第27話 大捕物

 ニコライは自分の持っている黒いボストンバッグと伊織が掲げているそれを見比べる。伊織はニコライに向かって無理矢理歯茎を見せて笑う。

「お前たちが持っているのは偽物だ」

 伊織がニコライのバッグを指さし、叫ぶ。

「何だと、そんなはずは」

 ニコライが慌ててバッグを開けて中身を確かめる。バッグには確かに輝く宝石とティアラが入っている。厳しい顔のミハイルにも中身を見せてやる。


「それは洋館にあった骨董品だ。本物を渡すはずはないだろ」

 伊織は得意げに胸を張る。

「ならば、お前の持っている宝石を見せてみろ」

 そんなはずはない。ニコライが苛立ちを見せる。伊織はボストンバッグのファスナーを開け、中から宝石をつかみ出した。大小にカットされた石が手の平に転がる。

「ティアラは目立つから、分解したよ」

「何っ」

 ミハイル、ニコライ、アイザックが同時に叫ぶ。伊織は高揚感に冷や汗を流しながら、にんまり笑う。


「お前たちに渡すくらいならこうしてやる」

 伊織は手にした石を空に放り投げた。朝日を浴びて目映い光りを放つ石が青い空を映して煌めく。それはスローモーションのように見えた。一転、石は一気に落下し、雪中に埋もれた。

「もういっちょ」

 伊織は続けて宝石をバラ撒く。深い雪の中に埋もれた石は、見つけ出すのが至難の業だ。

「や、やめろっ」

 伊織はどんどん宝石を投げる。怒りに顔を真っ赤にしたミハイルが石が落下した場所に走ってくる。ニコライもそれに続く。


 ニコライとミハイルは血眼になりながら雪をかき分けて宝石を探す。アイザックもそれに続こうとしたが、ミハイルの持っていたボストンバッグに手を伸ばす。中からティアラを取り出し、凝視する。デザイン、石の輝き、どう見ても本物だ。

「おい、それはフェイクだ」

 アイザックが振り向くと、ニコライとミハイルは雪の上に倒れていた。傍に立つ榊がニヤリと笑う。

「欲に目が眩んだ奴らは隙だらけだぜ」

 アイザックは唇を歪め、榊を睨み付ける。一歩踏み出そうとしたが、曹瑛のスローイングナイフがこちらを狙っている。


「動くな、眉間を狙うこともできる」

 曹瑛が低い声で囁く。アイザックはため息をついて脱力した。

「こっちもOKだよ」

 ヘリから高谷が降りてきた。操縦席のパイロットが気絶している。高谷の手にはペン型のスタンガンが握られていた。高谷はヘリの操縦席から抜き取ったキーをぶら下げてみせる。これでヘリは飛ぶことは出来ない。

「鍵をよこせ」

 曹瑛は榊を引き摺りながらアイザックに近付く。アイザックの胸ポケットを探り、手錠の鍵を見つけた。


「今度こそ動けないようにしっかり縛っておくぞ」

 伊織と榊がニコライとミハイル、アイザックをヘリ内部の椅子にロープでぐるぐる巻きに縛りつける。

「ちょっと寒いだろうが安心しろ、すぐに迎えがくる」

 榊がその場でニコライのスマートフォンから救難要請を出した。山岳救助隊がヘリと無法者の傭兵たちと宝石を見つけるだろう。念のため、警察にも宝石強盗が山に潜んでいることも伝えた。


 高谷が自分のスマートフォン画面を三人の前に示す。そこには闇オークションサイトが表示されていた。

「目玉商品のティアラは八百万ドルまで競り上がってる」

 金額を聞いたミハイルとニコライは嬉しそうに顔を見合わせる。高谷がニヤニヤしながらスマホを操作している。それを見てミハイルは顔色を変えた。

「まさか、やめろ」

「オークションは終了だ」

 高谷は出品者管理画面を操作し、ティアラの出品を取り下げた。アイザックは舌打ちをしながら項垂れる。入札のあった商品を取り下げるのは闇オークションではとんでもない背信行為だ。同じアカウントでは二度と出品ができない。


