第13話 辺境の状況

「槍隊急げ! 急げ! 時期に突破されるぞ」


 魔族と人間の生活圏を横断する幻想山脈を越えた先にある辺境の村。そこでは今、幻想山から降りてきた幻獣の対処に追われていた。


「ダメだ! 霊術がまるで聞いてない。推定脅威4だ! 伝令走らせろ。今すぐ救援を! 他の者は時間を稼ぎながら撤退だ」

「無理だ! 今山田さんの所に子供達が集まってる。俺達が下がるわけにはいかねぇ」

「はぁ? なんでそんなことに……って、ヤバイ、もう突破されるぞ」


 岩のような体皮の四足獣。それが全長七メートルの巨躰を存分に使って仕掛けられた罠を悉く打ち払っていく。最早この獣の道を遮るものは貧弱な装備に身を固めた二足の群れのみ。


「クソガァアアア!! やってやる! やってやるぞ!! 全員俺につづーー」

「待て」


 決して大声ではない。だがその声には有無を言わさぬ力があった。


「……刀次郎? 刀次郎さんだ!」

「おおっ。刀次郎さんが来てくれたぞ」


 顔中にあぶら汗をかいていた男達の顔に一斉に喜色が浮かぶ。全員の視線を一身に受けるのは、黒い着物姿でその腰に一振りの刀を差した人間年齢で三十から四十代くらいの男だった。


「皆は下がっていてくれないか? ここからは俺がやろう」

「一人で大丈夫か? 恐らく脅威レベル4に該当するぞ」

「心配いらない。それに今日は俺だけではなくーー」

「妾もいるからの」


 刀次郎の足元に出来た影が湖面のように波打ったかと思えば、そこから黒いドレスを纏った女が現れた。


「グラシデアさん。アンタも来てくれたのか」

「ふん。このような些事、妾のような高貴な者には相応しくないが……」


 フワリ、と女性として魅力的な肢体が重力の縛りから解き放たれる。


「愛しい旦那様の為とあっては仕方あるまい」


 そう言って刀次郎を後ろから抱きしめる女の口元から覗く二本の牙。


 吸血鬼。魔族の中でも希少種である彼らは皆高い戦闘能力と様々な特殊能力を備えている生粋の狩人。その実力を感じ取ったのか、今まで本能のままに暴力を行使していた獣が警戒にピタリと動きを止めた。


「ほう。中々に賢い獣だの。どうする旦那様? 見逃してやるのか?」

「いや、これ程の獣を見逃す余裕は今の俺達にはない。……すまない」 

「獣に詫びの言葉など……。本当に妾の旦那様は酔狂だの」


 男の手が刀に伸び、女の爪がナイフのようにスラリと伸びる。それを前に獣の体がビクリと震えた。


 野生の巨躯が一歩後退する。だが文明に依存する生き物とは違い、己が力のみで世界を渡る誇り高き獣に二歩目の後退はなかった。


「グァアアアアア!!」


 その咆哮は大気を震わせ、相対する者の気力を砕く。


「ひっ?」

「うおっ!?」


 獣を前に槍を構える人間達の何人かが武器を落とした。そんな中ーー


「東森宮抜刀術『風切り』」

「恐れず立ち向かってくるその意気や良し」


 二人の男女が残像すら置き去りにする速度を発揮した。


「グォオオオ!!」


 獣もまた、その速度に反応する。そしてーー


 ズルリ、と獣の体が僅かにずれたかと思えば、それを合図に幾つもの肉片へと変わって地面に落ちた。


「おおっ。流石は刀次郎さんにグラシデアさんだ」

「ふん。こんな獣風情を倒した程度で褒められる謂れはないぞ」


 髪を優雅に掻き上げる吸血鬼の横で、刀の汚れを一振りで払った刀次郎が鈍い光を放つ刀身を鞘へと収めた。


「……また新種か。一応食べられるかの調査を南さんにお願いしておこう」

「こちらからもロウを調査に加えさせるとしよう」

「頼む。しかし……多すぎる」


 恐るべき獣をその刀のキレを持って屠った男は畏怖の表情で目の前に広がる巨大な山を見上げた。


「獣だけじゃない。緑も大きく深くなっている。このままでは村が飲み込まれるのも時間の問題か」

「あの、こんな時にあれですが、商人から何か連絡は?」

「いや、なしのつぶてだ」

「そうですか。あの、グラシデアさん。魔族の方ではどうなんでしょうか?」

「こちらも同じだ。軍の方に連絡して確認してみれば、多発する幻獣被害に商人達は辺境を当分の間販売ルートから外すと言っておったそうだ。おそらく人間供の商人も同じなのだろうな」

「そんな!? それじゃあこれから先どうすれば?」


 悲嘆に暮れる仲間達を前に、刀次郎とグラシデアは顔を見合わせた。


「いざとなれば俺達が買い出しに出るしかないか」

「だがそれだと万が一の際に村の防衛に不安が出るぞ? 妾が立場にものを言わせて軍に物資を支給させても良いが、その場合今の村の状況を知られるリスクが増える。ふーむ。悩ましいのう」


 かつては他と同じように辺境の地でも魔族と人間は争っていたが、多発する幻獣に幾度となく窮地に立たされ、幻想山脈を超えた先にある中央との連絡が希薄になるにつれて、いつしか互いに手を取り合うようになっていった。今では魔族と人間の村の間に一つの大きな村ができ、そこでは魔族も人間も関係なく暮らすようになっていた。


「いつものようにグラシデアさんの力で共存村を隠せないんですか?」

「商人が相手ならともかく、軍関係者が相手となるとな。妾達の都合で損害を出すわけにはいかんから、当然呼ぶなら腕利きを何魔も護衛につけての部隊になるじゃろう。その者達の目から隠すには村はちと大きすぎるな」

「そ、そうですか」


 どんよりと重くなる空気。それを前に高貴なる吸血鬼はつまらなそうに顔をしかめた。


「何を情けない顔をしておるか。厳しいが生活自体は自給自足で何とかやっていける。大人がそんな顔をしていれば子供達の笑顔が曇るであろうが」

「グラシデアの言う通りだ。確かに困難な状況だが絶望的と言うほどでもない。皆で力を合わせて乗り越えよう」

「……そうだな。ああ、そうだ!」

「今までも何とかなったし、今度も何とかなるだろう」


 皆が空元気を出す。そんな中、一人だけ不安を拭えない男がいた。


「で、ですが刀次郎さん。あの噂は放っておいてもいいんでしょうか?」

「噂?」

「ああ、それなら妾の耳にも入っておる。幻想山脈のどこかにはかつて世界を喰らったという伝説の幻獣がおって、幻想山脈の異常は今まさに伝説の幻獣が蘇ろうとしているから。とか言うやつじゃろ?」

「そう、それ! それです」

「ああ、そういえば娘もそんな話をしていたような」


 刀次郎が子供から聞いた話を思い出していると、そんな彼をグラシデアが背後から抱きしめた。


「くだらん。そもそもそんな御伽噺を心配したところで今の妾達にはどうしようもなかろう」

「それは……そうなんですけどね」

「ひとまず子供達の様子を見に行こう。それと今日から三日程、子供達は中央館に寝かせることにしよう」

「そうじゃな。隠密に特化した幻獣がまた出るとも限らんし、しばらくは警戒を怠らんほうがほうがいいじゃろう」


 その場を他の者達に任せて子供達の所へと向かう刀次郎とグラシデア。ふと、刀次郎は背後に広がる巨大な山脈を見上げた。


(世界を喰らった伝説の幻獣……か。まさかな)


 今や足を踏み入れるだけでも命がけとなった魔境は、沈みかけた陽の光を浴びて全身から真っ赤な血を流していた。

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