第28話 エピローグ
徒歩で下山すると言い張る曹瑛を榊と伊織が無理矢理リフトに乗せ、駐車場に戻ってきた。今日は気温が高くなりそうだ。見上げれば、雲ひとつない青空が広がっている。路上の雪も溶け始めており、洋館までの道のりは短く感じられた。
洋館に戻ってきたときには時刻は八時をまわっていた。熊代夫妻は厨房で朝食の準備をしてくれているらしく、食欲をそそる香りが漂ってくる。
「彼らが腹を空かしていたので賄いを出しました」
熊代氏がライアンに説明する。早朝、洋館にやってきたらホールのシャンデリアが落ち、食堂には見知らぬ男二人が項垂れていたという。事情を聞けば謝るばかりで、何か訳があるのだろうとここに置いて食事を出したと。
「親切にありがとう、気を遣わせて悪かったね。事情は分かっているから大丈夫だ」
ライアンに礼を言われ、熊代氏はホッとしたようだ。
「ではすぐに朝食を準備します」
にこやかに厨房に戻っていった。
「あんたたち、無事だったのか」
加瀬が驚きの表情を浮かべる。プロの元傭兵たちを相手に全員無事で戻ってきたことが信じられないようだ。
「まったく、お前たちのおかげで大変な目に遭ったぜ」
榊は腕組をしながら加瀬と二宮を見下ろす。
「宝石強盗は警察に引き渡したよ」
伊織の言葉に、加瀬と二宮は顔を見合わせる。そして、どこかホッとした表情で小さくため息をついた。
「俺たちも事情を聞かれるだろう。そのときは本当のことを話すつもりだ」
加瀬は椅子から立ち上がる。二宮も遅れて席を立つ。
「こんなにおいしいスープを食べたのは久しぶりだった、ありがとう。迷惑をかけてすまない」
加瀬は深々と頭を下げ、二宮を連れて洋館を出て行った。
「奴らはともかく、神宮寺組は締め上げられるだろうな」
榊が閉まるドアを見つめながら呟く。元傭兵たちと結託し、宝飾店強盗をしでかしたのだ。指示を出した若頭が主犯の一人と思われるが、組は解散、良くて縮小を免れないだろう。
「あの人たちも人生やり直せたらいいね」
「その気になれば、どうにでもできる」
曹瑛の言葉に驚いて、伊織は顔を上げた。曹瑛はすぐに踵を返し、食堂の椅子に座って窓の外を眺め始めた。窓の外には朝日に煌めく芦ノ湖が広がっている。
「うん、素晴らしいロケーションだ。これはホテルの売りになる」
ライアンはご満悦だ。
榊がコートをハンガーに掛ける。ライアンは榊のセーターを見て目を見開いた。
「英臣、それは私がクリスマスにプレゼントしたものか」
「え、あっ」
「ここに着てきてくれるなんて嬉しいよ」
ライアンは感激で目を潤ませている。クリスマスプレゼントにと練習を重ねて手編みのセーターを作ったのだ。グレー地に白い雪の結晶をデザインした。胸には想いを込めて赤い毛糸でHIDEOMI (ハートマーク) RYAN と小さな文字を織り込んでいる。
「違う、これは昨日大菩薩峠に出発するときに慌ててだな」
榊は額から冷や汗を流しながら、言い訳にならない言い訳をしている。
「君が着ている姿、ぜひ見てみたかった。ここでお披露目とは粋じゃないか」
ライアンは恍惚として続ける。セーターの胸に編み込んだ恋心を皆にアピールできる。しかし、セーターの肩口がほつれていることに気が付いた。
「ああ、これはニコライとやりあったときに斧で斬られた」
「なんだと」
ライアンが一気に冷酷なマフィアの顔になる。愛する榊を傷つけたニコライに暗い怒りを燃やしている。
「落ち着けライアン、セーターのおかげで怪我が最小限で済んだ」
こうでも言わねば、ライアンはニコライを地獄の果てまで追いかねない。その言葉にライアンの気持ちも収まったようだ。
「また新しいものを編むよ」
ライアンは榊の手を取る。榊はそれをやんわりと払いのける。
「あ、ああ嬉しいよ」
榊は日本人的気遣いでついそう返事をしてしまった。隣にいる高谷はだからライアンがつけあがるんだよ、と呆れている。
曹瑛もプレゼントした手編みのセーターを着ていることに気が付き、ライアンは嬉しそうだ。曹瑛はライアンを目が合い、瞬時に目を背けた。
熊代夫妻が朝食を運んできた。温かいコーンポタージュスープに、地元の野菜を使ったフレッシュサラダ、ドレッシングはお手製のものだ。焼きたてのクロワッサンを使ったサンドに、ベーコン、ソーセージ。コーヒー、紅茶は淹れ立てをポットから注いでくれた。
「ああ、とても香り高い」
ライアンはコーヒーにこだわりがあるらしく、頷きながら香りと味を堪能している。その顔からすると、満足しているようだ。
伊織はサンドにかじりつく。
