清瀬加奈子
Pragma
強くなってしまうのなら今のうちに弱くしておけば良い。小学生の判断ではないなと今更思うが、当時そう考えたこと自体は正しかった。隆は私の言うことに逆らわない。ほとんど全部コントロールできるまでに時間はかかったが、中学生になった頃には私の支配下にあった。
隆は「ない」割には男らしく育った。背が伸び骨格は硬くなり、女子生徒にしばしば告白された。すべて断らせた。隆は私の言うことに逆らわない。小学生時代に苛められた経験もあって、余計に私だけを信じる。いい子にできれば褒めた。見目良く育ってくれた甲斐もあり、縋られるとずいぶん気分が良かったし、当然のことだと思った。隆は全身全霊、完璧に私のものだった。
両親はひたすら善人だった。だから誘導は簡単で、特に局部を切り取ったことについて、ずっと申し訳なく思っているとしおらしい態度を崩さなければ信用された。実の娘だからという甘さもあっただろう。
隆を連れて家を出たあと、単体で一度だけ戻り、憔悴していた両親に隆が二人をおそろしく恨んでいるのだと吹き込んでみた。いじめられていたことに気付きもしなかった。清瀬家にもらわれたせいで私との結婚に壁が生じて苦痛だ。血が繋がっていないから家族だと思えなかった。家を出て清々している。
大体、この流れで話した。徐々に蒼ざめる両親を見て、このまま放置で構わないと判断し、翌日念のために訪ねれば首を括っていたので帰宅した。
これでもっと自由にできるようになった。どこにいても物事が上手くいったが、両親の視線が邪魔だとは感じていたため、清々しくなった。
すべて完璧で、なにもかも順調だった。そしてそれは当然のことだった。
そう世界というものは。
私が微笑めばどこまでも明るくなるし、怒れば取り成し謝罪する。他国のことは知らない。あくまでも私の観測する、私の生きている範囲の世界のことだ。それで充分だしずっと成功していた、私の世界は私の意思通りに回った。
何かが狂い始めたのは実家を捨てさせてからの話だ。
職場での信用を得るために、下心が少ない食事の誘いは極力断らなかった。そのひとつで私は見つけた。懐柔した上司へのサービスも兼ねて出席した、とある飲み会の席だ。隣のテーブルに居た男に興味を惹かれ、酔い覚ましのためか入り口へ行った背を追い掛けた。
男は私が声をかけ、背中をさすると謝罪を口にした。何処か冷徹な眼差しが、路地に張り付く夜の暗さを眺めていた。酔っている癖に酔っていない男だった。手に入れようと思った。手に入れたつもりだったが、誤算が生じた。彼だけは私のものにならなかったし、思い通りに動かせなかった。それで、隆の動きを見過ごした。
朝陽大輝。それから、私の弟、清瀬隆。
線路に向かって落ちながら私は笑った。完璧なまま私は笑った。私は何も失敗しなかった。
情の薄い朝陽大輝。あなたの恋人のまま、記憶に残る死に方をしてあげる。あわよくば冤罪で人生を無駄にしてね、初めて神に祈っておくから。
私のかわいい弟、そして夫の清瀬隆。不能の愚図。私の訃報で取り乱して両親のところに行け。それで全部完璧なまま終わるから。私は綺麗で完璧であらゆることが思い通りで成功したままいろんな人に惜しまれるから。
落下の直前に雪が降り始めた。
不確定な揺れ方をする白雪を見上げながら、私の赤い遺体には大層似合うだろうなと嬉しくなった、が。
無数の雪の向こう側にいる朝陽大輝がどんな顔をしているのか、見えなかったことだけは少し残念だ。
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