第6話 幼き逃亡者達

「あー。びっくりした。まさかこんな所にチョルダスト君がいるとは」


 商業都市から幻想山脈を目指して北上を続けるフラウダは、初めて闇組以外の同胞に捕捉されたことで進路を大きく変更、現在は境界線を越えて人間領から幻想山脈を目指していた。


「やっぱりまだ僕のこと怒ってるみたいだな。デアとは上手くやってるといいんだけど」


 人目を避けて獣道を行くフラウダ。そんな彼女(あるいは彼)の唯一の話し相手は植物だけだ。


「あーあ。寂しいなぁ~。何処かに魔王軍を抜けた僕と一緒に居てくれる子はいないかな」


 条件を満たす何魔かの顔が脳裏に浮かぶが、フラウダは首を振ってその幻影すがたを振り払う。


「さすがにあの子達を誘うのはまずいよね」


 四天王であるフラウダが軍を抜けただけでも大損害なのに、それに軍団長クラスの魔族きょうしゃが何魔も続けば比喩ではなく国が傾きかねない。


 主を慰めるように植物達が囁いた。


「えっ……子供? それに帝国軍が?」


 予想外の事態に元四天王は不思議そうに首を傾げた。そしてーー



「ニア、もっと急いで!」

「お、お姉ちゃん、わ、私もう」


 日が完全に暮れた山の中をまだ幼い少女二人が一心不乱に駆けっていた。


「頑張って! もう少し、もう少しだから」

「ハァハァ……う、うん。ねぇ、お姉ちゃん」

「何っ!?」

「ま、魔族領に行けば、パパとママに……ハァハァ……会えるんだよね」

「そうよ。それだけじゃない。美味し物だって沢山食べられるし、もう痛い実験をされることもないのよ」

「えへへ。た、楽しみ」


 自らの嘘を間に受けて無邪気に笑う妹を前に、クローナは血が出るほどに唇を噛み締めた。


 皇帝軍暗部半魔部隊。それは人間と魔族の混血によって編成された、決して人の歴史には登場することのない部隊。二人はそこの脱走兵であり、半分とはいえ魔族の血を引く子供達は成人男性を優に凌ぐ速度で山を登っていく。だがーー


(このまま魔族領に行けてもお父さんもお母さんもいない。それどころか半分人間の血が流れている私達は魔族領でも……)


 絶望から抜け出そうと駆けっていた足が、希望を失うことを恐れて立ち止まる。


「ハァハァ……お姉ちゃん?」

「す、少し休もうか」

「え? でも……ハァハァ……わ、私まだ大丈夫だよ?」

「いいから、ね? ここで無理するとパパとママに会えないわよ」


 事実、激しく肩で呼吸をする妹の顔は蒼白で今にも倒れそうだった。


「う、うん。パパとママ……ハァハァ……怖い人達から守ってくれるかな?」

「と、当然じゃない! パパもママも凄く強いんだから。そ、それに凄く格好良くて綺麗なんだよ」


 クローナは溢れそうになる涙を妹から必死に隠した。


 聡い姉は知っているのだ。二人が生まれたのは決して両親が愛し合ったからではなく、ただ勝者と敗者の結果でしかないことを。二人が望む両親など、初めからこの世界の何処にもいないことを。


 だからこそクローナは祈る。


(神様! お願いです。妹は、ニアだけはこの地獄から救ってください)


 緊張と疲労で心臓が張り裂けそうな中、その祈りに応えたのはーー


「ワン! ワンワン!」

「いたぞ、こっちだ!」


 軍犬の叫びに殺気だった声が続く。ニアのまだ十にも達してない小さな身体が恐怖に震えた。


「お、お姉ちゃん」

「走って! 走るのよニア!」

「う、うん」


 二人は手を繋ぎながらも懸命に走る。だが既に限界を超えていた体は思うような速度を出してはくれなかった。


(ああ、ダメだ。このままだと捕まる。……こ、こうなったら)


「え? お姉ちゃん? ど、どうしたの?」


 走るのをやめた姉に疲労困憊な妹が不思議そうな顔を向ける。


「ここはお姉ちゃんが食い止めるから、ニアは一人で逃げて」

「えっ!? い、嫌だよそんなの」

「いいから! 早く行きなさい」

「ヤダ! 絶対嫌! そ、そうだ。パパとママが来てくれる。助けに来てくれるよ」

「そんな奴らい……」


 いない。咄嗟にそう叫びかけて、しかしすんでの所でクローナは堪えた。


 クローナも妹と同じく生まれが半人半魔というだけで全ての権利を奪われてきた。だからこそ妹の唯一の拠り所である両親おもいを壊すことはできなかったのだ。


(ああ。私達はここで終わるんだ)


 クローナは体を支えていた最後の気力いじが砕け散るのを感じた。


「そうね、きっと来てくれるわよ」

「うん。そうだよね。ねぇ、お姉ちゃん」

「なに?」

「私、パパとママに会えたらケーキ食べてみたい。ケーキって凄く甘いんでしょ」

「そうよ。口の中に入れるとフワッと溶けちゃうんだから」


 無論クローナにもケーキを食べた経験なんてない。本で知った知識を妹が楽しめるように語って聞かせているだけだ。


「お洋服買ってくれるかな。可愛いやつ」

「沢山買ってくれるわよ。もう穴だらけの服なんて着る必要ないんだから」

「お姉ちゃん」

「なに?」

「大好き」

「私も」


 強く抱き合う姉妹。二人を追う者達の気配はもう直ぐそこまで迫っていた。そしてーー


「ん? なんだこれ? ……蔓? うおっ!?」

「た、隊長? クソ! な、なんなんだ? 全然切れないぞ、コレ」

「グルル~! ワン! ワ……キャン!? キャンキャン!?」


 人間達の悲鳴に続いて軍犬の弱々しい声が響く。


「お、お姉ちゃん?」

「しっ! 静かに」


 異変を察知したクローナは妹の口を素早く塞いだ。沈黙を保ち、小さくなっていればやり過ごせるのではないか、そんな淡い期待が幼い相貌には浮かんでいた。だがーー


 ザ、ザザッ。


 無情にも姉妹を隠していた植物が一人でに動いて、か弱き幼子達の姿を暴く。


「くっ、走って! ニ……え?」


 動きかけた姉妹の足を止めたのは、危機感すら消失させる衝撃だった。


 命を結晶化させたかのような紅い瞳に生命の瑞々しさに満ち溢れた緑の髪。幼い瞳には月光を浴びて夜の森に君臨するその者は男のようにも女のようにも、また、それらを超越した別の幻想なにかのようにも映った。


「わぁ……きれぇ」


 茫然と呟くニア。生まれてこの方、世界の醜さばかりを見せられ続けた少女はこの時初めて本当の美を知ったのだ。


「こんばんわ。とても良い月夜ですね。こんな夜は得てして素晴らしい出会いがあるものです」

「だ、だれ?」


 クローナも女の美しさに魅入られてはいたが、妹を守る姉の使命感いじが口を動かした。


「私ですか? 私はですね……」


 彼女(あるいは彼)はその美しい相貌に花のような笑みを浮かべると、そっと両手を広げて見せた。そして言うのだーー


「貴方達のママです!」

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