第27話 頂点に立つ者達の葛藤

 魔王城•暗黒の間。あらゆる魔術的、そして物理的防御を張り巡らされたそこに出入りを許されるのは魔王が認めた数魔のみで、例え四天王であっても勝手に入ることが許されない、そこは魔王城の秘中の秘。


「そうか。フラウダは辺境での生活が気に入ったか」

「はい。魔王様」


 そう応えるのは金色の瞳にヤギのような角を生やした、目も覚めるような美女だった。玉座に腰掛ける王の足元に跪く彼女は一切の衣服を纏っておらず、男の視線を惹きつける豊かな乳房やくびれのある腰、そして臀部から生えた黒い尻尾に至るまで行動を制約する魔術刻印が余すことなく刻まれていた。それによって女はここで見聞きしたものを口外することができず、また第三者が女にいかなる術を施そうとも決して情報が漏洩する事は無い。


「適度に問題を起こした後は親しい者達の家を転々とする生活に落ち着くと思っていたのだがな。ふむ。本当に余の予想を裏切ることに関しては魔族一だな」

「如何致しますか? フェンリルの起動を送らせて頂ければ、フラウダ様を辺境より退去させることが可能ですが」

「頼もしいな。だが星の関係上、今日を逃せば次の通信まで時間が開く。しかしこれ以上時間を掛ければ再び戦況が大きく動きかねん。起動は予定通り今日となるだろう」


 目の前の悪魔びじょを凌ぐ悪魔的な美貌を持つ王のその容貌うつくしさが自嘲に乱れる。


 悪魔の口を言葉しょうどうがついた。


「王、今ならばまだ……あ、ああっ!?」


 悪魔の全身に刻まれた刻印が輝き、女の体を激痛で焼く。


「ふむ。卿、よもや忘れはわけではあるまいな。この件に対して卿は余の許可なく口を開くことはできん。もしも相手が余でなければ卿の体は塵となっていたぞ」

「ハァハァ……も、申し訳、あ、ありません」

「よい。それよりもそろそろ時間だ。控えておれ」


 跪いていた悪魔は一糸纏わぬ体を隠しもせずに立ち上がると、玉の正面から部屋の隅へと移動した。


「さて、始まるのは新時代の産声か? あるいは巻き取られた終末か?」


 魔王の動きが一瞬、葛藤に動きを止める。


「……是非もなし。起動しろ」


 部屋の床に施された魔法陣が淡く輝く。それを見つめる魔王の瞳にとある映像が投影された。


「半年ぶりの通信だ。息災であったかな?」

「つまらない前置きは結構、私と貴方はそのような仲ではないはず」


 親しげな笑みを浮かべる魔王。魔族の女の多くを容易く堕とす天然の魅了チャームを向けられても、魔王の瞳に投影された銀髪銀眼の美女はニコリともしなかった。


「ふむ。連れない反応だ。これから起こることを考えればある程度の友好を深めておくことも大切だと思うがね」

「それならばもう充分でしょう」


 女は映像の中で銀色に輝く己の瞳を掌で隠して見せる。複雑な条件と制約を得て発動するこの通信魔術を傍受できる者はおらず、魔王の側にいる悪魔ですら、魔王が会話している相手の姿も声も知覚できない。


「既に私と貴方の間には切っても切れぬ縁が出来ています」

「ふむ。それで? その縁の結晶について余に教えてはくれぬのか? 周囲にバレぬよう特別な方法での誕生となるとのことだが、時期的にそろそろ産声をあげている頃であろう? 余の記憶に間違いがなければ確か双子のはずだが」


 一般的な人間に比べてツンと尖っている女の耳がピクリと揺れる。


 エルフーー人類の上位種にして、帝国を統べる者達。その頂点に立つ女の魔王にも劣らぬ美貌に感情の小波が走り、しかしそれはすぐに消えた。


「無駄話は止めましょう。今までの全ては今日この日の為に。魔族の王よ、気持ちに変わりはありませんね」

「無論だ。そちらはどうかな、人の王よ。結果次第では我々は今日この日を永遠に呪うことになるやもしれんぞ?」

「それはこのまま争い続けても同じこと。既にわたし達の戦争は取り返しのつかない所まで進んでいます。だからこそ必要なのです。この呪われた戦争を終わらせる為の、最大最後の闘争が」

