ホワイト・ストーム

第1話 それぞれの平和な休日

 のれんをくぐるとソースの香ばしい匂いが鼻をくすぐった。カンカン、と鉄板をへらで叩く軽快な音が聞こえてくる。案内されたテーブルに座る。テーブルには四角い鉄板が据え付けてある。

「お好み焼きと同じだな」

 ソースに青のり、かつおぶし、曹瑛はテーブルの脇にある調味料を眺めている。

「お好み焼きは大阪、もんじゃ焼きは東京が発祥でお好み焼きの方がメジャーなんだけど、もんじゃ焼きの方が歴史が古いそうだよ」

 伊織はラミネートされたメニュー表を曹瑛に手渡す。


 東京メトロ月島駅を出てすぐ、西仲通り商店街は月島もんじゃストリートと呼ばれている。ここにはもんじゃ焼きの店が70軒以上も軒を連ね、東京二十三区にあって、今なお下町情緒の残る街だ。

 曹瑛がもんじゃ焼きを食べてみたい、と言い出したので一緒にやってきた。伊織も月島へ来るのは初めてで、もんじゃ焼きの店がこんなにあるとは驚きだった。


 曹瑛は海鮮と肉が入った五目もんじゃ、伊織は明太もちチーズもんじゃ、飲み物は烏龍茶を注文する。

「もんじゃ焼きは、江戸末期から明治時代に書くものも不足していた時代に、小麦粉を水に溶いて鉄板に字を書いて子供たちに字を教えたのがはじまりなんだって」

 伊織が広告代理店に勤めていたとき、フードイベントのサイトを編集することがありそのときに初めて知り、印象に残っていた話だ。

「“もんじゃ”は文字という意味なのか」

「“もじ”がなまって“もんじゃ”に変化したんだよ」

 伊織が解説したところで、若い男性店員がボウルに具材を入れてもってきた。


 曹瑛の五目もんじゃには山盛りの刻みキャベツの上に豚肉、えび、帆立、さくらえびが散りばめてある。伊織の明太もちチーズもんじゃは刻みチーズと大ぶりの明太子が乗っていた。

「お焼きしますね」

 店員が鉄板に油をひき、はじめに肉を乗せて焦げ目をつける。肉が焼けたところで他の具材を鉄板に広げる。それを2つのおおきなへらで豪快に刻み始めた。曹瑛は物珍しそうにその様子を眺めている。カンカン、と軽快な音が響く。店に入ったときに聞こえてきたのはこの音だったのか、と合点がいく。


 具材が粉々になり、キャベツもしんなりしたところで具材をドーナツ状に広げる。

「こうして土手を作って生地を流し込みます」

 店員がボウルに残っていた汁を具材の中央に真ん中に流し入れた。そして生地と具材を混ぜ合わせ、丸く形を整える。

「表面がぷつぷつしてきたらお好みで青のりやソースを追加して、端から剥がして食べてください」

 そう言って店員は去って行った。手際の良さはさすが老舗店といったところだ。鉄板からは香ばしい匂いが漂ってくる。店員の言う通り、表面に小さな気泡が立ってきた。


「厚みの無いお好み焼きだな。小麦粉の量をセーブしているのか」

 曹瑛は小さなへらを珍しそうに見つめている。

「うん、俺も西の出身でお好み焼きの方が馴染みがあるから、初めて見たときはこの薄さにびっくりしたよ。でも、これはこういうものだから。もう食べ頃だよ」

 伊織は青のりと七味をかけて、もんじゃ焼きを端からはがしにかかる。はがしたものを鉄板に押しつけ、焼きを点ける。適当なかたさになったところで口に運ぶ。こうしてちまちま食べていると案外お腹が一杯になっていくものだ。


「面白い文化だ」

 曹瑛がまだ食べたいという。店員が具材を持って来たときにはボウルに山盛り一杯だったのに、鉄板の上で平たくなってしまうと、同じ量を食べた気にならないものだ。伊織もまだ腹具合に余裕があるので、ソース焼きそばと海鮮鉄板焼きを注文した。


「銀座に行く」

 店を出ると、目的地があるらしく曹瑛が銀座方面に向かって歩き始めた。銀座は月島から地下鉄で一駅だが、腹ごなしには丁度良い距離だ。

「ブランド品でも買うの」

 おのぼりさんの伊織は銀座といえは、ハイブランドショップの並ぶ自分には場違いな場所だ。銀座にあれば、ユニクロでさえ入りにくい。しかも歩行者天国になった銀座通りは夏祭りかというような人出だ。気遅れするし特に縁も無いので、ほとんど行くことはない。


「地下鉄の通路で見た。そこへ行く」

 それが何の店かは分からないが、曹瑛はいつも仕立ての良いオーダースーツを着こなしている。銀座には品質の良いテーラーが多い。服でも買いに行くのかと特に詮索もせず、伊織は曹瑛の後を追う。


 ***


「いらっしゃいませ、ライアン様」

 ゴールドを基調とした華やかな店内に足を踏み入れると、スーツ姿の店員が上得意を見つけてすぐに声をかけてきた。深々とお辞儀をし、ライアンを丁重に迎える。

 ゴージャスなクリスタルガラスのシャンデリアが店内を照らしている。冬の新作が並ぶ時期とあって、銀座通りにあるカルティエのショップにはカップルも多い。

「本日は何をお探しでしょうか」

「特に決まりの用事はないんだ、適当に見せてもらうよ」

 ライアンがエレベーターの前に立つと、店員が恭しくボタンを押す。ライアンは二階で降り立った。インカムですぐに連絡が入ったのだろう、エレベーター前で女性店員がライアンを出迎える。


「ようこそ、いらっしゃいました」

 時計や宝飾品の並ぶショーケースを眺めるライアンに、店員は適度な距離を保って付き従う。東京にオフィスを構えて、度々来日するようになった。銀座にはハイブランドのショップがコンパクトに並び、買い物がしやすい。お気に入りのブランド、カルティエも何度か顔を出すうちにVIPとして店員が顔を覚えてくれたようだ。


 来日すれば、愛しい英臣に会える。今年のハロウィンには、熱海温泉の展望露天風呂で一糸まとわぬ姿で一緒に朝日を眺めた。忘れがたい思い出だ。その思い出を形にと、帰国前にはアクセサリーを選んで買うことにしている。

 センチメンタルだろうか、と思うがそれを身につけていると英臣との甘い思い出に酔いしれることができる。東京から遠く離れたニューヨークで、切なく張り裂けそうな気持ちを紛らわせることができる。


 煌びやかなショーケースの中で目を引いたのは、カフスリングだ。これならばビジネスシーンでもつけていられる。イエローゴールド、ピンクゴールド、ホワイトゴールドの3つのリングが重なったトリニティは、1924年に生まれたカルティエを代表するデザインだ。

「私と英臣、曹瑛、それぞれに違う美しい三つの輝きだ」

 ライアンは目を細める。

「これにしよう」

 店員がカフスリングをショーケースから取り出し、応接スペースにライアンを案内する。ソファにゆったりと腰掛けたライアンは、胸ポケットからアメックス・センチュリオンカードを取り出した。

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