第5話
JR大崎駅を出発する外回りの山手線からその雑居ビルが確認できる。サイバーセキュリティ“ソフィアニクス”と書いた白地に黒文字だけの控えめな看板は、周辺の焼き肉店やマッサージ店の派手なデザインに埋もれている。
二階事務所のベランダで紫色のシャツに黒のスラックス姿の
山手線が通り過ぎた後、事務所の固定電話が鳴っていることに気が付いた。古場は面倒臭そうにタバコを揉み消し、手すりに吊り下げた空き缶に投げ入れた。
「ソフィアニクスです」
変な社名だと思いながら、古場は投げやりな態度で応対する。中古ショップで買ったパイプ椅子に大股開きで座り、一応メモを取る体勢になる。
「グローバルフォース社の企画室
やや低めの落ち着いた女の声だ。グローバルフォース社か、どこぞの企業なのだろう。そういった電話はすべて若頭の深見に転送することになっている。
「少々、お待ちください」
古場は短縮ボタンで深見のスマートフォンに電話を転送した。
ソフィアニクスは麒麟会系三次団体和久井組の若頭、深見の経営するフロント企業だ。深見はいわゆるインテリヤクザというやつで、パソコンを使って荒稼ぎしているらしい。
深見の舎弟である古場はこうして事務所で電話番をするのが仕事だった。時折事務所に胡散臭い健康食品や流行りのキャラクターグッズを詰め込んだ箱が届く。それを所定の場所に送るという命令もあった。深見は錬金術だと言っている。
読みかけの雑誌に手を伸ばそうとしたとき、電話が鳴った。
「古場、今日事務所に客が来る。俺が対応するからデスクにパソコンを並べておけよ。それと、スーツ着せた若衆をあと2人、いや3人用意しろ。パソコンの前に座ってりゃいい」
「はい、分かりました」
時間は十一時、あと一時間後だ。ここはシステム系の会社ということになっているが、業務の実体はない。人やものの手配も古場の仕事だった。見目のまともな舎弟を呼ばなければ。
深見もここに来るというからよほどの金づるなのだろう。古場は雑誌を乱雑に引き出しに放り込み、ダミー社員集めに電話をかけ始めた。
***
約束の11時きっかりにグローバルフォース社の小坂田が深見を訪ねて事務所にやってきた。ライトグレーのサマースーツに黒いシャツ、長い髪をまとめ上げナチュラルメイクの清潔感のある女だ。こういうのをキャリアウーマンというのだろう。いけ好かない、と古場は思った。
小坂田と共にやってきた黒いスーツにグレーのシャツ、ダークブルーのタイを締めた男はもっといけ好かない。長めの前髪を後ろに流し、ハンサムと言える精悍な顔立ちをしている。縁なし眼鏡は知的な印象を与えるが、こちらを見据える目は極道顔負けの光を放っていた。
グローバルフォース社はニューヨークに本社を置く外資系企業で、東京赤坂に支社を構えている。業績も右肩上がりのまさに超優良企業、ここに来た企画室の二人の佇まいもエリート然としている。
「ソフィアニクス取締役、深見と申します」
接客スペースで深見は深々と頭を下げる。ワックスで撫でつけたやたら艶のある黒髪、一重まぶたに細い鼻筋、口許にはずる賢い印象を与える笑みが浮かぶ。品の悪さが隠し通せていない。
「グローバルフォース社 企画室マネージャーの
榊は偽名を印刷した社の名刺を手渡す。小坂田を名乗った千弥は済ました顔で上司に付き添う部下を演じている。
「先日、御社から社内セキュリティのアウトソーシングの提案を受けまして、ぜひ前向きに検討したいと思っています」
千弥は営業スマイルを浮かべる。
「それはどうも、ありがとうございます」
深見は大仰に喜んでみせるが、餌に食いついたと内心はほくそ笑んでいた。グローバルフォース社にはアウトソーシングの営業に出向いたが、受付で当然の如くあっさり断られ、腹いせに標的にすることに決めた。
深見はグローバルフォース東京支社にランサムウェアを感染させるよう部下に命じた。自分たちの手は汚すことなくネットで声をかけた素人に実行させる。
もし実行犯として彼らが捕まっても証拠を残す真似はしていない。連絡を取るのは使い捨てのSNSアカウントやデタラメのメールアドレスだ。仮想通貨で支払われた身代金は、手数料を取られるもののダミー口座に入るよう手続きしてある。
実のところランサムウェアで身代金の支払いがあれば御の字、別の狙いはアウトソーシングで保守業務を契約させることだ。実働は借金で首が回らない下請けの零細システム会社だ。保守契約の1割程度の金で仕事をさせる。これが複数社となれば安定した収入だ。
グローバルフォース社はランサムウェア騒ぎで対策を急いでいるに違いない。背に腹は代えられぬ思いだろう。
「御社のスタッフはそちらの4名だけですか。アウトソーシング実績は82社、かなりの企業数ですが」
榊がオフィスをちらりと見やる。がらんとしたデスクにノートパソコンが4台、余り賢そうに見えないスーツ姿の男が画面に向かっている。
「ええ、優秀なスタッフが在宅ワークで対応していますから、出社しているのは必要最小限なんですよ」
その返答は用意しているらしく、深見は流暢に話す。
「あ、なんだこれ」
デスクの方から間抜けな声が聞こえる。深見が険しい顔で振り返ると、ノートパソコンの画面一面が黄色になっている。その隣も同じだ。
「フリーズしたのか」
「しかし、こんな黄色い画面になるか」
デスクのスタッフが首を傾げている。対面にいる二人のパソコンも同じ画面になっているようだ。
黄色い画面に突然、コミカルなパンダの絵が現われた。
「なんだこりゃ」
「誰のいたずらだ」
スタッフは対処法が分からず、慌てふためいている。深見は怒鳴り散らしたいのを必死で堪えている。せっかく優良企業との契約にこぎつけられそうなのに、ここで醜態をさらせば話が消えてしまう。
深見の焦りをよそに、榊と千弥は顔を見合わせてほくそ笑む。
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