第13話 宝石強盗の黒幕

 雪がちらつく屋外にいたというのに、ハンドルを握る手にじっとりと汗をかいていることに気が付いた。アイスバーンと化したアルファルトの上をタイヤが滑る。助手席に座る二宮の緊張感が伝わってくるが、それは凍結した道路のせいだけではない。

「まずいっすよ」

 二宮が呆然としながら呟く。

「ああ、分かってる」

 坂道を降りるまでに交した会話はそれだけだった。県道に出ると、除雪が進んでおり山道よりもずいぶん走りやすくなっていた。暗闇の中にコンビニの明かりが見えたので、加瀬はハンドルを切った。


「あの眼鏡の男、確か榊だ」

 アイドリングをしたままの車内で、加瀬は少しだけ窓を開けた。胸ポケットからタバコを取り出し、火を点ける。二宮もそれが安定剤かのようにタバコに火を点けた。

「榊って、あの鳳凰会の榊英臣ですか」

 新宿を拠点にする鳳凰会柳沢組という小さな所帯の組があった。中国マフィアと組んでドラッグの取引をしようとした。しかし、組長が病院送りとなり、事実上組を切り盛りしていたやり手で武闘派の若頭も殺されたと聞いていた。榊はその若頭だった男だ。


「その榊と一緒にいた男二人も只者じゃないですよ」

 二宮は情けない声で泣き言を言う。ブロンド男は銃を所持しており、平気でこちらを撃とうとした。もう一人の口数の少ない男は持っていた銃が偽物だと見抜いた。

「何であんな奴らに奪われたんだ、運がねえにも程がある」

 加瀬は深いため息と共に窓の隙間に向かってタバコの煙を吐き出した。これがレジャーにやってきた普通の若者たちならぶん殴っても取り返せただろうが、相手が悪すぎる。


「でも、何で警察に言わないんですかね」

 二宮の問いに、加瀬はそれもそうだと気がついた。

「宝石を横取りする気だろう」

「なんて奴らだ」

 二宮は頭を抱える。加瀬はそうは言ってみたものの、洋館の男たちがそんな安易な考えで行動しているようにも思えなかった。


「取引の時間は夜十時、この先のロッジが指定の場所になっている」

 加瀬は車内のデジタル時計に目を向ける。得体の知れない相手にそこで宝石を渡すことになっている。

「アニキ、逃げましょう。殺されますよ」

「お前と逃避行なんて冗談じゃねえぞ」

 憎まれ口を叩いてみるが、逃げ出したいのは加瀬も同じだった。加瀬は爪を噛みながら考える。

「とりあえず取引の場所に行く」

 そこに現われた奴らに宝石は奪われたと正直に話す、それが今の最善の策のように思えた。二宮は不満そうだが、兄貴分の決断に文句を言うつもりはないようだ。


 加瀬は車を降りた。コンビニでホットコーヒーを二本買って戻り、ダッシュボードに突っ伏している二宮に放り投げた。

「腹くくれ、行くぞ」

 加瀬は指定されたロッジの場所をカーナビに登録し、車を発進させる。


 県道から山道に入る。ほとんど車が通らないのか、降り積もる雪で轍の後も消えかけている。“家族みんなで楽しいキャンプ”と書いてある倒れかけた看板が雪に埋もれていた。何度もヘアピンカーブを曲がり、山の中腹にロッジの影が見えてきた。

「これ、廃業したロッジじゃないですか」

「そのようだな」

 壁は腐食し、屋根に倒木がめり込んでいるものもある。かなり不気味な雰囲気だ。こんな場所で待つのは一体何者なのだろう。

「見ろ、明かりが見える」

 白い闇の向こうにぼんやりと明かりが見えた。車を進めると、道路脇に黒いジープが停めてあった。これが取引の相手だ。加瀬はエルグランドをジープの横に駐車した。


 手土産もなく、相手に会うのは正直怖い。しかし、取引時間すら守れないとなるとさらに歩が悪いと思っていた。加瀬と二宮は車を降り、明かりの灯るロッジに向かって歩いて行く。

 加瀬は意を決してロッジの扉を叩く。二宮も逃げ出さず背後に控えている。それが多少は心強かった。反応はない。しかし、しばらくして木が軋む音がした。大股の足音がこちらに近付いてくる。

 分厚い木の扉が開け放たれた。そこに立っていたのは白いダウンジャケットを着た大柄な男だった。ライトブラウンの髪を逆立て、無精髭を生やした浅黒い顔は彫りが深く、とても日本人には思えない。ダウンジャケットの男は値踏みするように加瀬と二宮を見つめ、顎をしゃくって中へ入るよう促した。


「し、失礼します」

 二宮は思わず小声で挨拶をする。ロッジ内部は暖炉に薪がくべてあり、ジャンパーを着ていると汗ばむほどだ。加瀬と二宮は入り口付近で立ち尽くす。

 暖炉の前の椅子に座っているのはベリーショートにサイドを刈上げた金髪の男。白人でかなりガタイがいい。ダブルボタンの厚手のグレーのコートを着ている。コートには軍の払い下げ品のような風格があった。窓際の壁に身体を預けて立つのはモスグリーンのミリタリージャケット、黒髪に薄いブルーの瞳の細身の男。ドアを開けた男と合わせて三人が取引相手のようだ。


 三人は母国語で何か話し合っている。聞き慣れない響きは英語ではないようだった。そして、白いダウンジャケットの男が口を開いた。

「宝石はどこだ」

 日本語だった。やや鈍りはあるが、通じないことはない。加瀬はそれに一瞬安堵した。しかし、宝石を奪われたことを伝えなければならない。胃が何かに握りつぶされるような感覚を覚える。

「その、宝石はここに来る途中に奪われた」

 奪われた、というかお互い知らずに入れ替わってしまったのだ。しかしあまりに体裁が悪いので、奪われたと言っておく。


「ふざけてるのか」

 ダウンジャケットの男が大股で歩み寄り、加瀬の首根っこを掴み上げた。加瀬の足が宙に浮く。

「ぐっ・・・」

「アニキっ」

 さすがにヤバいと思ったのか、二宮がダウンジャケットの腕にしがみつく。しかし、男は小柄な二宮を易々を払いのけた。二宮の身体は転がり、木製テーブルの脚に激突する。

「待て、ニコライ。話を聞こうじゃないか」

 窓際に立つ黒髪の男がニコライを制した。ニコライはチッと大きな舌打ちをして加瀬の身体を突き飛ばす。


「げほっ」

 加瀬は咳き込みながら二宮の方を覗う。二宮も頼りない顔で加瀬を見上げている。

「お前は甘いんだよ、アイザック」

 ニコライは暖炉脇の椅子に座り、葉巻に火を点ける。アイザックと呼ばれた黒髪の男が腕組をしながら口元に笑みを浮かべ、加瀬の顔を見つめている。

「誰に奪われてどこにあるのか、教えてくれないか」

 穏やかな口調だが、その笑みの裏にはえも言われぬ威圧感があった。加瀬は思わず息を呑む。


「ここに来る最中にトラブルがあって、バッグが入れ替わった。芦ノ湖畔の洋館にいる奴らが持っている」

 加瀬の言葉を聞いて、アイザックは大仰な身振りで肩を竦め、背後で沈黙を守る男をちらりと見やる。

「だそうだよ、どうするミハイル」

 アイザックはおどけるよう首を傾げてみせる。ミハイルと呼ばれた軍用コートを着込んだ男は微動だにせず目線だけをこちらに向けた。

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