第8話 殺気ムンムンの雪合戦

 空は相変わらず曇天だが、雪は止み厚い雲間から微かに光の帯が射している。庭に降り積もった純白の雪がキラキラと煌めいて眩しいほどだ。曹瑛と榊、ライアンはポーチの灰皿の傍でタバコを吹かしている。

「綺麗な庭だね」

 伊織と高谷は庭を散策していた。中央には水瓶を掲げた女神の彫刻が立つ噴水や小さな庵があった。ギリシア神話の神々を象った彫刻が点在している。バラの蔦が絡まるアーチは春にはたくさんの花が咲き乱れるに違いない。


「ところで、部屋はどうなっている」

 榊が洋館を見上げながら煙を吐き出す。

「ここには16のゲストルームがある。それぞれバス・トイレもある。しかし、今回は共用部と一部の部屋の整備しか間に合っていないんだ」

 ライアンの説明を無言で聞いていた曹瑛の眼差しが厳しくなる。榊も唇を引き結んだ。ライアンは続ける。

「用意している部屋は3部屋だ」

 曹瑛と榊の表情が強張る。榊はタバコを挟む指が震えている。


「ほう、5人のゲストに3部屋か」

 榊が念を押す。ライアンは微笑みながら頷く。

「それぞれ構成が違う部屋だ。ベッドはひとつはシングル、そしてツインとダブル。どの部屋もレイクビューで眺めは良い」

 曹瑛と榊は無言で煙を吐き出し、タバコを真鍮製の灰皿でもみ消した。

「俺と結紀はダブルでいい。曹瑛は伊織とツインの部屋でいいだろう。ライアン、お前はシングルでいいな」

 榊の提案は納得がいくものだった。


「ここの夜は冷える。暖炉の前でウイスキーを飲んで身体を温めながら夜更かしするのもロマンチックだね。朝は陽光を浴びて輝く富士山と芦ノ湖を眺めながらモーニングコーヒーを飲もう。野鳥の囀りに耳を傾けるのもいい」

 ライアンは榊に向かって微笑む。

「決まりだな、俺はシングルでいい」

 曹瑛は他人事のように言い放つ。ライアンと同室にならなければどの部屋でも構わない。

「曹瑛貴様、俺を売りやがって」

 榊が鋭い眼光で曹瑛を睨む。曹瑛はどこ吹く風で、口元を緩めて不敵な笑みを浮かべている。


「曹瑛、君ともいつかゆっくり語らってみたいと思っていたんだ」

 ライアンが曹瑛に生暖かい視線を送る。

「そうだ、お前たち普段は接点が少ない。ここで親交を深めるといい」

 榊はライアンの興味の矛先は自分だけではないと知り、曹瑛に押しつけようとしている。曹瑛と榊の大人げないいがみ合いが始まった。曹瑛は植え込みに積もった雪をちらりと見やる。

「ならば、勝負で決めよう」

「いいだろう、吠え面かくなよ」

 榊は曹瑛の意を汲み取ったのか、曹瑛をまっすぐに見つめながら口元を歪めて笑う。伊織と高谷もポーチへ戻ってきた。


「いいか、これから部屋を決める」

「うん、俺は別にどこでも」

 言いかけた伊織の鼻先に榊が人差し指を突きつける。その剣幕に伊織は思わず身を引いた。

「勝った者が優先的に部屋を決めることができる」

「俺もどこでもいいけど」

 何故そんなに気合いを入れているのか分からない。高谷は首を傾げる。しかし、隣で嬉しそうな表情を浮かべるライアンを見て、榊の意図が理解できた。ライアンと同室になることを断固避けたいのだ。


