を掴むことはもう出来ないのかもしれない。

それでも、こうやって皆で集まると思い出してしまう。

あいつの存在を。


記憶は古いフィルム映画のように雑音を孕んでいる。

中学生時代。

「今日はキャッチボールをするから、二人組を組んで下さい」

体育教師が言う。

面倒だな、とすぐ思った。いつも組んでる雄太が欠席していたのだ。

ぽつんとしていると、あいつが話しかけてきた。

「な、俺たち組まない?」

芹沢光。体操着に書かれた文字。学年一位の成績と野球部のキャプテン。

知らない奴はいないだろう。

なぜ運動神経が平凡な俺に話しかけてきたのか。分からないが、分からないままOKしていた。

「俺はいいけど……」

「ならあっち行こうぜ。この辺混んでるから」

「あ、ああ」

田舎の学校のグラウンドは広い。

のびのび動けそうな場所まで二人で走っていく。

「この辺この辺」

光が言う。俺は従う。

ちょうどいい距離を探った光は、ボールを投げてきた。

取りやすい位置に落ち俺はグローブで受け止める。

いつからボールに触っているんだろうなとふと思う。

小さな頃から父親とキャッチボールなんてしていたんだろうか。


俺も精いっぱいボールを投げ返す。

光まで届かないかと思ったが、光が走ってボールに追いつく。

「ナイスキャッチ、ごめん」

俺は笑って言う。

「謝んなくていいよ」

光も笑って言う。

その後も、光は届きやすい優しい球ばかり投げてきた。

ひとつひとつを簡単にキャッチしていく。

一方俺のボールはめちゃくちゃで、向こうに届かなかったり、横にそれたりした。

それでも光は取ろうと必死で、「取れなくてごめん」と言った。

なんだか謝りあいが面白くて笑ってしまう。

ただ、光がこの時間を楽しんでいることだけは分かった。

にこにこしながら体を動かすことが彼にとって日常なのかもしれない。

そして、俺に優しくしてくれたその時間を忘れられなくなった。


そんな一方的に俺がダメだったキャッチボールの記憶。

これが最初の記憶。

それからは早くて、俺たちはすぐ仲良くなった。

中学の購買の昼食はすぐ売り切れになる。

「今日はエビカツサンドにするわ~争奪戦だ」

そうと決まれば学食へダッシュだ。

元々仲の良かった雄太と、光と、俺で昼食を取るようになった。

よくあるパターンだと、同じ部活同士で仲良くなるものだ。

でも俺たちは違かった。

雄太は軽音学部、俺は無気力な帰宅部、光は野球部。

俺は二人を羨ましくも思ったが、部活に所属しようとは思わなかった。

勉強に加えて家の手伝いがあった。

俺の母親はシングルマザーで、家でデッサン教室を開いていた。

そこでデッサンモデルをしたり、自分もデッサンに加わったりしていたので

時間がなかなか取れなかった。

高校にあがったら美術部に入りたいという希望はあったが、実現出来るかはわからなかった。


こんなにバラバラな3人を結び付けたものは、映画だった。

雄太はオタク趣味も入っておりアニメ映画も見たが、音楽に力の入っている映画全般に興味を持っていたようだった。

俺は元々母親の影響で映画は日常的に見ていた。監督や俳優で観る映画を決めていた。

光はレビューサイトを見るのが好きなようで、感想や評判を読んでいた。

