第15話 幻想山脈
「ママ、見て見て。ニュルル、捕まえたよ、ニュルル」
機嫌よく母親の横を歩いていたかと思えば、突然藪の中に手を突っ込んだニア。緑の中から出てきた幼い手は自分の身長よりも大きな蛇を捕まえていた。
「大きいのを捕まえたね」
「エヘヘ。凄い? ねぇ、ねぇ、凄い?」
「うん、凄いよ。さすがは僕の娘だね」
「エヘヘ」
母親に頭を撫でられてニッコリと微笑むニア。その手が蛇を離すがーー
「何してるのニア、勿体ないでしょ」
クローナが藪に飛び込もうとする蛇をすんでの所で再び捕まえた。
「えー。だってニュルル美味しくないんだもん」
「そんな贅沢言わないの。山の中で得た食糧は無駄にしないようにいつも言ってるでしょ」
「関心な考えニャ。うちにスカウトしたいニャ」
「ふっふっふ。どうだいネココ、僕の娘は凄いだろ?」
フラウダが自慢げにクローナの頭を撫でる。それを見たニアは不満げに頰を膨らませると母親の足にしがみついた。
「でもねクローナ、今回は幻想山を越えるには十分な食料を持ってきたから、無理に現地調達したものを食べなくてもいいんだよ」
「そう……ですか?」
本人は上手く隠しているつもりだが、幼い相貌に浮かぶ不満の
「フラウダ様、クローナは多分私達とはぐれた時のことを危惧してるニャ。少し食料を携帯させた方がいいんじゃないかニャ」
「あっ、なるほど。そういうことね。山の中で僕が見失うなんて事はありえないから、その考えはなかったな。気の回らないママでごめんね、クローナ」
「い、いえ、そんなことは……」
高い思考能力で常に大人たちの行動を読み、逆に自分の本心を隠してきたクローナは、簡単に自身の考えが読まれる今の状況に何とも言えない不思議な感覚を味わった。
(危険なことなのに危機感を感じてない。むしろ……少し嬉しい? 私どうしたんだろ?)
常に妹の頼れる姉であった彼女は、母親に庇護される娘という立場にまるで免疫がなかったのだ。
フラウダは背負っているリュックから一つの袋を取り出した。
「それじゃあクローナにはこれを渡しておくね」
「これは……ひょっとして兵糧丸ですか?」
「知ってるんだ。お姉ちゃんはほんとに博識だね」
「いえ、本で読んだことがあるだけです」
「ねぇねぇ、ママ。ヒョロ丸ってなーに?」
「兵糧丸ね。とっても栄養のある小さなお饅頭だよ。もしも他に食べるものがなかったらお姉ちゃんから貰うんだよ」
「お饅頭? 食べたい! 食べてもいい?」
「別にいいけどこのお饅頭、すっごくまずいんだよ。後、餡子とかは入ってないからね」
「……そうなの? お饅頭なのに?」
「そうなんだよ。だからこれはめったなことがないと誰も食べないんだよ。言っておくけどニョロロの方が百倍美味しいからね。それでも食べたい?」
ニアは小さな頭を左右に振ると再び母親の足にしがみついた。
「フラウダ様、何色渡したんだニャ? まさか黒じゃないニャ」
「ネココ、君は僕を何だと思ってるの? ちゃんと白を渡したよ」
「あの、色の違いは何を意味するんですか?」
「得られるエネルギーの違いだね。白が一番少なくて黒が一番大きい。その間に赤、青、緑があるけど得られるエネルギー自体は同じ、でも成分が違うから体質や状況に合わせて使い分ける魔族が多いね」
クローナは何かを言いかけ、しかし口を閉ざした。
「ん? どうかしたの?」
「それなら、あの、黒もいただけないでしょうか」
「ああ、今の説明だと勘違いさせたかもしれないけど、白でもその蛇の何千倍と言うエネルギーが得られるからね。人と違って魔族の兵糧丸は込められているエネルギーが凄いから、過剰摂取で死んじゃう子もたまに出てくるんだよ」
「そうニャ。黒は基本死地に赴く兵士か、魔族でも一握りの強者しか使わないニャ」
大人達の忠告に、しかし物心ついた時にはすでにほとんどの大人を上回る力を持っていたクローナは侮られているような不満を覚えた。
「……分かりました」
いつものように表情を取り繕うことも忘れた幼子を前に、フラウダとネココは顔を見合わせるとクスリと笑った。
「今は駄目だけど、クローナがもう少し大きくなったら他の兵糧丸も渡すよ、それでいいでしょ?」
「……はい」
妹とは違い母親に頭を撫でられてもお姉ちゃんの機嫌は簡単には直ってくれない。そんな娘をフラウダが楽しそうに見下ろしていると、唐突に幼子二人の表情に緊張が走った。
「ん? どうしたんだい?」
「ママ、ワンコが来るよ。怖いの、怖いワンコが来るよ」
「へぇ、これだけ緑が生い茂った山の中で、この気配に気が付くなんて。二魔ともその年ですごい索敵能力だね。ママは鼻が高いよ」
(この魔族、本当に大丈夫なの?)
ものすごい速さで近づいてくる獣の強さを肌で感じとっているクローナは、悠長に構えるフラウダの態度に危機感を覚えた。
(強い。いきなりこんな獣に遭遇するなんて……。数は二、いや……四……五体? どうしよう、私一人だとニアを守れないかも)
本人が意識しているのかどうか、クローナは助けを求めるような視線を自称ママに向けるが、フラウダは悠長にもニアと会話しており獣がやってくる方を見ようともしていない。
(それともまさか気づいてないだけ? ……駄目だ。こんな魔族を頼ってては。私がニアを守らないと)
意を決したクローナが前に出ようとしたところでーー
「えっ!?」
唐突に近づいて来ていた獣の気配が消えた。クローナとニアが不思議そうに目を瞬いた。
フラウダの足にしがみついているニアがキョロキョロとあちこちに視線を向ける。そして何かに気が付いたように笑った。
「凄い! ニャンコちゃんさん達凄い!」
顔を見合わせるフラウダとネココ。
「え? ニア、あの子達の気配が分かるの?」
「……よく分かんない。でもね、あのね、ニャンコちゃんさん達がいるなって思うの。だからニャンコちゃんさん達はいるんだよ」
「これは……凄いニャ」
「ママのお鼻が天狗になりそうだよ」
「意味不明だけど言いたいことはわかるニャ」
「凄い? ねぇねぇニア凄いの?」
「そうだよ。ニアは凄い。ママは嬉しいよ」
「エヘヘ」
フラウダがニアを抱き抱えるその横で、クローナは自分にできる限界まで意識を研ぎすました。
(近くにあの獣人達がいるっていうの? ……駄目、全然分からない)
どれだけ気配を探っても、緑に隠れた獣人達の気配を捉えることは出来なかった。
(あの施設でもこれほど優れた隠形の使い手はいなかった。こんな魔族を従えてるなんて、ひょっとして私の想像以上にすごい魔族なの?)
クローナは妹をまるで本当の母親のように抱きしめているフラウダの顔を、期待と不安が入り混じったようなそんな顔で見上げた。
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