第20話 吹雪の山小屋

 ジープは除雪された山道を登っていき、中腹の広いスペースで停車した。夜半に降り続けた雪が白い絨毯のように敷き詰められている。看板からすると、ここはスノーリゾート大菩薩峠の駐車場のようだ。

「おっと、そのスリッパじゃあ歩けないな」

 アイザックはライアンの足元を見やる。ライアンはホテルの部屋で履いていた自前の黒いボアスリッパのままだ。トランクを物色し、山用の長靴を差し出した。

「別にいいんだぜ、俺が背負っていってやっても」

 ふざけた奴だ、ライアンは眉をしかめて不本意ながら長靴に履き替える。アイザックは無精髭の伸びた口元を緩めてニヤニヤ笑っている。


 ニコライが先導し、ミハイルが後に続く。ライアンを先に歩かせ、背後に銃を持ったアイザックが続いた。ニコライは宝石の入った黒いボストンバッグを持っているのを確認できた。

 一行はリフト乗り場に向かう。ここはナイト営業はしていないため、リフトは午後の17時半で終了している。

 ニコライが工具を取り出し、管理事務所の鍵を破壊してドアを開けた。ニコライが事務所の壁に据え付けてある金属製の鍵の保管庫を拳で殴りつけると、薄い扉は簡単にへこんだ。出来た隙間に指を突っ込んで扉をこじ開ける。山頂へのリフト装置を制御する鍵を取り出し、制御盤に差し込んだ。鍵を捻ると、リフトに通電し、スキー場に灯りが点る。


 重い金属性の滑車が動く音がして、リフトが動き出した。

「手慣れたものだ、こうやって不法侵入を重ねているのか」

 ライアンは皮肉を口にする。

「使い捨ての何でも屋だからな、俺たちは」

 アイザックは鼻を鳴らして自嘲する。ニコライとミハイルについてリフト乗り場に向かう。ニコライとミハイルが同じリフトに乗り込んだ。


「どうぞ」

 アイザックがライアンを仰々しくエスコートする。ライアンの横にアイザックが乗り込む。

「俺はあんたを気に入っているが、もしおかしな真似をすれば白い雪に赤い花が咲くことになる」

 ライアンの腰にはアイザックのコンバットナイフが突きつけられている。ここで抵抗できなくも無いが、凍った雪の上に落下して歩いて帰るのはご免だ。ライアンは大人しくしておくことにした。


 山頂でリフトを降りればまだ雪が舞っていたが、頭上には星空が広がっていた。もうこれ以上降ることは無いだろう。細やかな粉雪の上を踏みしめて、平屋建てのロッジに向かう。昼間は喫茶店として営業しているのか、カフェの看板が出ていた。今は営業時間外のため誰もいない。近くには掘っ立て小屋のようなスキー場の管理事務所があった。

 ニコライは分厚い木の扉の前に立ち、ドアを蹴破った。鍵が壊れる音がして、扉が開いた。スイッチを入れると、天井からぶら下がるレトロなガラス電灯に光りが灯る。

 いくつかの木製のテーブル席が並び、壁には暖炉が備え付けてあった。


 ミハイルは暖炉に火を点け、椅子を引き寄せて腰を下ろし葉巻を取り出した。ニコライも近くの椅子に腰掛ける。ライアンは二人から見える位置に座るよう指示され、無言のまま椅子にかける。

「どうだ、入札は上がっているか」

 ミハイルに言われ、ニコライがダウンジャケットのポケットをまさぐる。探し物が見つからないのか、立ち上がり迷彩柄のズボンのポケットにも手を突っ込んでいる。

「おい、俺のスマートフォンを知らないか」

 アイザックに声をかける。厨房でコーヒーを淹れていたアイザックは顔を覗かせて知らない、と肩を竦めた。


「クソ、どこかで落としたか。オークションの状況が分からない」

 ライアンは二人の会話を注意深く探る。どうやら、盗んだ宝石を闇オークションにかけているようだ。ニコライはスマホをどこかで紛失し、入札状況は不明。三人のリーダーはミハイルで、ニコライとアイザックは彼に付き従っているといったところか。

 ミハイルは40台半ば、ニコライはそれより若く40台前後、アイザックは無精髭が無ければ案外若いだろう、30台半ばとみた。

「スマホにはロックがかけてある、拾われたところで何もできないだろう」

 ニコライは自分を庇うように言い訳をする。


「ほら、コーヒー。ミルク砂糖は適当にどうぞ」

 アイザックは紙コップにコーヒーを4つ淹れてきた。ミルクと砂糖をテーブルに転がす。ミハイルとニコライ、ライアンはブラックのまま、アイザックは砂糖だけ投入している。コーヒーミルで挽いたらしく、香りがいい。

 暖炉の火が燃えさかり、ロッジ内は少しずつ温度が上昇してきた。

「それで、俺たちと組む気になったか」

 ミハイルがライアンを見据える。その眼光は幾多の戦場をくぐり抜けたベテランの傭兵そのもの、迫力があった。しかし、どこか諦念の色も窺えた。この男も戦場で人生を終えたかったのだろうが、いつしか窃盗に手を染めるところまで成り下がったのだ。


 ライアンは落ち着いた態度を崩さず、ミハイルを見つめる。

「断る。宝石強盗のような単発でリスキーなビジネスには興味はない。今の時代、SDGs《エス・ディー・ジーズ》がグローバルスタンダードだ」

 ミハイルは唇を歪めて葉巻を木の床に落とし、軍靴で乱暴に揉み消した。腰に差した自動小銃を瞬時に抜いて、ライアンの額を狙う。

「こんな山奥で、誰もお前を助けに来ない。俺たちと組まないというならお前に用は無い」

 ミハイルは撃鉄を下ろす。ニコライも無言でライアンを見つめている。


「待て、殺したら何もならないだろう。俺が話をつける」

 アイザックが慌ててライアンの前に立ちはだかり、ミハイルの銃を持つ手を押さえ込んだ。ミハイルはアイザックを睨み付けたが、チッと大きく舌打ちをして銃を腰のベルトに挟み込んだ。アイザックは小さくため息をついて、ライアンを見やる。全く動揺の色を見せず、氷のような瞳で唇を引き結んでいる。

「この期に及んで命乞いも無しか、その度胸気に入った」

 アイザックはライアンの肩を叩いて椅子に座り、コーヒーを飲み始めた。


 アイザックはライアンを立たせ、ロッジ中央の大きな柱の傍の椅子に座らせて後ろ手に両手首を縛り上げる。

「悪いね、これからの予定の打ち合わせをする」

 アイザックはライアンの膝にロッジ内にあった厚手のブランケットを掛けてやる。アイザックは暖炉脇の椅子に座り、ミハイルとニコライと頭を付き合わせて話始めた。

 窓の外は風も止んで静かだ。雪が月の光を反射し、青白く輝いている。この後、奴らはここに留まり続けることはできない。逃走を試みるだろう。わざわざ逃げ場のない山頂に来るにはきっと訳がある。おそらく、ここからヘリで移動するのだろう。天気は問題無さそうだ。その先は、船か、飛行機か。


 ライアンは榊や曹瑛の顔を思い浮かべる。きっと心配して探し回っているだろう、そう思うと胸が締め付けられるようだ。伊織と結紀もきっと胸を痛めてくれている。

「英臣、私は君を待っている」

 ライアンは誰にともなく一人ごちた。

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