休日には3人でレンタルビデオ店に行き、映画を物色して歩いた。

映画館に通う金はなかったから、誰かの家に集まって映画を見るのが定番になっていた。

部活の合間ではあったので、忙しい週末であった。

「主人公が仮想現実から帰ってきたのは賛否両論ありそうだな」

「俺は帰ってこない方が好き。あっちの世界に大切な仲間がいるならそれを取る方が綺麗なラストだと思う」

「暗い現実世界に戻ってきても、仮想現実の世界であったことが彼を照らしてくれる」

映画の感想を好き勝手言いまくって、光はそれをレビューサイトにアップする。

そんな時間が本当に楽しかった。


光の使用しているレビューサイトには掲示板機能やメッセージ機能がついていて、他のレビュアーと交流することが出来た。

最初はあいさつ程度の軽い文章しか書かれなかったしちょっとしたものしか返さなかったが、

レビューが溜まっていくにつれて交流は濃くなった。

ある日、こんなメッセージが来た。

「はじめまして。私は自主製作映画を作っている坂本演劇と申します。

私は主にシナリオ、カメラ、編集を行っています。

こちらのチャンネルで過去作品をご覧になれます。

www.xxxxxxxxxxxxxxx.com

本題ですが、新作のSF映画に出演していただける学生の役者さんを探していまして。

学生数人が未来へ行き未知の敵と、超能力を使って戦うシナリオです。

もちろん保護者さんの許可を得た上でですが、参加していただくことは可能でしょうか?

突然のメッセージで不信に思われるかもしれませんが、現在5人サークルメンバーがいまして、

映画祭への出品も考えております。

こう田舎だとなかなか役者さんが揃わなくて困っていまして……夏休みの間でお願いしたいと思っています」

「ちょっと胡散臭いけど、面白そうじゃん」

光は乗り気だった。

「バンドのオリジナル曲とかエンディングに使ってもらえるかな」

雄太もすぐに乗った。

「知らない人だから、ちょっと怖くない?そもそもシナリオは全部できてるのかな」

俺だけがちょっと反対というか、不安があった。

「一度打ち合わせを兼ねて会ってみてもいいんじゃないか」

光が言う。

「うーん……」

俺が迷う。

「怪しかったらすぐ帰るぞ」

雄太がまとめにかかる。


数日後、ファミレスに三人は集っていた。もちろん自主映画サークルの坂本演劇の人間と会うためだ。

「ちょっと緊張するね」

俺が言う。

「まあ初対面の社会人と会う機会もなかなかないしね」

雄太が言う。

雑談をしながら待ち合わせ時間まで待つ。今日は暇だった三人なので、早く集まったのだった。

間もなく、例の待ち合わせ相手が来た。

てっきり男性かと思っていたが、来たのは女性二人だった。

「急に変なメッセージ送ってごめんなさいね。

こちらも当てがなかったものだから、現在地を東北にしてる君にアポを取ってみたのよ。

私、坂本演劇の代表の坂本宇雪といいます。こっちは脚本の佐々木桜」

彼女は丁寧に挨拶する。

「こちらこそ、声かけていただいてありがとうございます。

映画を自分たちで作るまでは考えてなかったんで、いい機会になるかと思ってます」

光が言う。

「でも、映画作るのってお金も時間もかかるんじゃないですか?

