第7話 湖を見下ろす洋館

 ワカサギ料理を堪能し、芦ノ湖が見渡せるデッキに立つ。鉛色の雪雲がのしかかる冬の芦ノ湖は、深みのある青い水を湛えている。彼方に雪に煙る富士山が見えた。時折吹き抜ける風は湖の冷気を運んでくる。

「やっぱりこっちは都心よりも寒いね」

 伊織はダウンジャケットのポケットに両手を突っ込んで肩を縮めている。細身の高谷も寒さが堪えるようで、ダッフルコートのフードをすっぽりかぶって忙しなく足踏みをしている。


 曹瑛と榊、ライアンは喫煙スペースでタバコを吹かしていた。寒空に紫煙が立ち上り、消えていく。

「この様子だと、洋館の辺りは雪が積もっているだろう」

 ライアンが指に挟んだ葉巻で正面の山の中腹を指す。目的の洋館はあの辺りだという。

「スタッドレスだ、問題無い」

 用意した車は雪山仕様だ。榊は煙をふうと吐き出す。煙の後に吐いた息も白く、思わず身震いする。横に立つ曹瑛はマルボロを手に、冷たい湖を眺めながら静かに佇んでいる。


「瑛さんは寒いの平気そうだね」

 伊織は湖から吹く風にガタガタ震えている。平然とタバコを吹かす曹瑛は、冬は極寒のハルビン出身だということを思い出した。

「このくらいでは氷点下ではないだろう、全然ましだ」

 寒そうに肩を竦める伊織を見て曹瑛はフンと笑う。

「ハルビンでは冬になればバナナで釘が打てるかなあ」

「何をわけの分からないことを言っている」

「マイナス30度くらいだときっとできると思う。一生に一度はやってみたいよ」

 目を輝かせる伊織に、曹瑛は首を傾げながらマルボロを揉み消した。


 ワカサギ料理店「おかの」を出てアルファードは山道を登っていく。除雪されているものの道路は白く凍り、アイスバーンの状態だ。榊は慎重にハンドルを握っている。曲がりくねった坂道の中腹にレンガ造りの緑色の屋根の洋館が見えてきた。雪に埋もれた駐車スペースに車を停めた。

「すごい、まるでヨーロッパみたいな雰囲気だ」

 車を降り立ち、洋館を見上げて伊織は思わず感嘆の声を上げる。常緑樹に囲まれた敷地に広い庭園が広がっている。その奥に佇む近代建築の洋館は、洋風飾り窓やゴシック建築の特徴を模した屋根が重厚な趣だ。


 トランクから荷物を取り出し、洋館の観音扉を開ける。玄関ホールには煌めくシャンデリアがぶら下がり、文様の織り込まれたダークレッドの絨毯が敷き詰められている。正面には手すりつきの大階段が踊り場から左右に分かれて二階へ続いている。オフホワイトの透かし模様の入った壁紙に、落ち着いたダークブラウンの木を基調としたインテリアはレトロモダンなデザインに統一されていた。


「いいホテルになりそうだ」

 榊はホールを見渡して感心している。立地も悪くないし、後は設備がどうかと考えている。

「そうだろう、ぜひ他の部屋も見て欲しい」

 ライアンはこの洋館をいたく気に入っているらしく、得意げだ。話し声を聞きつけて、ダイニングルームから老夫婦が出てきた。


「ようこそお越しくださった」

 感じの良い夫婦は深々と頭を下げる。老人は豊かな白髭を蓄え、チャコールブラウンのジャケットとベストを着込んでいる。老婦人は長い白髪を結い上げ、濃緑のカーディガンに紫色のセーター、黒のズボン姿で2人とも七十代半ばくらいだろうか、背筋がしっかり伸びている。

「彼らはこの館の管理人、熊代夫妻だ」

 ライアンが2人を紹介する。この近隣に自宅があり、滞在中の食事も世話してくれるという。夜は自宅へ帰り、また朝になるとやってくるそうだ。


 ダイニングルームにはオーク材の長テーブルと椅子が並んでいた。10人は座れる広いテーブルだ。中央には燭台が置かれている。熊代老人が赤いビロードのカーテンを開け、燭台に火を灯すと部屋は温かい光りに包まれた。広い窓の外には木々の合間に彼方の山の稜線が連なっているのが見えた。

「お疲れでしょう、コーヒーと軽いデザートでもいかがですか」

 促されて席についた。熊代夫人が白磁のティーポットで香り高いコーヒーを注いでくれた。

「自家製で、お口に合うかしら」

 夫人のお手製のブランデーたっぷりのフルーツケーキがテーブルに置かれる。


「おいしいです」

 伊織の言葉に夫人がにっこりと笑みを返す。一切れ食べると、口の中にほのかなブランデーの香りが広がる。胡桃とドライフルーツがふんだんに入った贅沢なケーキだ。

「曹瑛は酔っ払うなよ」

 榊が意地悪そうな顔を曹瑛に向ける。曹瑛はフン、と小さく鼻を鳴らしてケーキを口に運んでいる。

「熊代夫妻は芦ノ湖畔でフレンチレストランを営んでいたんだよ。昨年、後継に店を譲って引退したのを機に、ここに来てもらうことにした」

 料理の腕も期待できそうだ。ライアンは人的な資源も含めたプロデュースが上手い。


「今日、サービスエリアで警官が調べていた銀座のジュエリー・ポーラスター強盗事件、結構手が込んでたみたいだよ」

 高谷がタブレットをタップしながら記事を読み上げる。あれから現場検証が進んで事件の詳細がニュースに出てきたようだ。

「火災を装って消防車を要請したけど、当時近隣でもボヤが多発していて最寄りの消防署の車両が出払っていたらしい」

 皆が高谷の話に耳を傾ける。

「離れた署から来た消防隊を装って建物内に入り、店員を避難させた後ごっそり宝石を盗んだ」

 まるで映画のような手口だ。伊織はコーヒーカップを手にぽかんとしている。

「警報器も切ってやりたい放題だったというわけか」

 榊が腕組をしながら頷いている。


「消防車両は盗難車、現場からは黒色のバンが逃走。もちろんナンバーは変えてあり、行方知れずだって」

「盗品の5億のティアラ、通常販路ではとてもさばけない。闇オークションに出ることになるだろう」

 ライアンも興味を示している。

「尾行してきたのも黒いバンだな」

 曹瑛の呟きに、皆が注目する。

「逃げるならともかく、どうして尾行なんだろう」

 伊織は首を傾げる。もしかして覆面パトカーだろうか。嫌な予感しかしない。


「まあ、俺たちには関係ない」

 榊は立ち上がった。曹瑛とライアンも席を立つ。何かと思えば、タバコを吸いに行きたいようだ。気分転換に喫煙をしない伊織と高谷も庭に出てみることにした。

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