第25話 予感

「さて、それじゃあ今日の訓練を開始するニャ。準備はいいかなニャ」

「はい。お願いしますネココさん」

「ネココさんじゃないニャ。師匠と呼ぶニャ」

「は、はい。師匠」


 子供達の小さな冒険から数日経ったある日の昼下がり、フラウダは屋敷の床に腰掛けて庭で木刀を振り回す娘と友人を眺めていた。


「刀にこだわりがないなら剣士になる必要はないニャ。でも相手に剣士と思わせるのは有効ニャ。刀を主力武器と思わせておいて、必殺の手段を他に最低でも四つは用意するニャ。それでいて刀でも大抵の奴はやれるようになっておくニャ」

「は、はい」


 会話の最中にも容赦なく振るわれる木刀。それをギリギリのところで何とか防ぐクローナの技量は、軍魔の頂点たる四天王の目から見ても決して悪くはなかった。


「中々やるニャ。でも防ぐだけでは勝てないニャ」

「くっ」


 クローナは激しい剣撃の隙間を縫って反撃を試みる……つもりだったのだがーー


「捕まえたニャ」

「わっ!? えっ!?」


 背後からひっそりと近付いた金髪の獣人に抱き抱えられて木刀かたなが無様に宙を掻いた。すかさずネココの木刀がクローナの木刀ものを払い落とす。


「はい。私の勝ちニャ」

「え、い、いや、でもこれは……」

「卑怯ニャ? でも最初から一対一とは言ってないし、言ったからといって敵対者の言葉を信じたクローナが悪いニャ」

「ごめんねニャ」


 金髪の獣人がそっとクローナを地面に下ろした。


「ケンカならともなく、戦争じっせんで一対一で正面からバトル開始なんて滅多に起こらないニャ。敵は常に複数、死角には最低でも一人は必ず敵がいると想定して動くニャ。それと格上と戦場で出会うと、そっちばかりに意識を取られて普通に戦えば勝てる相手にやられるっていうのもよくあるパターンニャ。気を付けるニャ」