過去作もクオリティが高いものに思えましたし、そのあたりどうしてるんですか?」

まだ心配が消えない俺が聞く。

「今は動画編集ソフトや3DCGソフトも無料のものがあったりするしね。

どうしても使いたければサブスクを使ったり。

ロケもそんなに場所を選ばなければお金は大丈夫かな。

まあビデオカメラだけは高かったけど、主戦力だからね」

「そうなんですか……」

映画製作素人の3人は鵜呑みにして聞くことしか出来なかった。

それから、撮影予定の脚本や設定、ロケ地などの話の説明を受けた。

「青春×SF」がテーマで、仲間と力を分け合って超能力を発動させるといった設定。

地元から電車で5本ほどの場所をメインにした撮影とのことだった。

廃校があるから、そこを無料で使わせてもらえるということだった。

「もし引き受けてくれるなら、一週間後までにこちらに連絡をください」

坂本代表はそう言って、携帯電話の番号を書いてよこした。

「分かりました、今日はありがとうございました」

俺はメモを受け取った。


それからはとんとん拍子で、自主映画の話は進んだ。

俺たち3人とも参加に賛成し、返答をした。

俺たちがやるのは役者だから、台詞の暗記と演技がメインだった。

ただ、代表はモーショングラフィックスといった映像の加工なんかに悩んでいるようだった。

力になれないのは残念だったが、見守るしかなかったので、その分演技に打ち込んだ。

「俺たちは呪われている。呪いの代償がこの能力だ」

「正義のために力を使いすぎると皆から忘れられちゃうんだって」

「だから、悪徳のためにも力を使わなきゃいけない。そうじゃないと、バランスが崩れてしまう」

「さあ、次は良いことをすればいい?悪いことをすればいい?」

「この3人の力を持ち寄って、敵に歯向かうには、悪いことをし続けなければならない」

「どうしてこうなったんだろう」

「俺、思うんだけどさ、忘れられちゃってもいいと思うんだ」

台本の読み合わせ中、光が涙を流しながら台詞を言った。

確かに泣けるシナリオではあったが、俺は驚いた。

「泣くとは思わなかった」

「自分でも思ってなかった」

光はいつものように笑ってみせた。泣き笑いだ。

今でもそれは、美しい記憶というかシーンというか、そんな風に俺の中に残っている。

いい夏になる。

長期休暇なんて家の手伝いしかしてこなかった俺は、そんな風に思っていた。

最悪の展開が待っていることも知らずに。


**************************************


その日は快晴だった。

「撮影日和ですね!今日はよろしくお願いします」

代表が言う。

「こちらこそよろしくお願いします。台詞も演技も俺たちなりに形にしてきました」

俺が言う。

「部活なんか忙しくなかったの?」

「うち、長期休暇は部活緩いんで。そもそも、俺は帰宅部なんですよね」

俺が笑う。

「野球部が全部ブラック部活だと思わないでくださいよ」

光が言う。

「ブラック部活!今中学生でもそんな言葉言うの」

代表が笑う。

「軽音は年がら年中自由なんで……って、こんな話してるより撮影入らなきゃですよね。

いくつNG出すか分からないし。時間は限られてるんで、自分ちょっと不安で」

雄太が話を進める。意外と真面目な奴なのだ。

「そうだね、じゃあ進めていこうか。紹介が遅れたけど、撮影はこちらの美弥が担当します」

「皆、すっかり仲良しなんだなって見てました。美弥です。よろしくお願いします」

汚れてもいいようにか、ジャージ姿であった。

一方、3人は中学生の役なのでいつもと変わり映えのない制服であった。

一応、学校の許可は取ってある。

まあ、凝った衣装、例えばキラキラしたアイドル衣装なんか着たいメンバーはおそらくいないだろうが。

事前に聞いていたことではあるが、脚本の流れ通りに撮影をすることはまずないとの話だ。

同じ背景やセットのシーンをまとめて撮って、後で編集するそうだ。

俺たちは、教室のシーンを最初に取り始めた。

雑談したり、作戦を練ったりするシーンがメインだ。

真面目に練習してきた俺たちは、意外にもスムーズに撮影を進めることができた。

教室のシーンの後は、廊下、トイレ、グラウンドのシーンに進んだ。

グラウンドでバトルシーンを撮影している時、ぽつりぽつりと雨が降ってきた。

「カメラ止めて!皆校舎に戻るよ」

代表が言う。それから、雨は激しい夕立になった。

「これは困ったな……まだ見せ場のバトルシーンが残ってるのに」

「そうですね……」

皆、黙って待っているしかなかった。ロケの許可は本日しか下りていないのだ。

「でも、夏の夕立って雰囲気いいですよね」

美弥が言った。それを聞いて、代表はパンと手を鳴らす。

「そうだ!雨のシーンにしてしまえばいいんじゃないか!

