第16話 幻想山脈2
「それでは今日はここでキャンプします。……ので、せっかくだからバーベキューやろうか、バーベキュー」
「ママ、バーベキューってなに?」
「お外でお肉焼いて食べることだよ」
「……ニョロロとか?」
ちょっと嫌そうな顔をするニア。
「ニョロロじゃなくて、もっと美味しいお肉だね。ニアはお肉嫌い?」
「あのね、あのね。ニアはケーキが好き。ケーキが食べたいの」
「勿論ケーキもあるよ。お肉の後で食べようね」
「食べるぅ!!」
元気よくぴょんぴょんとフラウダの周りを飛び跳ねるニア。そんな妹を眺めているクローナの隣にネココが並んだ。
「随分と山歩きに慣れているニャ。フラウダ様はかなり抑えていたけれど、それでも一般兵でもそこそこきついペースだったはずなんだけどニャ」
「……私達半人半魔は特異体であるかどうかを調べるために、三歳辺りで一度獣が徘徊する山の中に放置されます。その後も定期的に厳しい環境下に置かれてきたので、ただ山を歩くだけなら私もニアもそこいらの大人には負けません」
「厳しい環境にいたのは分かるけど、ちょっと大人を侮りすぎニャ。今のクローナよりも強い大人なんてゴロゴロいるから気をつけた方がいいニャ」
「それは……いえ、そうですね。気をつけます」
「そうするニャ」
ネココの手がクローナの黒髪をわしわしと撫でる。
「さて、バーベキューの準備をするニャ。手伝って欲しいニャ」
「分かりました。狩ってきま……いえ、お肉はあるんでしたね。薪木を集めてきましょうか?」
「いや、それを使うから必要ないニャ」
そういってネココが視線を向けた先には大小様々な道具が地面の上にポンと置かれていた。
「えっ!? あの、これは?」
「バーベキューコンロニャ。少しの魔力で長時間熱を発生する優れものニャ。私がテーブル並べるから、お皿とか食材をその上に並べていって欲しいニャ。食材は青いバック、食器類は赤いバックの中ニャ」
「い、いえ、そうではなくて……。どこからこれだけの品々を?」
「ああ、フラウダ様の力ニャ。蔓で覆った物質を植物に運ばせているニャ」
「植物?」
ふと、クローナの脳裏にフラウダと初めて出会った夜、自分達を隠していた植物がひとりでに動いた時の瞬間が想起された。
「そうニャ。すべての植物を操り、そして生み出す。それがフラウダ様のお力ニャ」
「あの、それ勝手に喋っても大丈夫なんですか?」
魔術、霊術に関係なく個体によって得意な術というのは異なる。術の系統を知られれば敵対する者に対策されるのは当然のことなので、子供のクローナであっても人の能力を簡単に喋るのが褒められたことではないと容易に察せられた。
「知ってる人は皆知っているし問題ないニャ。私が言わなくてもどうせすぐに気づくことになるニャ。周り、何か気づかないかニャ」
「えっ? いえ、特には……えっ!? 広くなってる?」
キャンプをすると決めた場所だけあってそれなりに開けた場所ではあったが、それでも深い緑の中、今ほどのスペースはなかったはずだ。
不思議に思ったクローナが近くの木へと近づく。
「木が……動いている?」
「そうニャ。それに二魔は気づいてなかったようだけど、今日の山歩き、やけに歩きやすかったと思わなかったかニャ」
「そういえば……」
これだけ緑が支配する場所なのに平地を行くかのように歩けていたことを、クローナは今更ながらに不思議に思った。
「それも全部フラウダ様のお力ニャ」
「で、でも魔術を行使している様子はありませんでしたよ?」
「一つの系統を極めた者は己の属性を術ではなく手足のように自然に操るようになるニャ。魔族の歴史を見ても至れる者が殆どいないその境地に達した者を、私達は
「マスター……クラス」
呆然とネココの話に聞き入っていたクローナはしかしそこではっとする。
(マスタークラスなんて言葉初めて聞く。私達……私をコントロールするために大袈裟なことを言ってる可能性がある。気をつけないと)
それは生まれ持った性分なのか育った環境故なのか、幼い身でありながら妹と共に軍の秘密施設を抜けて見せた幼子は、他人の言葉をまずは疑ってかかるところから始める癖があった。
「二魔とも、何を話し込んでるの?」
「の?」
ニアを抱っこしたフラウダがネココとクローナに近づいてくる。
「準備の相談をしてたニャ。私達がバーベキューの準備をするからフラウダ様達はテントの方をお願いするニャ」
「わかったよ。それじゃあニア、ママと一緒にテント組み立てようか」
「立てるー!!」
そして幻獣が支配する山の中でバーベキューが行われた。
「このペースだと予定通り十日くらいで辺境につけそうだね」
食事を終えてすっかり日も遅れた山の中。全員で火を囲んでいると、フラウダが思い出したようにそう言った。
「そうニャ、順調ニャ」
「じゅんちょー。じゅんちょー」
フラウダの横でミルク片手にはしゃぐニア。そんなニアの隣でクローナはぼうっと炎を眺めていた。
(どうしよう。何だか気が抜けちゃう)