「どうやって決めるの」

 正面に立つ榊の黒いコートに白い雪玉が弾けた。伊織が驚いて振り返ると、庭のポセイドンの彫像の影に隠れて曹瑛が雪玉を作っている。

「あいつ、本気だな」

 先手を取られた榊がチッと舌打ちをする。

「まさか、雪合戦」

 伊織と高谷が同時に頓狂な声を上げる。榊はポーチから駆け下り、植え込みの影に身を潜めた。

「いいね、面白い」

 見れば、ライアンも冷酷なアメリカンマフィアの顔になっている。


「俺はどこでもいいからやめておくよ」

 部屋をどこにするかで争うなど、大人げない。腰が引けている伊織の横っ面に雪玉が飛んで来た。

「うわっ、瑛さん何すんだよ」

 頭から雪をかぶって伊織は顔を赤くしながら叫ぶ。

「生ぬるいことを言うな、ここは戦場だ」

 曹瑛は目が据わっている。ブランデーケーキの香り付けのアルコールにやられているのだろう。

「これは尊厳をかけた勝負だ」

 植え込みに潜む榊の目も本気だった。


「分かった、俺はライアンから榊さんを守る」

 高谷も奮起した。樫の木の背後に隠れ、雪玉を作り始めた。伊織は呆然とポーチに立っていたが、また雪玉が飛んできたので慌てて身を隠す。

「勝負って、雪合戦でどうやって勝負をつけるんだよ」

 伊織は泣き言をぼやいてみるが、自分以外の全員が本気だ。腹を括るしか無い。


 榊は植え込みから庭園を見渡す。攻撃と防御を両立させるのは、右手奥の庵だ。あそこまで走れば、と考えているうちにライアンも同じことを思ったらしく駆け出した。ポセイドンの影から隙を覗っていた曹瑛が雪玉を連続で飛ばす。ライアンはそれを腕で避けながら庵へ駆け込む。

 攻撃するために彫刻の影から姿を見せていた曹瑛に向かい、榊も雪玉を放つ。

「くっ」

 榊の攻撃振り払いながら、曹瑛は作り置きの雪玉を掴んだ。


「隙アリだぜ、うおっ」

 余裕を見せた榊に向かって、曹瑛の放った雪玉が猛スピードで飛んで来た。辛うじて避けたが、雪の弾丸は頬を掠りポーチの柱で砕け散る。

 榊の頬にうっすらと赤い筋が走る。指でなぞれば、血が滲んでいた。曹瑛は力一杯雪玉を丸めている。それは殺傷能力すら持つ。頭に食らえば脳震盪を起こしかねない。

「貴様がそのつもりなら、俺も本気を出す」

 榊は指についた血を舐め取り、奥歯をギリと噛む。足元の雪を鷲づかみにして、雪玉を握り始めた。


 ポーチにぶつかった雪玉の勢いを見て、伊織は目を見張る。

「嘘だろ、こんな怖い雪合戦見たことないよ」

 伊織は情けない顔で頭を抱える。しかし、ここで逃げていては格好がつかない。伊織は鼻息荒く奮起して、防御のためダウンジャケットのフードをかぶる。ポーチに隠れていたのでは何もできない。身を低くしながらつるバラのアーチに移動する。

 伊織が動き出したところに、曹瑛の雪玉が飛ぶ。腰と太ももにヒットした。


「うわあああ」

 伊織は叫びながらがむしゃらに庭を横切り、アーチへたどり着いて身を隠した。伊織が標的になっている隙に、榊は噴水脇のアポロン像の影に移動する。それに気が付いた曹瑛は榊を狙い、雪玉を投げつける。

 不意に、背後に気配を感じて、手にした雪玉を後方へ飛ばした。ベンチの影に隠れた高谷が曹瑛を狙って雪玉を投げつけてくる。非力な高谷の雪玉は曹瑛の脇腹に当たったものの、ダメージは無い。曹瑛がカウンターで放った剛速球がこめかみにヒットし、高谷は頭を抱える。


「ひええ、冷たい」

 高谷は情けない声を上げる。

「大丈夫か、結紀」

「うん、平気だよ」

 高谷のダメージを見て、曹瑛は相手を見て手加減をしていることが分かる。榊には本気の雪玉を投げつけてくるので油断はならない。おそらく、ライアンも倒そうとしているだろう。

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