カメラは雨用のカバーがあるから、ただ皆が風邪をひかなきゃいいんだけど」

「そのくらいなら、大丈夫だよな」

光が言う。俺たちも頷く。

「じゃあ、やっちゃおうか!一番の見せ場がエモくなるぞ!」

代表が力む。

俺たちもグラウンドに走り出す。

汗をかいていた体を、冷たい雨粒が包みだす。

俺たちは、見えない敵に向かって、雷を落としたり、ビームを打ったりして攻撃する。

このグラウンドは街の中という形に合成されるんだそうだ。

俺たちはゴ〇ラに立ち向かうヒーローにでもなった気持ちでいた。

とにかく気持ちがよくて、生きてるって感じがした。

このまま時が止まればいいのにと思った。

そんな俺たちを祝福するように、雨が止んだ空には虹がかかり始めた。

「まじか……本当に、撮影日和だったんだな」

代表が言う。

「さて、この虹をどう使うかだな」

代表はうーんと考える。

「平和が戻った世界を上から見下ろすようなカットは撮れないかな」

「撮れないことはないですけど……場所が屋上くらいしかないんじゃないかな」

美弥が言う。

「鍵はある?」

「ありますよ」

「ちょっと行ってみようか」

皆で代表についていく。皆なんだか高揚感の中にいた。

全てがうまくいきそうな、やりきった感じがあった。

代表が屋上の鍵を開ける。

「滑りやすくなってると思うから、気をつけてね」

3人が屋上に入り、虹を見上げ、平和が戻った世界を見渡す。

それを美弥がぐるぐると回りながら撮影する。

その時だった。足を滑らした美弥がフェンスの方へ倒れた。

最悪だったのは、ネジがゆるんでいるフェンスだったこと。

美弥の体は空中の方に投げ出される。

さらに最悪だったのは、光が美弥の腕を掴んだこと。

光はそのまま滑っていく形で、二人は空中に投げ出された。

それからは、一瞬だ。

二人は真っ逆さまに地面に落ちていった。

代表は即座に救急車を呼んだ。

俺は初めて救急車に乗ることになった。

「痛い……」

光の声が苦しかった。



病院というのはどうしてこうも時間が経つのが遅いのだろう。

光と美弥はどこを打ったのだろう?頭?体?後遺症は?

