第18話 追跡開始

「動くな、二代目の命は無いぞ」

 背後から羽交い締めにされ、首筋にナイフを突きつけられたライアンは足手まといになってしまった屈辱に唇を歪める。負傷したニコライを見たアイザックも余裕を失っていた。顎をしゃくってニコライに洋館を脱出するよう促す。

 ニコライはチッと舌打ちをして、玄関ホールの扉を開け吹雪の中を小走りに駆け出した。外には車が待機しているようだ。


「ライアンを離せ」

 榊が叫ぶ。高谷も固唾を呑んで緊張した状況を見守っている。

「悪いな、お前の恋人は人質だ」

 アイザックはライアンを引き摺りながら後退っていく。

「恋人ではないが、とにかく離せ」

 榊はきっちりと訂正する。曹瑛はナイフを構えてアイザックを睨み付けている。アイザックは曹瑛に銃口を向ける。

「おっと、動くな。お前が一番危険だ」

 アイザックは後ろ手に扉を開ける。


「ああっ英臣っ」

 アイザックはライアンを扉の外に連れ出した。ライアンの悲痛な叫び声と共に無情にも扉が閉まる。駆け出した曹瑛と榊が扉を開け放つと、庭園の先に駐車していたジープのドアが閉まった。曹瑛はナイフを構えたが、届く距離ではない。ジープは急発進し、山道を下っていく。

「ライアンが掠われた」

 高谷がぽつりと呟く。相手は武装したプロの犯罪者集団だ。人質というからには、すぐに殺されることはないだろうが、絶対に命が保証されるとも限らない。


「うぐぐ」

 くぐもった苦しげな声が聞こえ、曹瑛が振り向けば赤い絨毯の廊下に西洋の騎士の鎧が立っていた。榊と高谷もそれを見て目を見開く。

「よ、鎧が動いているぞ」

 鎧はフラフラと2,3歩歩いたと思うと、バタンと床に倒れてしまった。中から呻き声が聞こえる。曹瑛が近付いて、ヘルメットを脱がせると、目を回した伊織の顔が出てきた。


「何をやっている」

 曹瑛が半ば呆れながら鎧の腕を引っ張り、伊織を起こしてやる。伊織はふうふうと呼吸を整える。

「武装集団に対抗するにはこれかと思って」

 敵に見つからないよう隠密行動をしていた伊織は、コレクションルームにあった鎧を着てホールの乱闘に参加しようとしたらしい。しかし、思った以上に鎧は重く、早く歩くこともできない。やっと玄関ホール前にやってきたときには、ライアンが誘拐された後だった。


「しかし、助かったぞ」

 榊は今になって額から落ちる冷や汗を拭う。曹瑛もそれを認めており、静かに頷いた。伊織のおかげで曹瑛の拘束が解かれ、ナイフを手にすることができた。

「シャンデリアの仕掛けには驚いたよ」

「うん、あんなに猛スピードで落ちるなんてびっくりした」

 アイザックとニコライを攪乱するため、伊織がシャンデリアを落としたのだ。伊織は重い鎧を脱ぎ捨て、大きなため息をつく。


「ライアンを助けに行こう」

 高谷が顔を上げる。その目には強い意志が宿っていた。榊を巡る恋のライバルだが、それだけにライアンに特別な親近感を覚えているのだろう。

「そうだな」

 榊も頷く。何かにつけてきっぱり断っているにも関わらず、めげずに好意を寄せてくるライアンはそれなりに憎めないところがある。

「何か手がかりはないか」

 曹瑛はニコライが落としたアサルトライフルを拾い上げた。細かな塗装の剥げ具合を見ても、かなり使用感がある。


「AK74-M、ロシアのスペツナズが採用している主力装備だ。奴らの動きからしても軍隊上がり、フリーの傭兵といったところか」

 曹瑛はアサルトライフルの弾倉にまだ弾が残っていることを確認する。

「そんな、傭兵が宝石泥棒なんて」

 伊織は愕然とする。とんでも無い奴らを敵に回してしまった。

「仕事にあぶれた傭兵が窃盗集団に成り下がるケースはある。有名なのはセルビア軍出身者を中心に組織されたピンクパンサーだ」

 榊の話では、2004年の銀座の宝石店強盗の犯人グループだという。国際手配され、スペインで身柄を拘束された。


 不意にドンドン、と玄関の扉を叩く音がする。奴らが戻ってきたのだろうか。曹瑛と榊は警戒態勢を取る。伊織と高谷も緊張の面持ちで扉に注目する。しばらくの沈黙の後、扉がゆっくりと開いた。

「あのう、すみません」

 そこには雪を頭からかぶって凍える加瀬と二宮の姿があった。雪が舞い込んで赤い絨毯にひらひらと落ちて消えた。

「何の用だ」

 榊は二人を睨み付ける。あの武装集団をここへ寄越したのはきっとこの男たちだ。加瀬と二宮はしょぼくれてガタガタ震えている。


「中で話を聞こう、食堂には暖炉があるし」

 伊織が食堂を指さす。凍えきっていた加瀬と二宮はうんうん、と何度も頷いている。榊と曹瑛は顔を見合わせて、小さくため息をついた。

 ランプの明かりをつけ、暖炉に火を灯す。暖炉の炎で部屋が温かい橙色に染まる。


「一本もらうぜ」

 榊は暖は取れたものの、これからどうなるか不安げな表情を浮かべる加瀬の胸ポケットからタバコとライターを取り出す。曹瑛も無言で1本拝借した。

「お前らも吸うか」

 榊はタバコを勧めるが、加瀬も二宮もそういう気分ではなく、しおらしく頭を振った。


「あの人たちは一体何者なんですか」

 伊織が台所からポットに温かい紅茶を淹れてきた。

「俺たちも知らない、今日初めて会った」

 加瀬は困惑した表情で唇を噛む。普段紅茶なんて柄でもないが、身体が温まるのはありがたい。二宮もうんうん、と首を振っている。

「もともとは組の若頭に依頼された運び屋の仕事だった。バッグを箱根まで届けるよう指示があった」


 加瀬の話で、運ばされていたのは銀座の宝飾店“ポーラスター”で盗まれた宝石であること。受取手は武装した男たち三人だったこと。洋館まで道案内をしたが、慌ててジープに戻ってきたアイザックに車を降りるよう言われ、吹雪の屋外に放り出されたことを語った。

「土地勘のある神宮寺組と協力して宝飾店を襲撃し、運び屋にお前たちを使ったというわけか」

 榊は腕組をしながらタバコの煙を吹かす。

「あんたたちには巻き込んで悪かったと思ってる」

 加瀬は項垂れている。


「この後、奴らの動きは」

 曹瑛は短くなったタバコを暖炉に投げ入れた。

「分からない」

 この二人はただの運び屋だ。その先の予定は知るよしもないだろう。

「あのう、もしかしたら行き先が分かるかもしれないっす」

 二宮がおずおずと口を開く。

「どこだ」

 榊に鋭い視線で射貫かれ、二宮は萎縮する。加瀬は情けない弟分の背中をバシンと叩いた。


「車で待機しているとき、後部座席に地図があった。そこにマーキングがあって」

 スノーリゾート大菩薩峠というスキー場に赤ペンで印がついていたという。伊織はスノーリゾート大菩薩峠の場所をスマートフォンで確認する。

「ここから北へ100キロくらいあるよ」

「ここから100キロか、吹雪の山道だと三時間以上はかかる」

 もしデタラメならとんでもない時間のロスになる。榊は考えあぐねている。先ほどからずっとスマートフォンをいじっていた高谷がこちらを振り向いた。

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