どれだけ精神を研ぎ澄まそうと試みても、直ぐに弛緩してしまう。今まで山の中でこんな精神状態になったことはなかった。クローナは何度も危険なことだと自分に言い聞かせるが、どうしても気持ちを切り替えられずにいた。
「クローナ、眠たいのかニャ?」
炎を挟んだ向かい側に座るネココの声。クローナは首を振った。
「いえ。そんなことは……問題ありません」
「もしも疲れたら遠慮なくママに言うんだよ」
フラウダがニア越しにクローナの頰を指で軽く突っついた。
「で、ですから平気です!」
この程度の山歩きで疲弊したと思われたくない。本人も自覚しない、まさに背伸びをしたがる子供の感情がクローナの声を荒げる。
そんな姉を妹が不思議そうに見つめた。
「お姉ちゃんおこなの?」
「おこじゃない。……それ、飲まないなら私が飲んじゃうわよ」
「やっ。これ私のだもん」
手に持っていたミルク入りのカップを隠すように姉に背を向けると、ニアは慌てた様子でミルクを飲み干していく。
「それじゃあそろそろ寝ようか。ニアとクローナはママと同じテントだか……」
「あの? どうかしたんですか?」
「ママ?」
突然言葉を切った母親を不思議そうに見上げる幼子二人。ネココが座っていた椅子から真剣な表情で立ち上がった。
「驚いたね。話には聞いてたけどここまでとは。これ、ちょっと異常じゃない?」
「三魔にやらせるニャ?」
「いや、引かせて。これだけのレベルになると他の要因次第いで何が起こるか分からない。僕がやるよ」
「了解ニャ」
大人達が何を言っているのか分からず、しかしいつもとは異なる雰囲気に幼児達は黙って成り行きを見ている。だが、非凡なる子供達の感性にも直ぐにソレは引っ掛かった。
「怖い! ママ、怖いニョロロがいるよ!?」
ニアがこの世の終わりを見たかのような声を上げる。
(これは……まずい)
クローナは身体が震えるのを抑えられなかった。
闇の中から絡み付いてくる、強く粘着質な視線。それは完全に自分達を餌だと認識しており、その認識を覆すことは幼いクローナではどうあっても不可能だと直感させた。
(ニアを、ニアを守らないと)
暗い闇の中を蠢く大蛇の気配。クローナがカエルのように動かなくなった体を動かそうとした、その時ーー
「よっと。ああ、ほらほら。そんなに怖がらなくても大丈夫だからね」
妹ともどもフラウダに抱き抱えられた。
「怖い! 怖いよ、ママ」
「大丈夫ママがついてるから。言っただろう? ママはとっても強いって。……ネココ、少しの間二魔をお願い」
「了解ニャ」
ネココへとそっと渡される幼子二人。離れていくフラウダの温もりにクローナは無意識にーー
「あっ」
と声を出した。
「ウエェエエエン!! ママ、どこ行くの? ママァアアアア!!」
「ああ、ほら、ほら、泣かないでほしいニャ。ママは直ぐ戻ってくるから大丈夫ニャ」
「ヤダ、ヤダァアアアア!! いかないで、いかないでママァアアアア!!」
「うっ。なんかすっごい後ろ髪引かれちゃうんだけど」
「いいから早く終わらせてくるニャ。具体的に言うなら私の鼓膜が破れる前にニャ」
「了解。秒で戻って来るけどその間四魔は僕の娘をしっかり守っててよね」
「任せるニャ」
頷くネココに軽く手を振ってフラウダは闇の中に消えた。
「うわぁあああん!! ママ! ママァアアアア!!」
「ちょっ!? クローナお願いだからニアを宥めて欲しいニャ。クローナ?」
泣きじゃくる妹の横で母親が去った闇の中をじっと見つめるクローナ、その小さな手が無意識のうちにネココの服をぎゅっと握りしめた。
「……やれやれニャ」
ふぅ、と息を吐くアサシンの頭部にあるネコミミがぱったりと伏せた。その直後ーー
山脈が震えた。
「や、やりすぎニャ」
それはまるで大陸一の山脈に足が生えて動き出したかのような衝撃。あまりにも規格外の魔力にクローナは初めそれが魔力であることに気がつかなかった。
(ニ、ニアを上回る力? こ、こんなことが……)
あまりにも巨大な
「やれやれ。あんな幻獣が当たり前のように徘徊してるなんて、これは調査の必要があるかな?」
闇の中から現れる一輪の花。ネココの腕からニアが飛び出した。
「ママ! ママァアアアア!!」
「おおっ!? アハハ。ニアはいつでも元気一杯だね」
魔術のような速度で自分の胸に飛び込んでくる娘を抱きとめたフラウダがクスリと笑う。
ネココがクローナの背中をポンと押した。
「遠慮せず、クローナも行くニャ」
「え? いえ、私は結構です」
「そうニャ? 子供なのにあまり遠慮しないほうがいいニャ。慎重と臆病は別ニャ。繊細すぎると欲しいものを掴むこともできなくなるニャよ」
「遠慮とか、そんな……別に」
自称ママの腕に抱かれて無邪気に笑うニア。そんな妹を優しげに見つめるフラウダ。クローナは自分の中にモヤッとした感情が発生するのを感じたが、それが何に起因するものなのか幼い彼女には分からなかった。
「難儀しそうな性格ニャ」
訳知り顔で呟くアサシン。どこからともなく発せられた同意の「ニャ」が三つ、夜の闇に溶けて消えた。
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