今回の責任者は私だ、と代表は二人に頭を下げた。

「ただ、今回の撮影した映画は完成させたい。何らかの犠牲があったならなおさらだ。

表現したことが事故で消えてしまうなんて嫌なんだ」

俺たち二人もその件は賛成だった。

もちろん事故にあった二人の許可があればのことではあるのだけど。

シーンとした空気の中、呼ばれるのを待つ。

朝早くから用意をしていた代表は疲れているだろうに、それでも眠らずに待っていた。


「芹沢さん美弥さんをお待ちの方……」

看護師さんに呼ばれる。俺たち3人ははっとして駆けつける。

「芹沢さんが美弥さんを庇う形で落ちたみたいなんですね。

なので、2階からということもあって美弥さんは軽傷です」

「ただ芹沢さんがですね、脊髄損傷してしまってます。下半身に麻痺が残る可能性があります」

「……それって、車いすの生活になるってことですか」

俺は不安の中聞く。

「そういうことですね」

医者は淡々と答えた。

「会っていってもいいですか」

俺は言う。

「どうぞ」

部屋に入ると、光は少し悲しそうな顔をしてこちらを見た。

「光!!お前無事でよかったけどこんなの無事じゃないよ!こんなことあるかよ!」

俺は感情的になってしまう。

「頭とか打ってないのは良かったけど、これから大変だろうな」

雄太が冷静に言う。

「光、何か困ったことがあったら俺、助けるから。頼ってほしい」

俺はまだ頭に血が上っている。

「おい、太陽、ちょっと冷静になれよ」

雄太が言う。

「光くん、今回のことの責任は私にあるからね。本当にごめんなさい」

代表が言う。

泣きそうになっている俺を光が優しく見守っている。

おかしいよこんなの。

普通は逆じゃないか、情けない。


「私は美弥の所も行ってくるよ」

代表が言う。

「あ、俺らも行きますよ!」

雄太がいう。

「おい、行くぞ」

雄太にそう言われ光と別れる。

美弥の部屋では、美弥が泣いていた。

「光くんが……私のせいだ……。一生……立てないかもって……」

「美弥のせいじゃないよ。

屋上の状態を確認しないで使った私の責任だよ。代表は私なんだから。本当にごめんなさい」

「美弥さんが軽傷だったのが本当に救いですよ……本当によかった」

雄太が言う。

俺は何も言えなかった。


**************************************


今日で夏休みも終わりだ。裸のデッサンモデルをしながら思う。

最高で最悪の夏休みだった。

3人で脚本の読み合わせをしたことや演じたこと、夏の雨の下カメラの前で撮影したこと。

そして、あの事故。

何度か雄太と俺は光の見舞いに行った。

その度、光は笑顔で迎えてくれた。

それでも。たまたま光の母親と鉢合わせたとき、

俺たちにも責任があるんだなと思わせられてしまった。

「あなたたちが光と一緒に映画を撮っていたのね」

絶望したような表情で言われた。

ああ、俺たちも責められるべきなんだな、と思った。

罪悪感。心の中に薄くもべったり張り付いてしまった。


**************************************


学校が始まった。

光は随分前に退院していて、俺と雄太とも会っていた。

たわいもない雑談で、光は明るく笑っていた。

内心、とてもほっとしている自分がいた。

光は強い人間だし、俺と雄太も付いてる。

きっと何も変わらないんだ。


俺たちの学校には多目的トイレが無かったので、個室で俺が介助をすることになった。

先生が手すりをつけてくれたおかげで、介助はスムーズだった。

そんなある日のこと、些細なことだった。

「光くん、またうんこじゃん(笑)」

……?一瞬頭がフリーズした。何を言われているのか分からなかった。

ハハハ、と笑いながらそいつらはさっさとトイレを済ませて出ていった。

以前、光をかっこいいと言っていた奴らだった、と思う。

「ひ、光、あんな冷やかし気にするなよ」

「……そ、そうだな」

光の顔からは表情が消えていた。


そんなことがあっても、普段の光は明るかった。

「もう野球は出来ないけど、いいのか?」と聞いたことがある。

「強制だからやってただけで、特にこだわりはなかったから大丈夫」と答えられた。

「今は、やっぱ映画の方が好きかな」ともこぼした。

「インドア趣味も結構いいよ」雄太が言う。

「足が使えなくても演奏出来る楽器もある」と加えた。

「映画、いつ完成するのかな」光が言った。

「編集に時間がかかるって代表は言ってたけど」

「でもまあ……お蔵入りにならなきゃいいね」

俺は未完成のまま終わってしまうことを心配していた。

「完成するよ、絶対」なぜか、光が強く答えていた。


今日もまたトイレの介助で、個室に二人で入って行った。

「二人でトイレって、ホモじゃん(笑)

