第19話 熱烈なスカウト
「これは奴のスマホなんだけど」
高谷の手には防塵、耐衝撃の武骨なカバーのついたスマホが握られていた。スマホの画面には地図が映し出されている。
「いつの間に」
伊織が驚いて声を上げる。
「チャペルに宝石を取りに行った時、あいつのポケットから抜き取ったんだ」
「まったく、手癖の悪い奴だ」
そう言いながら榊はニヤニヤしている。これで情報が掴めるはずだ。
「地図にマーキングがしてあるよ。この先の山中にある廃業したロッジと、この洋館」
高谷が地図の情報を読み上げる。
「ロッジはあいつらが待機していた場所だ」
加瀬が身を乗り出す。
「行動予定のメモとみて良いだろうな」
曹瑛もスマホに興味を示している。
「スノーリゾート大菩薩峠もマークしてある」
これで行き先は確定した。しかし、情報はそれだけのようだ。
「この雪の中、山の上のスキー場に何の用がある」
榊が首を傾げる。
「確かに、そんなところに行っても逃げ場が無い」
伊織も地図を眺める。
「伊織、明日のスキー場周辺の天気は」
「えっ」
伊織は曹瑛の質問の意図が分からず、眉根を寄せる。しかし、何か意図があるのだろうと天気予報を確認する。
「明日は晴れだよ、風も穏やかな予報だ」
「ヘリか」
榊の言葉に曹瑛は頷く。
「スキー場のように平坦で開けた場所があれば、ヘリの発着がしやすい」
「ヘリで移動されたら、いよいよライアンを見失ってしまう」
高谷は青ざめる。
「行こう、ライアンを救いに」
伊織が拳を握る。榊と曹瑛も頷いた。全員寝間着姿なので、そのまま外へ出ることはできない。部屋に着替えに行くことにする。
「お前らは留守番だ」
榊が振り向きざまに加瀬と二宮を指さす。
「ああ、気をつけてな」
二人は力無く手を振った。
大階段を駆け上がり、各々部屋で着替えをする。曹瑛と榊の部屋は窓をかち割って侵入されたため、雪が舞い込み絨毯を白く染めていた。部屋の温度も外気と変わらないほど寒い。
「クソ、あいつらぶん殴ってやる」
榊は文句を言いながらジャージを脱ぎ捨てる。ミハイルには拳一発貸しがある。曹瑛はバッグの中から黒いシャツを取り出し、ボタンを留めて臙脂色のネクタイを締める。スーツを着ようとして、それでは寒いことに気が付いた。もう一度バッグを探り、セーターを取り出す。
榊も窓から吹き込む寒風に凍えながら、ダークグレーのシャツに腕を通す。紺色のネクタイを締め、やはりスーツでは寒いことに気が付いた。榊はバッグからセーターを取り出す。これはどうしても着替えに困ったときに着ようと持って来たものだ。手を止めてセーターを見つめてしばし悩んでいる。
「まだ準備ができないのか」
曹瑛に声をかけられ、榊は仕方無しに手にしたセーターを着ることにした。小走りに部屋を出て、大階段下で伊織と高谷と落ち合う。
「あ、それクリスマスでライアンからもらったセーター」
伊織がめざとく曹瑛のコートの下のセーターを見つけた。ライアンがクリスマスプレゼントに、と曹瑛に渡した手編みのセーターだった。“ビューティビースト”と隠し文字が入っている。榊はそれを見て頭を抱えた。
「榊さん、それ」
高谷は榊のセーターに目を留めた。榊にはHIDEOMI (ハートマーク) RYANと赤い文字が織り込まれている。
「これは、防寒のために仕方無く」
榊が焦りながらコートの前を合わせてセーターを隠す。
「なんだか、ライアンの弔い合戦のようだね」
伊織がぼそりと呟いた。
洋館を出ると、吹雪は収まりかけているように思えた。車に降り積もった雪を落とし、乗り込む。助手席に座った高谷はスノーリゾート大菩薩峠にナビをセットする。所要時間は一時間45分と表示されている。
「この雪だ、やはり三時間はかかるだろう」
暖気運転をしているが、なかなか温まらない。榊は冷たくかじかむ手の平に息を吹きかける。
「日の出にならないとヘリは飛ばせない。時間の猶予はある」
曹瑛の言葉を聞いて、高谷は少し安心したようだ。
車内が暖まってきた。榊はシフトレバーをドライブに入れ、アルファードを発進させる。雪をかき分けるように車を進めながら山道を降り、県道に出た。道路は凍結しており、運転には慎重を期する。ダッシュボードの時計は午前2時50分を示している。日の出は7時前だ。猶予はあるとはいえ、のんびりはしていられない。
車は真っ暗な闇の中をヘッドライトだけを頼りに進んでいく。雪がフロントガラスに当たっては溶けて行く。
***
ライアンを載せたジープはスノーリゾート大菩薩峠へ向かっていた。後部座席に押し込まれたライアンは、取り乱すことなく外の景色を眺めている。アイザックがコンバットナイフをライアンに向けた。ライアンはそれを冷たい目で見下ろす。
「さすがマフィアの二代目だ、度胸がある」
アイザックはニヤリと笑い、アイザックの両手を縛る結束バンドをナイフで切り裂いた。そして、後部座席から分厚い軍用コートを取り出し。ライアンに手渡す。
「その格好では冷えるだろう」
ライアンはシルクのパジャマのまま洋館から連れ出された。車内はよく暖房が効いているが、外に出たら凍え死んでしまう。
「私に着替える時間もよこさなかったのは君たちだろう」
ライアンは冷酷なマフィアの顔を覗かせる。無言でコートを羽織り、足を組んだ。
「あんたを掠ったのは人質にするためだと言ったが、実のところあんたと組みたいんだ、ライアン」
運転席のニコライとその横に座るミハイルはそれに意義を唱えない。三人の意見は同じようだ。
「あんたには金も権力もある。俺たちもいつまでもこんなコソ泥のようなビジネスばかりやっていくわけにはいかない。あんたと組めば大きなビジネスチャンスがある」
アイザックの言葉には嘘はないようだ。その言葉には熱がこもっていた。
「誰がお前たちのような流れ者の傭兵と組むんだ」
ライアンは口角を緩めてせせら笑う。その態度に苛立ちを覚えたのか、ミハイルは胸ポケットから葉巻を取り出し、火を点けた。
「言葉に気をつけろ、お前を殺そうと思えばいつだってできる」
アイザックがライアンの目の前でナイフを弄んでみせる。
「それに」
アイザックがライアンと距離をつめる。
「俺はあんたが気に入ったんだよ」
「私は興味が無い」
ライアンはフンと鼻を鳴らし、顔を背けた。アイザックがライアンの太腿に手を置いた。その温かさにライアンは思わず不快な表情を向ける。
「あんな薄情な男は捨てて、俺にしなよ」
ライアンはアイザックに自分と同じマイノリティの匂いを嗅ぎ取った。しかし、その誘い文句には嫌悪感と怒りを覚えた。
ライアンは太腿に置かれたアイザックの手を捻り上げた。
「私に触れるな」
触れれば殺す、冷たい瞳がアイザックを見つめている。アイザックは思わず背筋が凍り付くのを感じた。この男には半端な脅しなど通用しない。
「気位が高い、たまらないね」
アイザックはくっくっと笑いながら手を引っ込めた。ライアンはふいと顔を背け、窓の外を見つめる。もう一度、英臣に会いたい。冷気を放つ車窓にひどく落ち込んだ自分の表情が映り込んでいた。
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