第12話 パニックルーム
食後の腹ごなしに、とライアンが洋館の中を案内してくれた。ダイニングルームの奥には立派な厨房があり、大型の冷蔵庫や調理設備など設備は最新のものを入れている。
「本格的な石窯もあるんだ、美味しいピザも焼ける」
温かくなればテラス席も用意して、自然を楽しみながら食事もできるよう考えているという。長テーブルのダイニングルームの他にも広い部屋があり、四人がけのテーブルを配置すれば10席は確保できそうだ。
大階段のある玄関ホールを通り抜けると、図書室があった。立派な古い本が並んでいる。
「価値のある絶版本もあるようだが、置いてあるだけでは無用の長物だ。ここは箱根の旅行ガイドや小説などを置いて、宿泊者の役立つラインナップにしようと思う」
ソファや椅子も各所に置いてあり、寛いで読書ができそうだ。アールデコのレトロモダンな照明器具や窓枠は雰囲気がある。
「たしかにここなら現実を忘れて過ごすことができそうだ」
榊は書棚を見渡して頷く。
隣はコレクションルームだ。かつてここに住んでいた資産家が集めた蒐集品がところ狭しと並んでいる。
「うわあ、すごい剥製だ」
伊織が赤色の壁に据え付けられた数々の動物の頭部を見て驚く。鹿に熊、鷲など、見事な剥製の数々に思わず目を見張る。
「まるで生きてるみたいだ」
美しい毛並みもそのまま保存されており、生き生きとした目の輝きにそのまま動き出しそうな気がしてくる。
絵画や彫刻などコレクション棚に並ぶ品々は圧巻で、まるで小さな美術館のようだ。
「管理が難しいとそのまま譲り受けてね、整理して展示してみるよ」
曹瑛はガラスケースに入ったナイフコレクションに目を奪われている
「飾っておくだけとは、勿体ない」
腕組をして眺めながら、しみじみと呟く。曹瑛のメイン武器は刃物だ、不穏な言葉に伊織はその横で薄笑いを浮かべた。
コレクション部屋はその後も続いて、アフリカのプリミティブな木彫りの像の部屋や仏像の頭部を並べた部屋があった。
「ここに住んでいた人はよほどお金が余っていたんだね」
伊織は思わず呟く。意味不明なコレクションに費やすほど金が余っているとは羨ましい限りだ。
「こんな場所に館を建てるくらいだから、変わり者だったのだろう」
榊も間延びした顔の仏像を眺めながら頷く。
一番端はステンドグラスのある小さなチャペルになっていた。
「少人数ならここで結婚式もできるか」
榊は天井を見上げた。天井は二階部分まで突き抜けてドーム状になっており、閉塞感は感じられない。家族だけのこじんまりした式には最適だろう。
「そうだね、式の後は庭でパーティができる」
ライアンは微笑みながら榊を見つめる。榊は大きく咳払いをして、目線を逸らした。
「ここはデッドスペースなのかな」
ホールに戻ってきたところで、伊織が階段下のスペースを指さして尋ねる。
「うん、よく気が付いたね」
ライアンが嬉しそうに微笑む。階段下の天井が低くなる部分、次の部屋との間に空間がある。扉もついていないので、図書室の倉庫にでもなっているのだろうか。
「ここはパニックルームだよ」
パニックルーム、聞き慣れない言葉に伊織と高谷は首を傾げる。
「不法侵入者が住居に押し入ってきたとき、一時的に隠れることができるスペースだ。隠し部屋みたいなものか」
榊の説明に、伊織は納得した。
「そう。ここに扉は無いが、内側からは開けられるようになっている」
ライアンが指さす装飾部分に微かな隙間があった。
「二階のパニックルームと行き来することができるよ、後から見せてあげよう」
面白い作りだ。曹瑛も興味を示している。
