第7話

 坊主頭が金属バットを構え、曹瑛にじりじり近付いてくる。古場と般若の刺青の男はドスを突き出し、曹瑛を威嚇する。

「泣きを入れるなら今のうちだぜ、指の骨折るくらいで許してやろうじゃないか」

 般若が歯茎を剥き出しにして笑う。曹瑛は挑発に乗ること無く、3人の動きを視線で牽制する。この男、只者ではない。若い頃はそれなりに場数を踏んできた深見は無意識に唇を噛む。武器を持ったチンピラ3人を相手に、命乞いをするどころか至って冷静に状況を観察している。


「この野郎っ」

 緊張感に堪えかねた坊主頭が金属バットを振りかぶった。曹瑛は振り下ろされる金属バットを上半身の動きだけでかわす。それに乗じた般若が曹瑛の脇腹をドスで狙う。

 曹瑛は勢いづいて前のめりになった坊主頭の首を掴み、スチール製の机の角にぶつけた。鼻の骨が折れる鈍い音がして、坊主頭は顔を押さえて情けない呻き声を上げる。曹瑛は般若のドスを重心を移動させて避け、ドスを持つ手首を押さえ込んだ。


「す、凄い力だ、クソッ」

 長身だが細身の曹瑛に万力のような力で手首を押さえつけられ、般若は悪態をつく。出遅れた古場がドスを振りかざして曹瑛に突っ込んできた。曹瑛はキャスター付きの椅子を蹴り飛ばす。古場は椅子に激突し、転倒した。

「ちくしょう」

 鼻を粉砕された坊主頭が怒りに任せて涙目で金属バットを振り回す。

「ひえっ、危ない」

 伊織が慌てて電源ケーブルを引っ張り、ノートパソコンを金属バットの襲撃から守る。パソコンにはサイバー犯罪の証拠が詰まっている。壊されるわけにはいかない。


 曹瑛は般若の手を捻り上げ、ドスを取り上げる。じたばたと見苦しく暴れる般若のこめかみをドスの柄で殴り、気絶させた。

「ふざけやがって」

 古場が椅子を頭上に振り上げて曹瑛に投げつけようとする。曹瑛は坊主頭が振り回す金属バットを奪い取り、古場の鳩尾を突いた。

「げふっ」

 鳩尾に強烈な一撃を食らい、古場は椅子を手放して床に蹲る。坊主頭が曹瑛の顔を狙い、拳を繰り出した。


 坊主頭は動きを止めた。曹瑛のドスが喉元に突きつけられている。

「ひいっ」

「死にたくなければ動くな」

 曹瑛の低い声と静かな殺気に、坊主頭は息を呑む。この男はいつでも自分の喉元を掻き切ることができるだろう。坊主頭は観念してガックリと脱力し、両手を下ろした。

「極道を舐めるな」

 古場が胸元から自動小銃を取り出し、曹瑛を狙う。引き金にかける指が震えている。人を撃ったことなど無かった。しかし、ここまで面子を潰されて生きて返すわけにはいかない。


「安全装置を解除していないのに、撃てるのか」

 曹瑛の冷静な言葉に、古場は慌てて手元の銃を確認する。安全装置がロックされていれば引き金を引くことはできない。

 ガンッと音がして、後頭部に衝撃が走った。ゆっくり振り返ると、デスクの引き出しを持ったもう一人の作業員だ。古場は頭を撫でながら怒りに顔を歪めている。

「ひえっ」

 その恐ろしい形相に、伊織は思わず引き出しを手放した。それが古場の足の上に落ちて、古場は叫び声を上げる。


「この野郎、ふざけやがって」

 古場が伊織に向けて銃を構えようとした瞬間、背後から曹瑛の腕が伸びて瞬時に安全装置をロックした。

「なっ」

 安全装置は解除されていたのだ。曹瑛は銃身を押さえ込み、素早く捻る。

「ひぎゃあ」

 引き金にかけていた古場の指がおかしな方向に曲がっている。指の骨が折れたのだ。曹瑛は自分の奇妙な形の指を見つめて愕然とする古場の首筋を銃把で殴り、気絶させた。


「全員動くな」

 なり振り構っていられなくなった深見は、千弥を羽交い締めにして首筋にドスを突きつけている。

「ふざけた真似しやがって」

 深見は顔を真っ赤にしてこめかみに血管を浮き立たせている。怒り心頭なのが見て取れた。千弥は深見を刺激しないよう大人しくしたがっている。榊と曹瑛、伊織は目配せをする。榊がチラリと天井を見て、ニヤリと笑う。


