東京セレナーデ

第1話

 夕闇に高層ビルの灯が瞬き始める頃、赤レンガの駅舎が柔らかな光に浮かび上がる。仕立ての良いスーツを着こなした丸の内のエリートたち、旗を掲げるガイドについて歩く団体客は敬老会のメンバーだろうか、旅行カートを引いた若い女性の二人組は東京観光を楽しみにやってきたのだろう。

 高層建築の谷間に立つレトロモダンな趣の駅舎、ここは時代と人が交錯する場所だ。ライトアップされた壮麗な東京駅丸の内駅舎をバックに立ち止まって記念撮影をする観光客も多い。カップルは親密に肩を寄せ合い、スマートフォンで自撮りしている。


 東京ステーションホテル1階ロビーラウンジで、榊は人待ちをしていた。シャドウストライプの入った黒のスーツにミッドナイトブルーのタイがシックな装いだ。温かいルイボス・キルシュブリューテを口に含む。チェリーとバラの花びらをブレンドした濃厚な味わいのお茶だ。チェリーのフルーティーな香りが鼻にすうっと抜ける。


 健康的な睡眠のため、寝る前のカフェイン摂取はできるだけ避けている。ルイボスティーは自宅でも常備しているが、フレーバーがついたものも悪くないと思う。

 その横で長い足を持て余すように組んで座るのは曹瑛だ。黒いスーツに臙脂色のタイを締め、澄ました顔で抹茶ラテを啜る。濃い茶の風味に甘いミルクがマッチした上品な味わいだ。榊の面倒ごとに付き合わされているのが不服らしく、先ほどまで不機嫌全開だった曹瑛だが極上の抹茶ラテに幾分表情が和らいでいる。

 

「すごく香りが良い」

 伊織はパステルグリーンのストライプが涼やかなカップで香り高いアールグレイを楽しんでいる。ロビーラウンジの高級サロンの雰囲気に気後れする伊織はさきほどから緊張しきりだったが、芳醇なお茶の香りに顔を綻ばせた。

「ベースは祁門紅茶、ベルガモットにホワイトチップを加えて香りを高めている」

「へえ、アールグレイにも中国茶が使われるんだね」

 曹瑛の解説に、伊織は目を丸くした。曹瑛が中国茶に精通していることは知っていたが、英国紅茶にも詳しいとは。もとは中国茶がルーツであれば当然なのかもしれないが、知識の深さに驚かされる。

 

 高谷はロイヤルミルクティーを選んだ。砂糖を入れずとも甘い香りがふわりと口の中に広がる。飲み物だけでランチがいける値段だ、とメニュー表を見て驚いていたが、深い味わいに納得した。しかし、場所代が半分以上含まれているであろう値段に、自分だけでは来ることは無いとしみじみ思った。

 

「やあ、待たせたね」

 満面の笑みで手を振りながらやってきたのはライアン・ハンターだ。ニューヨークに本社を置くコンサルタント会社グローバルフォース社CEOにして、アイルランド系マフィアの二代目という裏の顔を持つ。

 艶やかなブロンドに、白いスーツ姿は誰もが目を引く華やかさで、上品なロビーラウンジの雰囲気に見事に馴染んでいる。榊はライアンの姿を見てルイボスティーを危うく吹きそうになり、必死で踏みとどまった。曹瑛は目を合わせないようそっぽを向いている。伊織は手を振り返し、高谷は呆れて眉根をしかめる。


「せっかくの来日の機会なのに、今回は時間がタイトでね。無理を言って悪かったね」

 ライアンは悪びれもせずに榊の横に腰を下ろし、優雅な仕草で足を組む。榊はずり落ちた縁なし眼鏡を人差し指で持ち上げ、パーソナルスペースが近すぎるとわざとらしい咳払いで抗議する。

 ライアンはグローバルフォース社日本法人の幹部会に参加するためにニューヨークからやってきて、とんぼ帰りでニューヨークへ帰るという。どうしても烏鵲堂のみんなと東京観光をしたいというので、ここ東京駅に集まったのだ。