「は、はい。あの師匠、もう一回いいですか?」


 黒色の瞳に子供らしい負けん気が宿る。一方それを向けられた獣人は感極まったかのように尻尾と耳を振るわせた。


「……師匠。中々素敵な響きニャ」

「リーダー、ずるいわよニャ。ねぇ、ねぇ、クローナ、私のことも師匠って呼んで欲しいわよニャ」

「え? あの……し、師匠?」

「んん~!? 何とも言えない甘美な響きニャ。この感じ、ひょっとしてこれが母性なのかしらニャ」

「ちょっと、クローナの師匠は私ニャ。横槍は止めるニャ」

「ケチケチしないでほしいわよニャ。それよりも訓練しないのかしらニャ? リーダーがしないなら私がクローナを鍛えるわよニャ」

「しないなんて言ってないニャ。さぁ、クローナ。続きをするニャ」

「はい。よろしくお願いします」


 再び剣を交え始めた獣人と愛娘を眺めつつ、フラウダはお茶を啜る。


「思った通り、クローナとネココ達は馬が合いそうだね」


 魔族の中でも一握りの強者から受ける教えを真剣な表情で聞くクローナのその顔は、本に没頭しているときのような充実感を漂わせていた。


「ふふ。これで詰みですわ」


 パチン! と盤上に駒が置かれる音がやけに高く響いて、フラウダの視線を庭から自分が腰掛けている廊下へと移させる。


「う~」


 と可愛らしい声が上がり、盤から離れたニアが母親に抱きついた。


「あらら。また負けちゃったの?」


 銀色の髪をフラウダが優しく梳けば、ニアは母親の膝に顔を埋めたまま首を縦に振った。それを見て、少しだけ気まずそうな顔になるエレミア。


「ああ、そんな顔しなくていいよ。遊びも喧嘩も君たちの特権だ。僕の娘だからって遠慮しなくていいからね」

「か、畏まりました。お心遣いありがとうございます、フラウダ様」


 恐縮する少女に苦笑しながら、フラウダは盤の近くにいるもう一人の幼子へと視線を向けた。


「ニアはこの通りはぶてちゃったし、次は君がやってみたら? 駒遊び、得意なんでしょ?」

「え!? い、いえ、私なんかにエレミアちゃんの相手は務まりません」


 そう答えるのは今年十二歳になる人間の少女ーー山里奈 花子。まだ十代前半の身でありながら、まん丸いメガネが良く似合う、どこかインテリ気質漂う子供だ。


「あら、花。謙遜しなくてもいいんですのよ。盤上の遊びとは言え同年代で私に土をつけたのはクローナを除けば貴方だけなのですから」

「そ、そんな、十回やって三回勝てるかどうかだよ。それに同年代って言っても私の方が二つも年上だし」

「そんなの魔族の世界ではあってないような差ですわ。さぁ、勝負ですわ。座りなさいな、花」

「う、うん。じゃあ一回だけ」


 エレミアの前に腰を下ろす花子。二人は一つの対戦が終わった後の駒を並べ直す。


「ほら、今度は二人が遊ぶってさ。ニアも見てみたら?」


 フラウダが娘の体を揺さぶれば、ニアは母親の腿に額を擦り付けたまま首を左右に振った。


「もう、そんなだと……こうしちゃうよ?」


 元四天王の指が自分の膝の上で猫のように丸くなっている娘の体を擽る。


「キャハハ! 擽ったい! 擽ったいよ、ママ」

「ようやく笑ったね。ほら、ママと一緒に見学しようか」


 ニアを抱えたフラウダは二人の対局がよく見える場所へと移動した。母親の腰にちょこんと腰掛けたニアが、フラウダの肩を揺らす。


「ねぇ、ねぇ、ママ。今度花ちゃんのお家に遊びに行ってもいい?」

「ん? 別にいいけど、何かあるの?」


 その言葉に盤に視線を落としていた花子が弾かれたように反応した。


「あっ、その、今度私の誕生日なんですけど、両親がご飯作るから友達誘ったらって……。あ、あの、それでよければですけど、クローナちゃんとニアちゃんにも来てもらえたらなって」 

「なるほど、楽しそうだね。勿論反対する理由はないよ。ニアも行きたいもんね?」

「うん! あのね、ママ。その日はね、ケーキが出るんだって。それでね、ケーキにロウソク刺すんだよ。それを花ちゃんがふーってするんだって」

「へー。懐かしいな。あっ、それならニアとクローナの誕生日にも、ふー、しようか。ふー」

「本当!? する。ニア、ふーする」

「じゃあ決まりだね」

「ありがとう、ママ」


 フラウダが膝の上で嬉しそうにはしゃぐ娘を眺めていると、黒いスーツに身を包んだ女吸血鬼が一魔、音もなく近付いてきた。


「フラウダ様」

「親衛隊の子だね。出掛け先ではよく会ってるけど、こうして話すのは初めてだね」

「はい。ご挨拶が遅れて大変申し訳ありません。グラシデア様の親衛隊を率いるユキエと申します。以後お見知りおきを」

「よろしくユキエ。それで? ひょっとしてグラシデアが呼んでるのかな?」

「はい。詳しいことはグラシデア様からお話がありますが、調査の日取りが決まったのでフラウダ様のご予定を確認したいとのことです」

「そう。それじゃあちょっと会ってこようかな。ニア、ごめんね。ママ、ちょっとお友達とお仕事の話をしてくるよ」


 そう言ってフラウダは膝の上にいた娘を隣にそっと下ろすと立ち上がった。そんな母親をニアはきょとんとした顔で見上げる。


「ママ、お出かけするの?」

「ん~? そうだよ。といっても今日じゃないし、すぐ帰ってくるから心配はいらないよ」


 娘の頭を撫でるフラウダは、しかしそこで銀色の瞳に不思議な輝きが宿っていることに気がついた。


「……ニア?」


 ジワリ。と幼子の瞳に涙が浮かぶ。


「やだ」

「……え?」

「行っちゃヤダ! お願いママ、お出掛けしないで! したら、したら、ママが、マ、ママが……ヒック、ヒック……う、うぅえええええん!! いがないで! いっちゃやだよぉおおおお!!」

「あらら。ほら、おいで。突然どうしたんだい?」


 泣きじゃくる娘を抱っこしてあやす元四天王。


「大丈夫、ママはどこにも行かないよ。だから泣き止んで、ねっ?」


 だがどんなにフラウダが言葉を重ねても、ニアが泣き止むことは無かった。

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