学校はハッテン場じゃありませーーーん!!!!」

「アハハハハハ!!!!!!!!」

冷やかす人間は数人だけだったが、それでもキツいものがあった。

排泄を終え、車いすに光を戻し、個室から出る。そこで、光がすごい事を言った。

「太陽、俺にキスして」

「……え……どういう」俺は戸惑う。からかっていた奴らもフリーズする。

「挑発にのることないよ」俺は言う。

「いいから、キスして。お願い。このままだと泣きそう…お願いだから…」

今思うと、俺もおかしかったんだと思う。その瞬間何も考えず光とキスをしていた。

一心に無垢さを貫くその行動はどこから来てるんだろうと思った。

汚いトイレに、光のイノセンスさだけが灯っていた。


その翌日から、光は学校に来なくなり、間もなく退学した。

引っ越しをしたと聞いた。連絡も付かなくなった。


俺は相変わらず代わり映えのない学校生活を送っていた。

普通に通って、雄太と昼飯を食べて。

でも、ある日気付いたことがある。

昔、光とキャッチボールしたことがあった。

俺がどんなに無茶苦茶な球を投げても光は追ってくれたのに、俺は光の精神的な球を追えていたんだろうかと思う。

明るく振舞っていたのは表面だけで、本当は絶望も抱えていたんじゃないだろうか。

そんなことをぼんやり思いながら、あっという間に日々は過ぎていく。


俺は大学生になって、映画研究会で映画を撮っていた。

大学の映画研究会なんて、難解なものやお洒落なものが好まれそうなものだが、俺はなぜかラブコメを撮っていた。

「これしか書けなかったんだよな……」俺は言い訳するしかない。

主人公の男が転んで、前にいた女子の胸をもんでしまうという超ベタシーンを撮影したりしていた。

「こういう作品しか見てこなかったのかな、新入生?」と先輩にからかわれる。

「うーん、色々見てきたはずなんですが、キュー●リックとかも好きなのに……どうしてでしょうね」苦笑いする。

「まあ、最初だから脚本、撮影、編集とか一通り学んでもらって。その後本当に撮りたいものを撮ってもいいしね」

「そうですね、楽しみです」俺は答える。その時だった。

皆の携帯電話が唸りだした。そして、ガタガタと部室が揺れ始めた。

「地震だ!」

「机の下に隠れて!」

頼りない学生用机の下に隠れる。揺れは強くなる。本が棚から落ちてくる。

「大きいね!」

揺れが収まるのを待つ。長い。とても長い。そして、ようやく収まる。

「学食のテレビ見に行くよ!」

先輩について学食に走る。

「今動くと危ないんじゃ?」

「情報待ってられないよ!」先輩が答える。

テレビ前には人だかりが出来ていた。

「震度7だって!大学内もコンクリート割れてるところあるかもだって」

「どうしよ、まず親と彼氏に電話するわ」

「電話繋がらないよ~」

学生は口々に不安を発し、混乱している。

そんな中、ピピッとテレビが発する。

「津波注意報です」

「え、これうちの方だ……」女子生徒が青ざめる。

この町は比較的海の方にある。内陸から通学している生徒もいるが。

「ツ●ッターにすごい動画上がってるよ」

「波たっか!大丈夫かな……高い方に逃げないと」

そこで遅くも校内放送がなり、俺たちは待機を命じられた。

とにかくスマホとテレビに釘付けになっていた。

俺もスマホの津波実況などを見ていたが、そこで信じられないものを目にしてしまった。

「……!」

女性が義足の男性をおんぶして坂の上の方に避難している動画だった。「早く早く!」と急かされている。

その義足の男は、間違いなく、光だった。そして、女性は光が事故で庇った美弥さんだった。

「この町にまだいたのか……無事に避難出来ますように……。しかし、あの二人はずっと一緒にいたのか?」

「あそこなら坂の上の避難所の中学校までもうすぐだから大丈夫だとは思うが……」

テレビを見ても各地の混乱が流れてくるだけだ。

東京まで帰宅困難者が出ているらしい。

俺たちも今日は大学に泊まらなければいけないかもしれない。

「先輩、俺たちは待つしかないっすね……」

「そうだね……」

そうして俺たちは大学にそのまま泊まることとなった。

毛布と食料品が与えられたので不自由はしなかった。

津波被害と大規模火災のニュースで精神的には不自由したが。


翌朝。

「津波も火事ももう大丈夫みたいなので、俺は自転車通学なんで帰ります。気がかりなこともありますし」俺は言う。

「瓦礫とか、気を付けるんだよ」先輩が言う。

「了解っす」俺は答えて帰る準備をする。

その足で、俺は避難所になっている中学校へ向かった。

