第2話

 丸の内仲通りは晴海通りと東京駅前の行幸通りを結ぶ丸の内のメインストリートだ。近代的なオフィスビル街だが、ハイブランドショップや、レストラン、カフェなどが軒を連ねる。かつては銀行店舗が並ぶ無機質なビジネス街だったが、ショッピングやグルメを楽しむ店舗が増え、活気に溢れる街となった。


「オフィス街なんて見慣れているんじゃないの」

 ライアンのオフィスは超高層ビルの並ぶマンハッタンの6番街にある。いけ好かないが、洗練されたニューヨーカーだ。高谷が純粋な疑問を投げかける。

「ニューヨークのビジネス街とはまた色合いが違う、整然とした美しい街並だ。道幅に統一感があり、これだけ街路樹が並んでいるのにとても綺麗に管理されている。それに道路沿いの建物の高さも制約を設けているようだね」

 仲通りを歩きながらライアンは周囲を興味深く観察している。そういう視点なのか、と高谷は恐れ入った。両脇のけやき並木はライトアップされ、通りに彩りを与えている。


「あちら側へ渡ろう」

 ライアンが横断歩道を渡る。曹瑛は後に続きながらカメラマンのリッチーが先ほどから隠密のようにカメラを構えている様子に気が付いた。きっちりプロの仕事をこなしている。暗殺者時代なら、写真を撮られることは死に直結する危険があった。写真が出回り、懸賞金がかけられた同業者も少なくはない。曹瑛はおもむろにスーツの胸ポケットからサングラスを取り出してかけた。


「都会の中に突如現われる神殿、まさに古典主義様式の最高傑作だ」

 ライアンはコリント様式の列柱を見上げる。柱頭はアカンサスの葉飾り彫刻がついている。

「明治生命館か、昭和期の近代建築として国の重要指定文化財に指定されている。マッカーサーも2階会議室で演説を行ったそうだ」

 榊がライアンの横に並ぶ。背後には30階建ての明治安田生命ビルがそびえ立つ。


「こんな場所があるの、知らなかったよ」

 伊織が雑誌記事のネタに写真を撮影して周りたいという。

「俺もこの辺ちょっと見て回りたい」

 建築物が好きな高谷も興味を惹かれたようだ。

「では、少し歩こう英臣」

 ライアンが榊を誘う。重厚な石造りの壁にレトロなブロンズ製の街灯が並ぶ。洒落たアーチ型の窓と相まって異国情緒が感じられる場所だ。


「君とはいつかニューヨークで一緒に仕事をしたいと思っているんだよ」

「そいつはありがたいが、俺はこの狭い日本が気に入っている」

 ライアンの申し出に榊はやんわりと断りを入れる。ライアンの用意する案件はいつも条件が良く、やり甲斐がある。ビジネスチャンスとしては申し分ないが、今のコンサルの仕事も地場の付き合いだけで充分やっていけている。これ以上手を広げることは今のところ考えてはいない。


「英臣、ニューヨークにもスパがあるんだよ」

「そういう問題じゃ無い」

 温泉で釣るな、と榊は内心突っ込みを入れる。そもそもニューヨークのスパは水着で入ることになるだろう。それは温泉ではなく、温水プールだ。

「裸で入れるプライベートバスもある」

 ライアンはなにやら含みのある笑顔をこちらに向ける。榊は背筋が凍り付くのを感じた。


 曹瑛は鉄扉の前に長身をもたれさせて影のように佇んでいる。

「気が済んだか」

「うん、今度この周辺を紹介する記事を書きたいよ」

 テンション高く戻ってきた伊織は嬉しそうにスマートフォンの写真フォルダを眺めている。コンパクトなエリアで街並みを楽しむ観光スポットとして紹介できそうだ。通りでいろんなイベントを開催しているので、面白そうなものがあれば行ってみたいと興奮気味に話す。


「ここは絵になるね」

 ライアンが石造りの壁に嵌め込まれた黒い鉄の扉を見て、写真撮影をしたいという。一緒に写真を、と榊の腕を引いて並んだ。リッチーが正面でカメラを構える。

「曹瑛と英臣も、さあ」

 ライアンは面倒がる曹瑛を扉の端に立たせる。

「何で俺がこいつと」

「それはこっちの台詞だ」

 曹瑛の売り文句に榊は買い文句を返す。二人扉の両端に立ち、睨み合う姿にリッチーはシャッターを切る。


「うん、いいね」

 ライアンは長身の二人が扉に佇む絵面に腕組をしながら何度も頷いている。伊織と高谷もせっかくプロのカメラマンがいるからと、何枚か撮影してもらった。

「何だか照れるよ、普段自分の写真を撮らないから」

 曹瑛と並んで棒立ちの伊織は苦笑いを浮かべる。グレーのジャケットに白のコットンシャツ、ジーンズ姿でスーツにサングラスの曹瑛と並ぶと一体どういう友人関係なのか首を傾げたくなるでこぼこコンビだ。


「次はここだね」

 ライアンが連れてきたのは、レンガ造りの西洋建築が美しい三菱一号美術館だ。明治時代に英国人建築家ジョサイア・コンドルによって設計され、十九世紀後半に英国で流行したクイーン・コア様式を用いた近代建築だ。

「当日は三菱合資会社の銀行部が入っていたが、今は美術館になっている。ここのカフェバーはなかなか洒落ている」

 榊は商談で来たことがあるという。

「期間限定でアフタヌーンティーもやっているそうだ」

「アフタヌーンティーとは何だ」

 お茶と聞いて、曹瑛が興味を惹かれたようだ。


「三段スタンドにケーキやスコーン、サンドイッチなどを盛り合わせて紅茶といっしょに楽しむものだ。もとはイギリスの習慣だが日本では最近、食べ物を豪華にした見た目も楽しめる華やかなセットが流行っているな。ボリュームがあるからランチと共用というやり方で出す店もある」

 榊の説明を聞いた曹瑛は無表情だが、きっと行きたいと思っているに違いない。伊織が含み笑いを漏らすと、サングラスの奥からじろりと睨まれた。


 カメラマンのリッチーが求める構図でライアンがポージングを決め、瀟洒なレンガ造りの建物の前で撮影会が行われる。

「観光というより、撮影会だね」

 その本格的な様子を眺める伊織は呟きを漏らす。

「一体何を考えているんだよライアンの奴」

 高谷も首を傾げている。榊は面倒くさそうに付き合っているが、ライアンと並ぶと確かに絵になる。高谷にしてみれば、ちょっと悔しい。

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