「このサンド、具材がたっぷり」
焼きたてパリパリの香ばしいクロワッサンサンドは新鮮で肉厚のサーモンと濃厚でほんのり酸味のあるクリームチーズがマッチしている。
「このソーセージ、すごく香ばしいね」
ハーブが香るソーセージに高谷は目を丸めた。桜の木のチップを使って燻製していると熊代さんが教えてくれた。気取らない朝食メニューに見えるが、一品一品丁寧に手間をかけて作られている。
デザートには自家製プリンが出てきた。固めに作られたプリンは卵の風味が生きており、自然な甘さで上品な味わいだ。
「これはテイクアウトができるのか」
「わかりました、お帰りの際にご用意しましょう」
熊代氏のはからいに、曹瑛はニヤリと笑みをこぼした。
朝食を済ませて一服した後、榊が朝風呂に行くという。ほぼ徹夜で疲れがたまっていたこともあり、汗を流しに芦ノ湖が一望できる温泉にやってきた。
「まさに絶景だ」
榊は光り輝く湖を眺めながら至福の表情を浮かべる。湖の向こうには澄み渡る青空に冠雪した富士山が映えている。戦いで負った傷の痛みも忘れてしまいそうだ。
「毎年ニューイヤーはここで過ごしたいものだ」
ライアンが嬉しそうな榊を見つめ、頬を染める。不意に水しぶきがかかった。
「ライアン、セクハラは無しだよ」
高谷が唇を尖らせ、指で水鉄砲をつくってライアンを狙っている。
「セクハラとは失礼だね、私は英臣の喜ぶ顔を見ているだけ・・・」
図々しく否定するライアンの鼻っ面に、高谷は追加の一撃を放った。
休憩所のテレビ速報で銀座の宝飾店“ジュエリーポーラスター”の強盗事件のニュースが流れていた。強盗犯三人は大菩薩峠で確保されたが、護送中に隙をついて逃走したという。
「えっ、あいつら逃げたみたいだよ」
伊織が驚いてテレビ画面を指さす。
「やはりな」
曹瑛はさして驚く様子もない。アイザックほどの男ならそうするだろうと予測していたようだ。闇オークションの出品権を失って痛手を負ったこともあり、しばらくは表だって動けないだろうというのはライアンの考えだ。
その夜は洋館で創作和食と年越しそばを食べ、無事に年を越す準備ができた。ダブルベッドの部屋は窓が割られて使うことができなかったが、熊代夫妻からスイートルームを用意してもらい、五人同じ部屋で寝ることになった。
「そんな部屋があるなら教えてよ」
高谷はライアンに突っ込みを入れる。
「いろんな部屋に泊まってみないと感想が聞けないだろう」
ライアンはどこ吹く風だ。
「これで寝返りをうつ度に首を絞められずに済む」
心底安心する榊を曹瑛は何か言いたげに横目で睨み付けている。
「あっ、年が変わるよ」
食堂の大時計の針が十二時を差した。
「新年あけましておめでとう」
「おめでとう。今年もよろしく」
榊とライアン、高谷はワインで、曹瑛と伊織はホット烏龍茶のグラスを掲げて乾杯をする。温かい暖炉の火に照らされて皆穏やかな笑顔を浮かべている。
「千弥さんからラインが来てる」
おめでとうメッセージが高谷のスマホに届いたようだ。千弥は晴れ着姿で雪化粧に染まる神社の庭に佇んでいる。柔らかな笑顔を浮かべる美しい立ち姿は着物の広告になりそうだ。
「千弥は実家に帰ると言っていたね」
一時は実家と決別し、わだかまりがあったようだが今年の正月は実家で過ごすと聞いていた。マイノリティの千弥が家族に迎えられていることはライアンにとっても嬉しいようだ。
「郭さんからだ」
伊織には郭皓淳からメッセージが入っていた。中国語の新年のお祝いと、新しいセーターを仕入れたからぜひ着て欲しいと写真がついている。胸に大きなパンダの絵が入ったセーターだ。
「パンダのセーターだって、俺もう30過ぎなんだけどな」
伊織が皆に画面を見せながらぼやく。榊が画面を覗き込んだ瞬間、2通目のメッセージの写真が表示された。パンダセーターの横からのアングルを撮影した写真だ。パンダが抱く子パンダがぬいぐるみとして三頭縫い付けられていた。
「ぶっ」
榊は伊織の顔とダサセーターを見比べて腹を抱えて笑いを堪えている。伊織は次に榊に会うときはこのセーターを着ていこう、と密かに心に誓った。
曹瑛のスマホにも微信のメッセージが入ってきた。
「兄貴からだ」
劉玲が孫景と獅子堂とともに酒を煽っている写真を一緒に送ってきた。周囲に転がる酒瓶を見ると、相当飲んだに違いない。曹瑛に仕事を頼みたい、と書いてある。
今年も波乱の一年になりそうだ。
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