すれ違う人は皆、声をかけてきたり不安そうに話をし合ったりしていた。

そんな中俺は、不謹慎ながら、光のことだけを考えていた。

そして、中学校に到着する。唾を飲み込む。

皆親族や家族で固まっているようだった。タオルケットに包まり寝る老人、騒ぐ幼児もいる。

全体を見渡し、あっけなく見つかった。若者二人。義足の男性。

「よ!」俺は軽い口調で声をかける。

「!」光は驚いて目を丸くしている。

「あ、映画撮影の時の太陽君だよね?私、撮影してた美弥です」

「今回は大変だったね。まあ、まだまだ火事の跡とか瓦礫とか片付いてないけど……」

「驚きましたね。これからもちょっと……大変ですね。

あ、美弥さんのことは覚えてますよ、お久しぶりです。ところで、どうしてお二人が一緒にいるんです?」

「あは、実は付き合ってるんだ」

「こういう時は、明るい話題、いいですね」俺は返す。

「明るい話題といえば、代表の編集がまとまって、映画がもうすぐ完成するみたい」

「本当ですか?実は俺も今大学で映画撮ってて」

「ふふふ」急に光が笑いだす。

「何が可笑しいの?というか、義足にしたんだね。慣れた?」

「義足はいいよ。一人で歩けるって最高!それはそうと。俺も映画を撮ってるんだ」

「えっ?自主映画?大学?」

「大学で。そして、来月の映画祭に出すことにした」

「代表も、同じ映画祭に出そうとしてるみたいなの」美弥さんが言う。

「間に合いそうなら、太陽君も出してみたら?」

「お、俺のクオリティなんか……」

「結構B級感とか手作り感とか脚本そのものの面白さとか、色々見てくれるから出す価値はあると思うぞ」光は言う。

「雄太にも声かけて出演してもらおうかな……なんか仲間外れみたいだし」俺は言う。

「何はともあれ、お互い元気で良かったよ」

その後少しの雑談を挟み、俺は自宅に向かった。

高い方の土地だから津波被害地域ではないが、家の状況は心配だ。

「あーあ……」

台所の食器の割れ具合、本棚が倒れている、コンクリートにヒビが入っている……目立つところだけでもぐちゃぐちゃだった。

母とさっさと片付けるか……と作業を開始した。


それからは忙しい日々だった。

ボランティアに駆り出され、映画撮影の進行、大学の授業と毎日クタクタだった。

バイトをしてないで本当に良かった……と思った。

その中でも、俺は映画に打ち込んだ。

震災がある中で娯楽を優先するなんてと思われるかもしれないが、震災の後だからこそ元気に生きている人物を残したかった。

そして、映画が完成する。

「映画が出来ましたよ」代表からの電話。

「映画出来たぜ」光からの電話。

そして「映画出来ました!」と最後に俺は連絡した。


映画祭は中止にはならなかった。

仙台で開かれるが、東北の文化を復興としてアピールしようという面もあったようだ。


そして、映画祭当日。

「そういえば、報告があるんだ」光が言う。

「どうしたの?」代表と俺が言う。

「美弥さんと結婚することになりました」光が言う。

「えへへ」美弥さんが笑う。

「えーーーーっ!本当に?おめでとう!」代表が言う。

「美弥さんの家、津波で流されちゃって。新しい新居で、二人でやっていきます」

「そっか。幸せになってね」俺が言う。

「羨ましいぞ~」雄太が言う。

「そろそろ時間だね、行こう」代表が言う。


エントリーした映画は45件だった。これが多いのか少ないのかは俺には分からなかった。

一つ一つの映画に批評がされ、いよいよ結果発表。

「最優秀賞は、坂本演劇さんの『僕らは世界を救ってしまった』です!」

「!!」代表が涙ぐむ。

「優秀賞は、芹沢光監督の『僕らの群青』です!」

「おいおい……本当?」光が言う。

最後まで俺の名前は呼ばれなかった。


「それでは、最優秀賞の『僕らは世界を救ってしまった』の放映を行います」

あの夏。霞んで眩しい記憶。光の人生を変えてしまった事故。

「力と無力。善と悪。幸と不幸。最高と最悪。二つはべったり張り付いて、バランスを取って

この世界は成り立っている……。悪として善人を傷つけ、善として敵を攻撃する。

傷ついた人は敵から守られているなんてわからないのに……。

だから、苦しいことがあっても、悲しまないで下さい。

知らないヒーローの仕業かもしれませんから……」

あの屋上で俺たちはヒーローとして映し出され、空には虹がかかり。

俺は本当のヒーローになった気分になって、泣き出していた。

皆、あの夏を思い出して泣いていた。

一生忘れることのない、あの夏を。

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