第12話 幼子の打算

(……布団から出たくないなんて初めての感覚)


 窓から入る陽の光を見て、クローナは自分が想像以上に長い時間眠っていたことを理解した。


(気が緩んでる。あの魔族の目的が分かってないのに油断しすぎね)


 妹とは違いクローナはフラウダを親と思っているわけでも、信頼してるわけでもない。生存と生活の為に保護者的な立場の存在が必要なだけで、相手が自分達に危害を加えるつもりがあるのならば出し抜いてやろうと画策している。


(私達を兵士てごまとして利用する気ならニアのこともあるしこのままあの魔族について行っても良いけど、もしも他に何か思惑があるのなら……)


 クローナは特異体と呼ばれる自分達の希少性と戦術的価値を自覚していた。


(ニアにはあまり懐かないよう言うべき? ……いえ、ダメね。あの魔族を完全に母親だと信じている。情報が出揃うまではしばらく様子を見るほうが無難だわ)


 温かなシーツの誘惑を断ち切ってベッドから降りるクローナ。着替えをしようと視線を動かしたところで、ふと寝台の上にある本に気がついた。


(結局昨日は読まなかったわね)


 食事処を出た後、はしゃぐニアに連れ回される形となったので結局本屋によることはなかった。その事に少しだけ後ろ髪を引かれるような気持ちになりながらも、それを口にすることはないクローナ。そんな幼子に宿に戻ったフラウダがプレゼントしたのが寝台の上にある本だった。


「本屋によることができなかったから、代わりにこの本あげるね。友達の所で貰ったんだけど発禁書と言ってとても珍しい本なんだよ」


(どうしたんだろ? 私)


 本の背表紙を不思議そうに撫でるクローナ。本を開こうとして、しかし中を見る前に閉じる。この動作を昨日からもう何度となく繰り返していた。


(読むのを勿体なく感じてる? ……本は読むもの、そこにそれ以外の感情を混ぜるなんて無意味なことだわ)


 意を決したクローナが本を開こうとしたところでーー


「ネコちゃんさんだ!!」


 奇妙な叫び声を上げてニアが跳ね起きた。


「……ニア、何を言ってるの?」

「あっ、お姉ちゃんおはよう」

「おはよう、ニア」


 目が覚めたニアがいつものように自分に寄ってきたので、クローナはそんな妹の髪を撫でた。


「えへへ。あのね、あのね、お姉ちゃん。ネコちゃんさんが来るんだよ」

「ネコちゃんさん? とりあえずちゃんなのかさんなのか、はっきりした方がいいわよ」

「ネコちゃんさんはネコちゃんなんだけどね、でも年上の人なの。だからさんって付けないといけないんだよ」


 妹の髪を撫でていた姉の手がピタリと止まった。


「夢を見たのね、ニア。その夢の距離はどれくらいだった?」

「うーんと、ね。うーんと、ね。すっごく近かった。だからもうすぐネコちゃんさんと会えるんだよ」

「そう、それは……楽しみね」


 クローナはニアの頭から手を離すと、今まで開かれていたそれをーーギュッ、と拳の形に変えた。


 そして振るわれる一撃。姉に無邪気な笑みを浮かべていたニアは突然の暴力をーーヒョイっと首を傾げて回避した。


 クローナがいつもより心なし低い声を出す。


「頬にかすったわよ」

「う~~」


 ニアの小さな頰がぷくりと膨らんだ。


「そんな顔してもダメ。いつものニアならあの程度の拳速、泣いててもよけれたでしょ。少し気を抜きすぎよ」

「……訓練するの?」


 ジワリ、と銀色の瞳に涙が浮かぶ。


「しないわよ。これからはもうあんなこと強制されないの」

「……ほんと?」

「本当よ」


 再び妹の頭を撫で出したクローナは表情こそ優しげだが、その内心では舌を打っていた。


(私としたことが、あの魔族が私達を兵士として育てる気ならその内訓練を課せられるはず。今のうちに前言を撤回しておく?)


 出かけた言葉はしかしーー


「えへへ」


 コロコロと表情を変える妹の前で飲み込まれた。


「……強制はされないけど、強くなるための努力はこれからも続けたほうがいいとお姉ちゃんは思うわよ」

「どうして?」

「外には怖い人達がいっぱいいるからよ。自分の身を守る為には強さが必要なの」

「でもママがいるよ? 怖い人なんてママがやっつけてくれるもん」


 妹の言葉にクローナはふと疑問を覚えた。


(本当のところ、あの魔族の実力はどれくらいなんだろうか?)


 幼いながらも実力を見抜く目にそれなりの自信があるクローナではあったが、そんな彼女の目から見ても自称ママの実力はいまひとつはっきりしなかった。


(追跡してきた軍人は一蹴してたけど、目ぼしい隊は壊滅させた後だったし。疲労がピークでなければ私達でも勝てたはず)


 クローナは自分達の力はそこいらの大人を遥かに凌駕していると自負していたが、それと同時に幼い自分たちの欠点である持久力のなさが長期的な生存競走において決定的に不利であることも自覚していた。


「お姉ちゃん?」

「え? あ、うん。そうね。きっと倒してくれるわ」

「そうだよ! ねぇ、マ……」


 右を見て、左を見る。もちろんそんなことをしても部屋の中にフラウダはいない。


 ジワリ、とニアの瞳に涙が浮かんだ。


「お姉ちゃん、ママは? ママは……ヒッグ、ヒッグ……ど、どこなの?」

「ニア? 落ち着いて。多分ーー」

「びぇえええええん!! ママ!! ママどこ行ったの? ママァアアアア!!」


 思わず耳を塞ぎたくなるような大声。それが聞こえたのか、ガチャリと部屋のドアが開かれた。


「あらら。仲良くおしゃべりをしてると思ったら、今日も元気いっぱいですね」


 湯気の立つカップを手に持って入ってくるフラウダ。


「ママァァアアアア!!」


 涙をポロポロとこぼしながらニアはフラウダの足に引っ付いた。


「もうそろそろ起きる頃かと思って台所を借りて朝食を作ってたんだよ。今日はママの手作りご飯を味わせてあげる。あっ、ミルク飲むかい?」


 湯気のたつカップを目の前に持ってこられたニアはそれをじっと見つめた後、今度はフラウダの顔を同じようにジッと見つめた。


「あれ? いらなかった?」


 小さな顔がフルフルと横に振られる。涙の浮かんだ瞳のまま、ニアは無言でカップを受け取った。


「じゃあ朝食持ってくるからお姉ちゃんとテーブルに座っててよ」

「あの、食事運ぶのを手伝います」

「そう? クローナは偉いね」


 姉と母を交互に見たニアがフラウダのズボンを揺らす。


「ねぇ、ママ。ニアもお手伝いする」

「ありがと。ニアも偉いですね」

「えへへ」


 母親に頭を撫でられてニアは無邪気に微笑んだ。


「それじゃあこっちだよ。ああ、それとあとで詳しく話すけど、今日は昼からママのお友達が来るから仲良くしてあげてね」

「ネコちゃんさん? ネコちゃんさん達がくるの?」

「……ネコちゃんさん達?」


 フラウダの顔に浮かぶ笑み、それを前に妹の横にいたクローナがスッと前に出た。


「ニアは昔から猫を飼いたがっていて、偶にこんなことを言い出すんです。変な呼び方はどこで覚えたのか中々直してくれません」

「ふーん。……まぁ、今日来るのは優しい魔族だから大丈夫だけど、だからってあまり失礼なことしちゃダメだからね」

「ママ、失礼って何?」

「喧嘩の原因を作るってことだよ。喧嘩は分かるかい?」

「分かる! 私、ネコちゃんさん達と喧嘩なんてしないよ」

「そう、なら心配いらないね。さぁ、早くご飯にしよう」

「はーい!」


 そして元四天王は娘と手を繋ぎキッチンへと向かう。その後ろ姿をもう一人の娘がじっと見つめていることに、果たして彼女はーー

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る