「しかし、ずいぶん派手な格好だな」

 ライアンは上質なオフホワイトのスリーピースに白いシャツ、靴まで白に揃えている。ネクタイは光沢のある上品なラベンダーだ。前髪にかかるブロンドをかき上げると仄かに香るエゴイストプラチナムに悪夢が蘇り、榊は辟易する。

「私は明るい色も好みでね、ニューヨークのオフィスでは普段から着ている。」

 ライアンは柔らかい笑みを浮かべる。


「そんな派手なスーツ着るの、日本じゃホストクラブのキャストかお笑い芸人だよ」

 高谷は唇を尖らせてライアンに皮肉を投げかける。ライアンは洗練された佇まいで白いスーツを完璧に着こなしているが、この高級ラウンジを一歩出れば東京駅の雑踏の中だ。これは結構こっ恥ずかしい。しかし、ライアンは穏やかな笑みを崩さない。これがセレブの余裕か。


 ロビーラウンジで食事を済ませ、丸の内駅舎の前に立つ。すっかり陽は落ちて夜空に林立する高層ビル群とレトロな建物が調和する美しい夜景を皆で眺める。

「なんと美しい街だ。東京はとても魅力的だよ」

 ライアンはうっとりと赤レンガの駅舎を見つめる。温かい色味のライティングがロマンチックな情景を演出している。


 伊織も東京駅にはひとかたならぬ思いがある。一大決心をして就職のために東京へやってきたとき、期待と不安がない交ぜになった気持ちでこの駅舎を見上げた。仕事がつらくて故郷に帰ろうかと思ったときは、駅まで荷物を持ってやってきたが最初の気持ちを思いだして踏みとどまり、もう少し頑張ろうと奮起した。

 そして、龍神を巡る戦いで、曹瑛とここに立ち共に戦うことを決意した。気が付けば、曹瑛も駅舎を見上げていた。

 伊織の視線に気が付いて気恥ずかしくなったのか、曹瑛はふいと顔を逸らした。


「みんなで記念撮影をしよう」

 東京観光の思い出を残したいというライアンに、高谷がスマートフォンを取り出す。

「紹介するよ、彼はニューヨークで活躍する気鋭のフォトグラファー、リッチー・エヴァンスだ」

 ライアンの横に口髭を生やし、モスグリーンのブルゾンにジーンズ姿のいかにも業界人といういで立ちの男が立っている。肩にはレンズを入れたバッグと高そうな一眼レフを下げている。

 突然のプロのカメラマンの登場に、スマートフォンを手にした高谷は唖然としている。観光にやってきて友人同士スマートフォンで写真を撮影する気軽なノリでは無いらしい。


「やあ、よろしく」

 リッチーは愛想の良い笑顔を浮かべる。フリーで活躍するベテランカメラマンで、写真集も二冊出しているほどの腕だという。「街と生きる人」をコンセプトに、都会の情景とその中で生き生きとした人間模様を描く写真が得意だとライアンが説明する。

「東京駅は最後のお楽しみだ」

 ライアンは行幸通りを歩き始める。行き先は下調べをして決めているようだ。


 大きなあくびをして踵を返そうとした曹瑛の腕を榊ががっちり掴む。

「曹瑛、逃げる気か」

 榊は縁なし眼鏡の奥から鋭い瞳で曹瑛を射貫く。

「明日も店がある。もう眠い、俺は帰る」

 曹瑛は榊の眼光に動じることなく、ふてぶてしい態度を崩さない。

「なにより奴の狙いはお前だ、榊。お前が相手をしてやればご機嫌だ。全てが丸く収まる」

「薄情にもほどがあるぞ」

 榊が必死の形相で曹瑛に迫る。曹瑛に掴みかかる勢いだ。ライアンの熱烈なモーションを避けるには的が多い方がいい。榊はなり振り構っていられない。


「二人とも相変わらず仲がいい、妬けるじゃないか」

 気がつけば、ライアンの接近を許していた。割り込んだライアンに背後から肩を抱かれて曹瑛と榊は揃って息を呑む。

「行こう、この先雰囲気の良い街並みがある」

 強引なライアンに腕を組まれて榊は白目を剥いている。曹瑛は腰に回そうとした手をはたき落とした。


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