「行くぞ」

 曹瑛は踵を返し、スノーモービルに乗り込む。榊は後ろに高谷を乗せる。伊織も慌てて曹瑛の後部座席に跨がった。


 ***


 暖炉の火が消えて久しい。朝日が当たり始めたとはいえ、雪山のロッジの温度計は氷点下を示している。ライアンはブランケットを二枚重ねて膝に置き、椅子に座ったまま震えていた。

 微睡みの中、誰かにのしかかられていることに気が付いた。熱い吐息が耳元に吹きかけられる。凍えそうな自分を温めてくれようとしているのか。

「もしかして、英臣」

 ライアンは思わず頬を緩める。頬に温かいものが滑る。ペロペロと頬を舐められている。

「ああ、英臣そんな、何て大胆な」

 ライアンは恍惚に眉を寄せ、頬を赤らめている。不意に、身体が激しく揺さぶられる。


「起きろ、ライアン。ろくでもない夢を見やがって」

 惚気て名前を連呼された榊がライアンを揺り起こす。ライアンが薄目を開けると、そこには愛しい榊の顔があった。耳元では荒い呼吸が聞こえてくる。

「英臣、君も興奮しているんだね」

「いいかげん起きろ」

 榊がライアンを揺さぶる。背後で高谷が渋い顔をして呆れている。曹瑛は興味無さそうに椅子に足を組んで座り、あくびをしている。


「ああ、寒くて凍えてしまう。体温が奪われたときには人肌で温めるのが良いと聞く」

 目を覚ましたライアンが真顔で榊に迫る。榊は思い切り首を横に振る。

「ライアン、寒いなら温めてもらいな。はい」

 高谷が大型の白いピレネー犬をライアンに差し向ける。“たろう”とネーム入りの首輪のついたピレネー犬はライアンに懐いてペロペロと頬を撫でている。榊はホッと胸を撫で下ろした。

「ライアン、着替えを持ってきてるよ」

 伊織が黒いボストンバッグを持って来た。ライアンの着替えが入ったバッグだ。

「おお、それはありがたい」


 夜が明けた頃、カフェ“スノーガーデン”の老マスターが愛犬たろうを連れてここにやってきた。店が荒らされている様子に驚いたが、榊から事情を聞いてさらに仰天していた。

「あの銀座の宝石強盗がまさかこんなところに来るなんて」

 大変だっただろう、とマスターは温かいコーヒーを淹れてくれた。ライアンが電子レンジや床の修理を申し出た。

「あのう、ライアン。電子レンジを壊したのは俺だよ」

 高谷が申し訳なさそうにライアンに囁く。

「いいんだ、私を守るために戦ってくれたことが嬉しいよ」

 新しいセーターに着替えたライアンはにっこりと微笑む。


「なかなかやる」

 曹瑛はコーヒーを飲みながらガラス玉を眺めている。伊織が宝石だと偽ってバラ撒いたものだ。

「うん、何かの役に立つんじゃないかと思って準備しておいて良かったよ。ライアンの着替えもね」

 伊織は洋館の玄関ホールのシャンデリアの破損したクリスタルガラスをかき集めておいたのだ。それを宝石と偽り、雪の上にぶちまけた。

「うまく騙せて良かった」

 伊織はほぅとため息をつく。あの時は必死だった。今でもまだ胸がドキドキしている。


 ロッジの外に出ると朝日が照らす一面の銀世界が広がっている。目映い光りに伊織は思わず目を細めた。

「さあ、帰ろう。腹が減った」

 榊がひとつ伸びをする。

「熊代さんの作る朝ご飯、楽しみだよ」

 伊織も頷く。早く洋館に戻り、ベッドにダイブしたい。曹瑛がロッジを名残惜しそうに見つめている。パンケーキに未練があるようだった。

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