「そしてその為の敵が。我等人魔を脅かす神話の怪物が」

「はい。そして私達は作り上げました。人魔を滅ぼし得る真の怪物を。偽りの神話を」


 その構想は果たしていつから始まっていたのか。それぞれの種の頂点として君臨する男と女は、いつの頃からか終わりのない戦争の終わりに危機感を抱いていた。


 人と魔族の力は拮抗しすぎている。本来であれば些細なことで崩れるその均衡は、神の悪戯としか思えぬ悪魔的なバランスで何百年も保たれ続けた。


 魔族に強者が生まれれば、人は優れた武器はがねを錬成し。人が大量破壊兵器を創造すれば、魔族は大規模破壊魔術を生み出した。


 長い年月を生きる王達は百年単位で世代を変える者達には決して実感出来ぬ程強く互いの種の衰退ぶりを感じていた。戦による衰退は民の心にまで及び、すり減り続ける倫理観は王達の定めた法を犯す非合法な商売を病のように社会へと蔓延させ続けている。


 このまま争いを続けてもその先に繁栄しょうりはない。


 だからこそ王達は模索した。この戦争を終わらせる為の方法を。それは互いに孤独な道だった。自分達とは異なる種を滅ぼせと叫ぶ部下達に応えつつも、それとは別の終着点を探す。互いにそれぞれの種族の頂点たる力をフル活用し、幾つもの幸運に恵まれて互いに接点を持てたのが百年以上も昔。それから牽制と協力を重ねてついにこの日を迎えたのだ。


「辺境実験は思いの外上手くいった。贅沢を言うのならば恋愛感情を抜きに両陣営が手を取り合うのがベストではあったが」

「しかし異なる種のリーダー同士が恋仲になることを受け入れられる。これは既存の社会ではありえなかったことです。これで自分たちを滅ぼし得る第三勢力の存在が共闘を発生させ、その果てに共存へと至れることが証明されました」

「計画は概ね順調。だがな、皇帝よ。一つだけ懸念事項がある」

「大地の支配者フラウダ•ウルネリアの辺境入りですね」

「ふむ。四天王一魔の排斥はそちらの要求であったな。さすがに耳が早い」


 魔王の声には皮肉が満ち満ちていた。


「私達は対等でなければなりません。四天王一魔を魔王軍から退けさせるに足るものを、こちらは提供したはずですが?」

「フェンリル創造に関してはこちらも禁術をいくつも提供しているのだが、まぁ良い。替えがきかぬと言うのであれば、確かにそちらの方が払ったものは大きい。いや、大きかったと言うべきかな?」


 腹心の部下に去られた魔族の王に、ほんの微かな苛立ちが見え隠れする。無論、皇帝はそんなもの気にも留めない。最早事態は個人の感傷が入り込む余地のないほどに、最終局面を迎えているのだ。


「今起動させればフェンリルは確実に大地の支配者とぶつかるでしょう。そしていかにフェンリルといえども、目覚めたばかりの状態では大地の支配者には敵わない」

「まさか起動を遅らせると言うつもりではあるまい?」

「あり得ません。いえ、むしろ今だからこそ起動させるべきなのです。確かに起動したてのフェンリルは大地の支配者には及ばない。しかしもし私達のそんな予想を裏切ることができたなら、そしてそんな怪物が育ったのならば」

「我らでも手に終えぬ存在となるだろうな。我らの望んだ通りに」

「はい。人も魔族も誰も敵わないでしょう。それこそ私達が手を組まない限りは」


 言葉を切った魔王と皇帝は暫くの間、無言で目の前の相手を見詰めた。そしてーー


人類じんまの為に」

魔族じんまの為に」


 遠く離れた所に眠る怪物を起動させた。

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