「何がおかしい」

 深見は千弥の首を締め上げながら叫ぶ。榊の目線を追うと、そこには防犯カメラがあった。この映像も何者かに録画されているとしたら。

 不意に、事務所のドアをノックする音が聞こえる。

「大丈夫ですか、この事務所で人が倒れていると通報がありました」

 二人組の警察官だ。警察官は事務所に倒れている男たちを見て、異常事態に気付き顔色を変えた。そして、女性を羽交い締めにしてドスを突きつける深見を見つける。


「お前、何をしている」

 警察官の叫び声に、深見は動揺する。その隙を突いて千弥は深見の足をパンプスで踏み抜いた。

「ぎゃっ」

 深見は腕の力を緩めた。千弥は深見のドスを持つ手首の関節を極めて腕を捻り上げる。深見は床に膝をつき、ドスを手放した。榊はすぐさまドスを足で押さえて蹴り飛ばし、深見から遠ざける。

「緊急逮捕だ」

 警察官は二人がかりで深見を押さえつけ、応援を要請する。

「大丈夫ですか」

「ええ、とても怖かったわ」

 千弥は口許に手をやり、若い警察官に困った顔を向けた。伊織と曹瑛は警察官に気付かれぬよう、そそくさと事務所から抜け出した。


 ***


 遠くで船の汽笛が聞こえる。夕闇に都会のネオンが輝き始めた。ライトアップされたレインボーブリッジを臨むお台場のビアテラスでグラスを掲げる。

「乾杯」

 榊と千弥と高谷、伊織は生ビール、曹瑛のジョッキには烏龍茶が注がれている。日中の暑さはほんの少し和らぎ、吹き抜ける海風が涼を運んでくる。テーブルにはシーザーサラダ、生ハムにサラミ、チーズが並ぶ。ウッドデッキをランタンの優しい光が照らしている。


「みんな、本当にありがとう」

 千弥が丁寧に礼を言う。グローバルフォース社東京支社を狙ったランサムウェア“レッド・ユニコーン”は高谷のプログラム解析のおかげで感染から4時間でロックを解除することができ、被害は最小限に留めることができた。

 “レッド・ユニコーン”を仕組んだ高校生、小早川琉生は父親と共に警察に出頭したそうだ。グローバルフォース社では彼を訴えることはしないと決定したため、警察では厳重注意で解放された。その後、東京支社にも父親と謝罪にやってきたという話だ。

「クソガキも反省しただろう」

 榊はサイコロステーキをつつきながら美味そうにビールを煽る。


 背後で暗躍していた和久井組のフロント企業ソフィアニクス取締役の深見は千弥への脅迫の他、事務所から押収されたパソコンから証拠が続々と発見されてサイバー犯罪の余罪も厳しく追及されている。

 事務所にいた構成員が銃や刃物などの武器を所持していたことも重く見られ、和久井組は解散に追い込まれるだろう。


「あのパンダは愉快だったね」

 伊織はソフィアニクスのパソコンをハッキングしたときに使った黄色い背景のコミカルなパンダのイラストを思い出す。

「うん、この間曹瑛さんが着ていたTシャツをヒントに作ってみたんだ」

 高谷からそれを聞いた榊は思わずビールを吹きそうになった。夏場は厨房が暑いので、部屋着のTシャツに短パンで仕込みをしてるらしい。


「シュラスコはいかがですか」

 シェフが焼きたての大きな肉の塊を串に刺してやってきた。赤身の残る柔らかい肉に、刻みタマネギがたっぷりの特製ソースをかけて食べる。

「ライアンの見立ては確かだったわね」

 ライアンは高谷の才能を見抜いていた。今回の高谷の鮮やかな手腕に、千弥は感心しきりだ。

「まあね、でもただの趣味だよ」

 高谷ははにかみながらサラダのプチトマトを口に放り込んだ。


 しばらく席を離れていた曹瑛はスイーツビュッフェを物色してきたらしく、皿にスイーツやフルーツを山盛りにして戻ってきた。済ました顔で椅子に座り、足を組んで早速たまごプリンを口に運ぶ。

 榊のタブレットからコール音が鳴る。ライアンからのビデオチャットだ。

「やあ、英臣。結紀と、皆にも世話になったね」

 高谷は榊の横から画面を覗き込み、笑顔でピースサインをしている。ライアンは目を細めて微笑む。


「ところで、夏のバカンスは日本に行こうと思っているんだよ。クルーザーを借りて海に出よう。新しい水着を買ったよ」

 榊はタブレットを千弥に押しつけ、ウエイターにブランデーを注文した。千弥は苦笑する。ライアンはまだしゃべり続けていた。

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