第26話 調査へ
「ごめん、待たせたね」
フラウダが玄関へ移動すれば、そこには黒いワンピースの上に胸当てや手甲などを纏ったグラシデアの姿があった。
「その姿久しぶりだね」
「今回の調査は舐めて掛からん方がよさそうだからの」
吸血鬼のしなやかな指が腰に備えられた二本の剣、その柄を撫でる。
「そうだね。それには僕も同意だよ」
そういうフラウダも武器こそ見当たらないが、胸当てや手甲を装備していた。
「娘はどうしたのだ? エレミアに聞けば中々大変な状態だったとのことだが」
「大変というか、メチャクチャ可愛かったよ。四六時中僕にひっついて、僕の姿がちょっとでも見えなくなると、わんわん泣き出すんだからね。おかげで見てよ、僕の中の母性がてんこもりさ」
胸を張って見せるフラウダ。その胸部は村にきた当初に比べて明らかに大きさを増していた。
グラシデアが対抗するかのように黒いワンピースの腰に手を当てた。
「ふん。その程度かフラウダ先輩、それならばまだまだ妾の母性の方が上だな」
「どれどれ? う~ん。やっぱり胸当ての上からだと感触が伝わってこないな」
「ちょっ!? 今の妾は人妻だぞ」
自分の体をひしりと抱きしめて、吸血鬼は無造作に己の体に触れてくる元四天王から距離を取った。
「あらら、連れない反応」
「そ、そんなことよりも。ニアの奴は今どうしておるのだ? 泣き声は聞こえて来ぬが」
「僕の力で眠らせたよ。ここ最近盛大に泣き続けていたから、丸一日は起きないはず」
「良いのか? 調査は三日の予定。その様子では起きた時にフラウダ先輩がおらぬとショックが大きそうだが」
「ごめん。それなんだけどさ、ちょっと変更して、今回の調査は何が僕の
「ひとまずフラウダ先輩の力を寄せ付けぬという怪しげな場所を確認できるのであれば問題ない。それに今は妾も子を持つ母。フラウダ先輩の気持ちはよく分かるぞ」
「ありがとう。それじゃあ時間も勿体ないし。さっそく行こうか……ん? どうしたの?」
フラウダが背後を振り向けば、そこにはクローナがどこか気まずそうに立っていた。
「えっと、あの……」
「ひょっとして見送り? だったらママ嬉しいな」
ひょい、と娘を持ち上げる元四天王。
「あ、あの、フラウダさん。お話があるんですけど」
「いいよ、何?」
フラウダは抱っこしたクローナをあやすように体を揺らす。幼い瞳が近くにいる吸血鬼を窺った。
「妾は席を外そうか?」
「ん~? いや、ちょっと待って。ねぇ、クローナ。話ってひょっとしてニアの力のこと?」
「……知ってたんですか?」
「まぁ最初から怪しいとは思っていたし、これでもそこそこ長く生きてるからね。予知系統の異能者を見たことは何度かあるんだよ。何よりここ数日ずっと僕が危ないって言われ続ければ、さすがに気が付くよ」
クローナは申し訳なさそうに顔を伏せた。
「そうですか。すみません黙っていて」
「謝ることはないよ。こんな時代だし、お姉ちゃんが頼もしくてむしろママは嬉しいよ」
娘へと頬擦りするフラウダ。クローナは幼子にするのと同じスキンシップにどういった顔をすればいいのか分からないといった困惑を見せながらも、その顔に確かな心配の色を浮かべた。
「なら調査は中止にできませんか? ニアの予知は何もしなければ必ず実現します」
「へー。そこまで確度の高い予知能力者は珍しいね。いいかい、クローナ。その能力のことは今まで通り秘密にしておくんだよ」
「は、はい」
頷きつつも、幼い瞳が再び吸血鬼の様子を窺う。
「グラシデアなら大丈夫だよ。信じてもいい」
そっとクローナを床に下ろすフラウダ。離れていく母親の温もりにどこか名残惜しさを見せつつも、幼い天才は素直に頷いた。
「分かりました。あのそれで調査は……」
「心配かけて悪いけど、そっちは予定通り行うよ」
「えっ!? あの、でも本当にニアの予知は当たるんです」
「君がそう言うならそうなんだろうね。つまり僕達の生活圏のすぐ側にある山には四天王である僕ですら危い何かがあると言う事。僕はともかくそれを放置することは……」
「妾にはできん」
今までずっと黙って親子の会話を聞いていた吸血鬼が強い言葉で割り込んできた。
「クローナ、母親を心配するお主の気持ちは分かる。しかしこの辺境の村を束ねる者として、それ程の脅威がありながら見て見ぬ振りはできんのだ」
「でもフラウダさんが死んでしまうかもしれないんですよ?」
「それは予知の前のことであろう。少なくても予知を知って、妾とフラウダ先輩は軽いピクニック感覚であった調査に装備を整えて向かう。これだけでも予知の前と後ですでに結果が違うのではないか?」
「それは……そうかもしれませんけど」
予知能力者である妹と常に一緒にいた姉は確度の高い予知であればあるほど、些細なことで変化することを身をもって理解していた。
「クローナ、心配してくれるのは嬉しいけど、ここで生活する者として、今回の調査は行わないわけにはいかないんだよ。クローナだってこの村、嫌いじゃないだろ?」
「それは……はい。嫌いじゃないです」
「そうだよね。なら調査はするべきだって、頭の良い君なら分かるだろ?」
クローナは悔しそうに顔を伏せると、ややあって頷いた。
「ありがとう。大丈夫こう見えてママは強いからね。何があっても帰ってくるよ。……あっ、でも万が一の場合に備えてこれを渡しておこうか」
「これは?」
小さな掌に乗せられたのは植物の種だった。
「その種を地面に埋めたら僕の蔓が荷物を運んできてくれる。万が一にもあり得ないけど、もしも僕の身に何かあってさらにこの村にいられなくなる状況が発生した場合、その荷物の中に入っている手紙、そこに書かれてる魔族を頼ってね。二魔のうちどちらを頼っても僕の娘だって伝えれば必ず力になってくれるはずだよ」
種をジッと見下ろす娘の頭を一撫ですると、フラウダは玄関の戸を開けた。
「それじゃあお姉ちゃん、すぐに戻ってくるけどニアのことは任せたよ」
「あ、あの!」
「ん? なに?」
「い、いえ、あの、……い、いってらっしゃい」
自分の言葉に赤面するクローナ。フラウダの顔に花のような笑みが浮かんだ。
「行ってきます」
そうして元四天王は吸血鬼をつれて屋敷を出て行った。クローナは閉じられた玄関の戸を暫くの間ジッと見つめると、
「お母さん」
小さくそう呟くのだった。
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