第6話

 4台のパソコン画面いっぱいに映し出されたパンダが一斉に笑い始める。

「ふぉふぉふぉ」

 男の声を機械的に合成した不気味な音声だ。デスクにいた4人のソフィアニクス社員は右往左往するばかりでパソコンに触れようともしない。それもそのはず、ここにいるのは優秀なシステムエンジニアでもプログラマでもなく、和久井組のチンピラたちだ。パソコンなどまともに触れるはずは無い。


「そ、その画面を閉じろ、お客様の前で見苦しいだろう」

 深見は冷静を装いながら指示を出す。額にじっとりと汗をかいているのが見て取れた。深見には事務所内のパソコンが何らかのウイルス攻撃を受けていると察しがついていた。

「待ってください、それに似た症状を見たことがあります」

 榊が鋭い声でチンピラどもを制す。物言いは丁寧だが、威厳に満ちた声音にチンピラどもは条件反射で動きを止めた。


 さすがだ、と隣に座る千弥は榊の横顔をチラリと見やる。かつて麒麟会二次団体である柳沢組の若頭を張っていた男だ。深見とは比べようもない上に立つ者の風格がある。

「我が社は最近、ランサムウェアの被害に遭いました。社内のシステムがロックされて業務がしばらくストップし、非常に困りました。そのとき画面に出ていたのはパンダじゃなくて、確か黒地に赤色のユニコーンのマーク」

 千弥が思い出した、とばかりに両手を打つ。

「御社はセキュリティのアウトソーシングを謳っているプロでしょう。この状況でどう対処するか、ぜひ見せてもらいたいですね」

 榊が口角を上げて笑う。しかし、縁なし眼鏡の奥の鋭い瞳はじっと深見を見据えていた。


「それは企業秘密ですから、今日のところは」

 深見が立ち上がる。これ以上の醜態を晒さないために、榊と千弥を追い返すつもりだ。

 そのとき、ソフィアニクス社の扉を叩くものがいた。返事をする間もなく扉が開くと、そこに作業着姿の男が立っている。薄い水色のジャンパーに黒のスラックス姿、黒い肩掛けカバンを持った二人組だ。

「ビルの保守点検に来ました。失礼します」

「ちょっと待て、そんなもの頼んでねえぞ」

 事務所の番犬でもある古場は勝手に敷居をまたごうとした作業員を牽制する。


「保守点検だと言っている」

 作業着の男の一人が古場の前に立ち塞がる。かなりの長身だ。古場はその威圧感に思わず息を呑む。形の良い切れ長の瞳が冷ややかにこちらを見下ろしている。

「すみませんねえ、こちらも仕事なんで」

 もう一人が愛想を振りまきながら事務所に上がり込み、デスクの脇にカバンを置く。


「今立て込んでるんだ、後にしてくれないか」

 パンダの笑うパソコンを前に何もできないでいた安物の金時計の男が、ドスの効いた声で脅しをかける。

「すぐに終わりますよ、火災報知器の動作確認です」

 作業員は困った顔で天井を指さす。

「確認したら早く帰ってくれ」

 深見は理解のある素振りを見せ、榊と千弥に向き直った。

「最近は企業で扱う大事な情報資産を人質に取る手口が急増しています。これは我が社で行っている抜き打ちテストですよ」

 見苦しい言い訳だ。しかし、榊も千弥も見事にポーカーフェイスを貫いている。


「パソコンの電源を抜いちまえ」

 古場が金時計に耳打ちする。良い考えだ、電源を抜けばこのいまいましいパンダは消える。金時計がパソコンの電源ケーブルに手をかけようとした瞬間、その腕を長身の作業員が押さえ込んだ。

「勝手なことをされては困る」

 冷ややかな声。金時計はそれに苛立ち、歯茎を剥き出しにする。

「お前らは火災報知器のテスト屋だろうが、パソコンは関係はないだろう」

 金時計の怒声にも長身の男は怯える素振りを見せない。


「和久井組の若い衆はずいぶん威勢がいいですね」

 榊の言葉に、深見は顔を歪める。

「あんた、どうしてそれを」

「和久井組若頭、深見寿明。ここソフィアニクスは和久井のフロント企業だ。野良ハッカーをけしかけて企業にランサムウェアをバラ撒く手口、なかなか巧妙だった」

 深見は図星を突かれて奥歯をギリと噛みしめる。しかし、瞬時に狡猾な笑みを浮かべた。


「さすがグローバスフォース社、取引相手の情報は調査済みか。しかし、証拠は無い。とんだ言いがかりだ」

 グローバルフォース社にランサムウェアを仕込んだのはネット上で腕をひけらかしていた奴の一人だ。コンタクトは捨てアカウントのダイレクトメッセージで取る。海外複数サーバを経由し、どこから発信されたのか足がつくような真似はしていない。ソフィアニクスと関連性を示すことはできない。


「グローバルフォース社の件、成功したか。せっかく提案してやったのに、セキュリティ対策をケチるからだ。ははは、身代金の振り込みが楽しみだな。」

 パンダが喋り始めた。

「レッド・ユニコーンに振り込んでやれ、報酬は5万で提示してある。奴のランサムウェアは使える。他の候補先が無いか探しておく」

 深見は目を見開いて呆然としている。

「聞き覚えのある声ね」

 千弥がクスッと笑う。くぐもってはいるが、これは深見の声だ。身に覚えのある深見は青ざめた顔で震えている。グローバルフォース東京支社でランサムウェアが発動したと報告を聞いたときの会話だ。この事務所でビールを開けながらスマートフォンで話をしていた。なぜその音声がここに流れているのか。


「事務所の防犯システムをハッキングしたんだよ」

 画面のパンダがしゃべり始める。

「な、なに」

「このパソコンに残された悪事の記録は警視庁に送っておくよ、ふぉふぉふぉ」

 パンダが黄色い画面の向こうにフェードアウトした。すぐにメールソフトが勝手に立ち上がり、 ターゲット企業や要求金額、身代金の入金をリストしたデータが添付され、どんどんメールが飛んでいく。


「パソコンをぶっ壊せ」

 深見はなり振り構わず叫び声を上げる。古場はノートパソコンにガラス製の灰皿を叩きつけようとする。その腕を瞬時に長身の作業員が捻り上げた。

「何しやがる」

 腕が軋み、古場が呻き声を上げる。痛みのあまり手放した灰皿が机に転がった。

「この野郎」

 金時計が長身の作業員に殴りかかる。長身の作業員はすかさず灰皿を拾い上げ、縦向きにして金時計の拳を受けた。

「ぎゃああああ」

 ガラス製の灰皿を思い切り殴る羽目になり、金時計の拳が破壊された。絨毯にボタボタと血の雫が落ちる。金時計は傷みの余り床を転がりのたうち回る。


「相変わらず容赦無いぜ」

 榊が鼻で笑いながら長身の作業員に扮した曹瑛を見やる。

「貴様ら、グルか」

 深見が榊を睨み付ける。

「てめえ、ぶっ殺してやる」

 古場は怒りに任せて引き出しからドスを取り出した。窓際にいた男が着慣れぬスーツの上着を脱ぎ捨て、首をゴキゴキと鳴らした。ランニングシャツの胸元に般若の刺青がのぞく。金属バットを構えた男が曹瑛を挟み撃ちにする。

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