第17話 伊織の奇襲
「あんた、ロイ・ファミリーの二代目だな」
アイザックの言葉に、先ほどまで静観していたミハイルが興味を示した。
「ロイ・ファミリーの二代目がどうして極東の国の山奥にいる」
ライアンの正体が本物か知りたがっている。
「ロイ・ハンターの息子、ライアン・ハンター。ファミリーの最高幹部であり、資金調達でもかなりのウエイトを占めている。表向きはグローバルフォース社CEOの顔も持つ。聞いた話ではゲイであることをカミングアウトしている」
アイザックとミハイルは母国語で何やら会話をしている。ライアンは気に入らないという顔で彼らを睨み付けている。
曹瑛は背後の壁から聞こえる微かな物音に気が付いた。ライアンに注意が集中している隙に静かに後ずさり、壁に背をつける。壁の隙間から微かな冷気が漏れている。曹瑛の両手を縛る結束バンドが引っ張られるのを感じた。そして、結束バンドが切れる手応えがあった。
「瑛さん、これ渡しておくよ」
伊織の囁く声。伊織が壁の隙間から小型のナイフを曹瑛に持たせた。曹瑛は縛られたままの振りをして、ナイフを受け取る。
***
高谷は宝石の隠し場所へとニコライを導く。ニコライは高谷の背後で自動小銃を構えている。抵抗すればいつでも発砲するつもりだ。
高谷は1階の廊下を一番奥にあるチャペルへと向かっていた。窓の外は白い雪が舞っている。外の冷気がガラスを通り抜けてくるようだ。寝間着姿の高谷は身震いする。
「怖いのか」
「いいや、別に」
高谷はぶてぶてしい顔でニコライの方をちらりと振り向く。まるで怯えていないその様子に、ニコライはフン、と鼻を鳴らす。まだ少年のあどけなさを残す顔に、大人のような達観した雰囲気を感じた。
「宝石を見つけるまでは俺を殺せない、そうだろう」
高谷はふいと顔を背ける。
「そうだ、見つけるまではな」
ニコライは銃身で高谷の背中を押す。高谷はチャペルに足を踏み入れた。雪明かりがステンドグラスを照らし、チャペルを神秘的な七色に染めている。高谷は祭壇に向かって歩いていく。
「ライター貸してよ」
ニコライは差し出された高谷の手に真鍮製のライターを置いた。高谷は拘束されたままの手で燭台に火を灯す。
燭台の灯りを頼りに、高谷は祭壇の下にある取っ手を引っ張った。一メートル四方の蓋が持ち上がり、下はコンクリートの壁に囲まれた小さな物置になっている。そこに黒いボストンバッグがぽつんと置いてあった。
高谷がバッグを取り出し、ニコライに突き出した。ニコライはそれを受け取り、ファスナーを開ける。中には燭台の炎を映し出す無数の宝石が詰め込まれていた。
「間違いない」
ニコライはファスナーを閉め、ボストンバッグを背負うように肩にかけた。
「ネコババしたか調べないの」
高谷が口角を上げて意地悪そうに笑う。
「お前たちはこれに興味を示していない。だからこんな場所に置いて、呑気に眠っていた」
ニコライは中身に手をつけていないと確信しているようだ。
「宝石は見つけた。もうお前に用は無い」
ニコライは高谷の額に銃を突きつける。高谷は暗い瞳でニコライを見据えている。
「怖くないのか」
「怖いよ、死にたくはない」
高谷は静かに答える。
「何故泣きわめかない」
「泣いてもどうしようもない、それにあんたに命乞いなんてしたくない。あんたは榊さんを殴った」
高谷は鋭い瞳でニコライを睨み付ける。その眼差しは先ほど自分に噛みついてきた男のそれを思わせた。ニコライは唇を歪めて撃鉄を下ろす。カチリと冷たい金属音がチャペルに響き渡る。高谷は反射的に目を細めた。
「お前たちは兄弟か、揃って気に入らない目をしてやがる」
ニコライはフン、と鼻を鳴らしながら銃を下ろした。その顔には笑みが浮かんでいる。
「さすがにここでは殺せないぜ」
ニコライは顔を上げて、祭壇の背後にそびえる十字架を見上げた。高谷に前を歩くよう銃を向けて指示する。高谷はゆっくりと歩き出す。チャペルから出ても、ニコライが発砲する気配は無かった。
玄関ホールに戻ると、ライアンとアイザックが睨み合っていた。ニコライがボストンバッグを掲げ、宝石を取り戻したことを伝える。ソファに座っていたミハイルが手にした葉巻を絨毯に落とし、それを軍靴のつま先で揉み消した。
「もうここに用はない」
ミハイルは振り返りもせずに玄関の観音開きのドアへ向かって歩いて行く。アイザックとニコライは緊張した面持ちでその背中を見つめている。
「証拠を消せ」
ミハイルは冷たく言い放つと、ドアを開けて洋館を出て行く。
アイザックは胸元から軍用ナイフを取り出した。ニコライもアサルトライフルを構える。
「残念だが、君たちとはここでお別れだ。気が進まないよ」
アイザックが気の毒そうに眉を顰める。榊とライアンはアイザックを睨み付ける。
「そんな怖い顔で見ないでくれ、愛しい者同士、天国で結ばれるといい」
「ふざけるな」
榊のドスの効いた声に、アイザックは肩を竦めた。ライアンはやぶさかではないようだった。曹瑛はただ黙って唇を引き結んでいる。
「じゃあな」
ニコライが引き金に指をかけた瞬間、天井から鎖が高速で滑るような音が響く。影が激しく揺らめき、アイザックとニコライは頭上を見上げた。ガラスを散りばめたシャンデリアが猛スピードで落下してくる。
「クソッ」
アイザックとニコライは慌てて背後に飛び退いた。シャンデリアは床すれすれで停止して激しく揺れ、衝撃で無数のガラスパーツがはじけ飛んだ。体勢を整えてアサルトライフルを構えようとしたニコライの腕から赤い飛沫が飛んだ。
「貴様っ」
キャラクターのついた黄色いトレーナーを着た長身の男が、手にしたナイフで腕を切り裂いたのだ。ニコライは一度は手放したアサルトライフルを再び握ろうとするが、曹瑛は隙を与えずニコライの右手にナイフを突き立てた。
「ぐうっ」
ニコライは呻き声を上げ、左手で出血を抑える。曹瑛はアサルトライフルのストラップを切り裂いた。床に転がった銃身を蹴り飛ばし、遠ざける。
「お前もプロか」
アイザックが叫ぶ、胸元にプリントされたペンギンのようなゆるキャラと、殺気を放つ曹瑛の顔を見比べて混乱している。動揺するアイザックに榊が殴りかかる。曹瑛が伊織から密かに受け取ったナイフで榊の結束バンドを切っておいたのだ。
榊の拳がアイザックの頬を掠めた。アイザックは重心を低くして、ナイフを横に薙いだ。榊のジャージの胸元が切り裂かれる。アイザックはナイフを逆手に持ち替え、ヒットアンドアウェイの連続攻撃を繰り出す。そのスピードに、丸腰の榊は切っ先を避けるのが精一杯だ。
「英臣っ」
アイザックは瞬時に駆け寄ろうとしたライアンの背後に回り込み、首筋にナイフの切っ先を突きつけた。もう片方の手には自動小銃が握られ、銃口は榊に向けられている。アイザックは横目でニコライを見やる。腕からの出血が絨毯を黒く濡らしていた。
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