一階部分の見学が終わり、食堂へ戻ってきた。ダイニングルームから外のポーチに出られるようになっている。雪合戦をした庭は白く塗りつぶされ、ギリシア神話の神々の彫刻のシルエットが凍えながら立ちすくんでいる。真っ暗な闇に降る雪はぼんやりと燐光を放っているように見えた。風が無ければさほど寒さを感じることはない。
曹瑛と榊、ライアンはポーチに出てタバコに火をつける。ワインで火照った身体を覚ますのに丁度いい。高谷と伊織はダイニングルームの暖炉の前で火に当たっている。
「こんなに寒いのに、そんなにして吸いたいものなのかな」
高谷は窓の外にちらつく雪を見ながら呆れている。タバコは吸えないことはない。しかし、何度吸っても咳き込んでしまうので向いていないと思う。こういうときにタバコを一緒に吹かせる曹瑛やライアンを少し羨ましいと思い気持ちもあった。
「うちの死んだじいちゃんもヘビースモーカーでね、心臓の血管が切れてぶっ倒れて、医者にたばこは止めるように言われていたけど結局死ぬまで吸い続けていたよ」
きっと彼らも一生手放すことは無いのではないか、と伊織は思う。
ポーチに立つ曹瑛が、庭の植え込みをじっと見据えている。その身体から漲る殺気に、榊とライアンもタバコを揉み消して警戒する。
「どうした、曹瑛」
「そこに誰かいる」
曹瑛が低い声で答える。植え込みがガサガサと揺れた。次の瞬間、男が二人姿を表わした。黒髪を七三に分けた無精髭と、ベリーショートの髪をアッシュグレーに染めた目つきの鋭い男だ。昼間にこの洋館に入り込んだ二人だ。アッシュグレーの男、加瀬は手に拳銃を握っている。
「お前ら、あのボストンバッグの中身はどこだ」
加瀬は三人に銃を突きつける。背後にいる二宮も強がって睨み付けてはいるが、どこか迫力が無い。
「お前らが盗んだ宝石のことか」
榊がポケットに手を突っ込んだまま冷静に答える。
「や、やっぱり中身を隠しやがったな」
「俺たちは盗んでない」
加瀬は余計なことを言うな、と二宮を制す。銃を持つ手は微かに震えていた。
「宝石を返せ」
加瀬はドスの効いた声で脅しをかける。
「さもなければ撃つか」
ライアンが余裕の笑みを浮かべる。銃を前にしてこの態度、この男たちは一体何者かと加瀬は内心焦っていた。しかし、ここでハッタリを切り通さなければ。
「そうだ、容赦しないぜ」
加瀬は引き金を引く素振りを見せる。二宮はハラハラしながら様子を見守っている。
「そんなオモチャで人は殺せまい」
曹瑛の言葉に、加瀬は額から嫌な汗が流れ落ちるのを感じた。そうだ、今手にしているのはモデルガンだ。この暗闇、この距離でそれがはっきりと分かったのか。
「まったく面倒だ」
ライアンが胸元から銃を取り出し、銃口を二人に向けた。
「そ、それもモデルガンだろう」
加瀬は目を見開いて叫ぶ。ブロンド男が持つ銃がモデルガンか本物か区別などつけられない。
「試してみようか」
「よせ、ここで殺ったら始末に困るだろう」
榊がライアンの銃を持つ手を上から押さえ込む。自分たちよりも手慣れている、こいつらは一体。加瀬と二宮は青ざめる。
「覚えていやがれ」
加瀬は雪の中を背中を向けて走り出した。今はこれが得策だ。二宮も慌てて追いかける。二宮が植え込みに足を取られて無様に転んだ。
「バカ、何してやがる」
「すんません」
おっちょこちょいのヤクザコンビを、榊はため息をつきながら見送る。
「脚を撃って動けなくして尋問すれば良かった」
ライアンが銃を胸元にしまう。
「ライアン、言っておくがここはニューヨークじゃない」
榊は頭を抱える。しかし、これで背後の組織が動き出すだろう。曹瑛は車が急発進する音を聞きながら唇を引き結んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます