第4話
見るからに素行の悪そうなサラリーマンたちが曹瑛と榊を取り囲む。皆酒に酔って気分が高ぶっている。
「ここは公園だよ。喧嘩なんてやめよう」
伊織が見かねて曹瑛と榊を止めに入る。二人が本気を出したらこんなチンピラ共はひとたまりも無い。
「引っ込んでな、チキン野郎」
カッターシャツの下に派手な柄物Tシャツを着た茶髪ツーブロックがワンカップのガラス瓶を伊織に向かって投げつけた。
「うわっ」
この至近距離では避けきれない。伊織は身を竦めた。曹瑛が伊織にぶつかる前にガラス瓶をキャッチする。それを不良サラリーマンたちのブルーシートに放り投げる。
「コイツ、ビビってやがる」
不良サラリーマンたちは大声で囃し立てる。
「この男は貴様らを助けようとした。その心遣いがわからないようだ」
曹瑛は無表情で戦闘に立つリーダー格のピンクシャツを見据える。怒りの感情をぶつけてくるでもない曹瑛の態度に不気味なものを感じた。しかし、仲間の前で面子を潰されたくないという思いが勝った。
「強がり言ってんじゃねえぞ」
ピンクシャツは巻き舌で怒鳴り散らす。上背のある曹瑛を見上げる様は端から見てひどく滑稽だ。
「榊ちゃんと曹瑛さまを助けなきゃ」
薫が腕まくりをする。鍛えられた筋肉質の腕が覗いて高谷は思わず二度見した。麗華に負けず劣らず腕っぷしには自身がありそうだ。花見の席で身体がたるまないようトレーニングを欠かさないと言っていた。なるほど頷ける。
「榊さんも曹瑛さんもめちゃくちゃ強いから大丈夫、俺は奴らの方が心配だよ」
高谷は小さくため息をつく。
「そうなの、私たち出番無しね」
麗華は残念そうに肩を竦めた。
頭にストライプのネクタイを巻いた男が先陣を切った。榊に向かって殴りかかる。榊は悠々とそれを避けた。酔っ払いのへなちょこな拳は空を切った。勢いづいたネクタイ男は桜の幹に顔面からぶつかる。それを見た仲間たちは笑い転げている。
「お前の顔、気に入らねえ」
ピンクシャツが曹瑛に蹴りを放つ。曹瑛がその脚を蹴り上げると、ピンクシャツはバランスを崩していとも簡単にその場に転倒した。何が起きたか分からず、目をしばたたかせながら間抜けな顔で曹瑛を見上げている。
榊と曹瑛はほとんど手を出していないのに二人があっさりとやられたことで、不良サラリーマンたちはざわつき始めた。
「何やってんだ、相手は二人だ。全員でかかれば余裕だ」
一番ガタイの良い茶髪ツーブロックが仲間を鼓舞する。
「でもよ、やばくねえか」
「あいつの目つき、只者じゃねえよ。テレビの格闘番組に出てる奴より怖ぇ」
及び腰になる仲間をツーブロックが蹴り飛ばす。
「くだらない、時間の無駄だな」
曹瑛が一歩踏み出した。伊織と高谷は青ざめる。二人は慌てて曹瑛の腕を両側から引っ張って止める。
「邪魔をするのか、俺は早くアップルパイが食いたい」
曹瑛が殺気を放ちながら伊織と高谷を見下ろす。榊が品川グランドパレス2階カフェの名物スイーツ、紅玉りんごと滑らかカスタードのアップルパイを買ってきており、ツイスターで一汗かいて食べようという話になっていたのだ。しかし、不良サラリーマン共にレジャーシートを占領されたこの状態ではそれは叶わない。
「お前、さっきからえらく本気だと思ったら、アップルパイが目的だったのかよ」
榊が呆れて曹瑛を見やる。曹瑛は無言のまま、揺らぎ無い意思を示している。
「ふざけやがって」
茶髪ツーブロックが額に血管を浮かせている。顔が赤いのは酒のせいだけではなく、怒りのせいだ。
「若」
落ち着きのある低い声。懐かしい響きに榊が振り向けば、そこには榊原組若頭の大塚が立っていた。背後には構成員と思われる若者たち十名ばかりを連れている。
「大塚、こんな場所で会うとはな」
榊は表情を綻ばせる。
「坊ちゃんもお元気そうで」
大塚は高谷にも声をかける。いかつい髭面の男が優しい笑顔を見せた。大塚とは榊と高谷が小田原の榊原家にいたときからの付き合いだ。特に高谷はまだ幼かったし、大塚はその成長を見守ってきた。いつまで経っても守ってやりたい子供のようだ、とこっそり榊に話していた。
「な、なんだてめえら。仲間を呼びやがったのか」
茶髪ツーブロックは突然現われた榊の知り合いに、焦りを感じている。大塚は仕立ての良いスーツ姿、背後に控える男たちも身なりの良いカジュアルな装いだが、醸し出す雰囲気が違う。チンピラ風情のそれではない。
桜の木の下でのびていたピンクシャツが鼻血を拭きながら戻ってきた。
「お、おい、やべえよ」
ピンクシャツは大塚の顔を見るなり怯え始めた。
「はぁ」
茶髪が悪態をつく。ピンクシャツはその頭を思い切りぶん殴り、大塚に向かって頭を下げる。
「大塚さん、大変失礼しましたっ」
ピンクシャツは深々と頭を下げたまま、震えている。口の中が一気にカラカラに乾き、額から脂汗が流れ落ちるのを感じた。
「楽しい花見の席だ、綺麗な花に笑われるようなことするんじゃねえぞ」
大塚はピンクシャツの耳元でドスの効いた低音を響かせる。ピンクシャツはさらに頭を下げ、大慌てでブルーシートをたたみ始めた。
「おい、忘れ物だ」
榊が周囲に散らかるビール瓶やおつまみの袋を見やる。茶髪ツーブロックが引き攣った愛想笑いを浮かべながら、慌てて自分たちが出したゴミを回収を始めた。
「なあ、誰なんだよあの人」
「バカ、あの人は俺たちの得意先、大和プラントの取締役だぞ」
「げっ、それって榊原のフロントじゃん」
不良サラリーマンたちは小走りで退散しながら、とんでもない相手に目をつけられたと怯えている。
大塚は横浜のプラント管理会社の取締役を務めている。榊原組のフロント企業で、売上げは組の収益にもなっている。不良サラリーマンたちは大和プラントに大型機械を納品、メンテナンスしている工場の社員だった。大和プラントは上得意に当たる。へそを曲げられて受注が無くなれば、会社は消し飛ぶ。酒の酔いはすっかり覚めていた。
「俺たちはこれで失礼します」
大塚は丁寧に頭を下げる。構成員たちも良い面構えだ。きっと大塚がしっかり面倒を見ているのだろう。
「ああ、また店に来てくれ、一杯おごる」
榊と高谷は大塚に手を振った。
「かっこいいわぁ」
薫が大塚の背中を見つめてときめいている。
「あんた、浮気性ね」
麗華はその様子を見て呆れている。
「あれ、もしかして」
伊織がツイスターシートの端を指さした。風でシートが飛ばないよう石の重りを載せている。榊は目を細める。
「あ、明美」
榊はシートの端にしゃがみ込む。そこには石に擬態するように、手足を引っ込めた明美がいた。首をにゅっと出したが、榊と目が合ってまた引っ込めた。
「もしかして、明美さんずっとそこにいたのかな」
高谷も驚いている。あれほど探したのに。
「騎馬找馬ということか」
「馬に乗って馬を探す。日本でいうと灯台もと暗しって意味だね」
伊織の言葉に、曹瑛は頷く。明美が見つかってお祝いムードの中、榊が曹瑛お待ちかねのアップルパイの箱を開けた。
***
夕闇迫る神保町、店じまいをした烏鵲堂に榊と高谷がやってきた。
「この間は世話になった」
榊は差入れに地下鉄駅を出てすぐ“だるま”の鯛焼きを持ってきた。片付けを終えた曹瑛が椅子に脚を組んで座り、さっそくつぶあんを取り出してかぶりついた。
「ありがとう、榊さん。いただきます」
テーブルを借りて雑誌原稿を書いていた伊織もひとつ手に取る。ここの鯛焼きは大きな良質なあんと大きな羽根がついているのが特徴だ。羽根が好物の伊織は最初に頭からかぶりつく。最後に残った羽根だけを食べるのがおつなのだ。
「これを見てくれ」
榊がケースの蓋を開けた。中から明美がのそのそと這い出してきた。甲羅にはライトグリーンの小型ペット用ハーネスがついている。
「曹瑛が紐でも繋いでおけと言っていただろう。あるもんだな、小型ペット用の紐」
榊は初めての環境に慣れず、きょろきょろと周囲を見渡す明美を愛おしい目で見つめている。
「あ、ああ、それは良かったな」
何度も明美の逃走を許す榊を揶揄しただけなのに、まさか本気にするとは。曹瑛と伊織は顔を見合わせる。
曹瑛が春摘みの西湖龍井をグラスに淹れてもってきた。
「鯛焼きには緑茶が合う」
榊は上機嫌で鯛焼きを頬張っている。
「そう言えば、薫と麗華がお前に会いたがっていたぞ」
今度店でツイスター大会をしようと盛り上がっているらしい。榊の言葉に曹瑛は茶を吹き出しそうになった。この話は絶対にライアンには黙っていようと高谷は想った。
「あ、明美がいない」
伊織が足元を指さす。榊の手首に繋がれたハーネスは空になっていた。
「な、なんだと」
榊は青ざめて立ち上がる。手首の先にぶら下がるライトグリーンのハーネスを見つめて呆然としている。
「明美、これはお前の自由を奪った俺へのささやかな抵抗なのか」
榊は自問している。曹瑛はその横で冷静にスマートフォンの画面を見つめている。
「ネットショップのサイトには脱走事例が報告されているぞ」
「なんだって」
榊は唸り声を上げながら頭を抱えた。高谷は気の毒そうな表情でそれを見つめている。
不意に、階段を上がってくる足音が聞こえてきた。閉店後に裏口からやってくる面子は限られている。
「ひさしぶりやな、ここに来れば誰かおると思たわ」
劉玲と孫景だ。
「なあ曹瑛、これ食材か」
劉玲が手にしたものをひょいと示した。その手に掴んでいるのは手足をばたばたさせている明美だ。榊は目を見開いて明美に飛びつく。
「劉玲、これは俺の大事なペットだ」
榊は劉玲に詰め寄る。劉玲はその剣幕に引き気味だ。明美を取り戻し、大事にケースに返してやる。高谷はホッと胸を撫で下ろす。それを見ていた曹瑛は笑いを堪えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます