第17話 悪党を逃がすな

 色あせた赤色の絨毯が敷き詰められた廊下を走る。

「非常階段はこっちだ」

 暗い廊下には誘導灯などはない。伊織は宴会場の近くに掲げてあった建物の見取り図を確認し、非常階段の位置を確認した。階下からは黒煙が立ち上ってくる。赤い炎がちらちら見え始め、爆発音が響く。

 非常階段へたどり着き、榊がドアノブを捻った。しかし、手応えがない。ドアノブはくるくると空回りするのみだ。


「奴ら、逃げるときにドアに細工しやがったか」

 榊がチッ、と舌打ちをする。

「そこをどけ」

 鬼島がドアの前に立った。三歩下がり、鉄のドアに向かって突進する。鬼島の体当たりでドアが吹っ飛んだ。

「やるじゃないか」

 榊が感心する。鬼島は気恥ずかしそうにふいと顔を背けた。外には非常階段が見える。1階部分の窓が割れ、勢い良く黒煙が噴き上がり、非常階段から地上へ降りることはできない。


「奴らも上へ逃げた」

 曹瑛が階段部分についた複数人の足跡を見つけた。

「行くぞ」

曹瑛は階段を駆け上がる。榊にライアン、高谷、伊織、鬼島もそれに続く。五階分の非常階段を上り詰めると、屋上階に出た。錆び付いたタービンが覗く排気口、倒れかけの巨大な給水塔がある。

 曹瑛は高さ1メートルほどのコンクリート製の排気口に身を潜ませる。それに倣い、伊織も姿勢を低くした。

「奴らを追い詰めたね」

 伊織の顔にはまだ京劇の黒い顔料が乗ったまま、闇夜に目だけが光っている。

「いや、無計画に火を点けるはずはない。退路を確保しているはずだ」


 給水塔の鉄柱に身を潜める武藤の姿が見えた。強面の黒スーツのガード二人も一緒だ。

「武藤に話を聞く」

曹瑛は連なる排気口に身を隠しながら給水塔に向かう。武藤とガードは曹瑛の接近に全く気がついていない。曹瑛は足元のひび割れたコンクリートの床から、手の平大の破片を広い上げる。それをひょいと放り投げた。

 破片は弧を描いて飛び、給水塔に当たった。ガン、鈍い音がして破片は床に転がった。ガードたちは胸元から自動小銃を取り出し、周囲を警戒する。


 曹瑛はスキンヘッドのガードの死角から忍び寄り、手首を捻り上げて自動小銃を奪った。

「なにっ」

 隙を突かれたガードは叫び声を上げる。曹瑛は奪った自動小銃の銃身を握り、グリップをスキンヘッドの首に引っかけて転倒させる。

「貴様っ」

短髪のガードの銃口が曹瑛を狙う。曹瑛は銃をくるりと回転させ瞬時にグリップを握り、短髪の腕を撃ち抜いた。

「ぐわっ」

 短髪は血塗れの手を押さえながら悶絶している。短髪の取り落とした銃を武藤が拾い上げ、曹瑛に狙いをつけようとした。


 曹瑛は武藤の腕が上がる前にその背後に回り込む。

「動けば死ぬ」

 曹瑛の低い声。武藤の首筋には鈍色に光るコンバットナイフ、バヨネットがぴたりと当てられていた。いつの間に背後を取られたのだろうか、曹瑛の動きが全く追えなかった。この男はプロだ、武藤は恐怖した。膝がガクガク震えている。

 スキンヘッドのガードが目を覚まして立ち上がり、曹瑛に掴みかかる。曹瑛は半歩踏み込み、スキンヘッドの鼻っ面に肘をめり込ませた。スキンヘッドは鼻血を吹きながら再び倒れた。曹瑛は逃げだそうとする武藤の首筋に、バヨネットの切っ先をピタリと突きつける。観念した武藤は、両手を挙げて降参のポーズを見せた。


 爆発音が連続して鳴り響き、廃ホテルの屋上が揺れる。黒煙を纏う炎がもうもうと立ち上る。海風に吹かれて炎はいよいよ勢いを増す。

「ここからどうやって逃げる」

「む、迎えが来る」

 武藤は空を指さす。上空からヘリコプターが近付いてきた。屋上をヘリポートにして着陸しようとしている。

「ヘリだ、助かった」

 伊織が空を見上げる。高谷も安心した表情を浮かべる。


武藤が肩を揺らして笑い出す。

「ふはははは、ヘリには武装した仲間が乗っている。お前らは蜂の巣にされるか、ここで焼け死ぬしかないんだよ」

「そ、そんな」

 伊織は徐々に降下する黒いヘリを泣きそうな顔で見上げる。榊とライアンも緊張した面持ちで着陸を見守る。煙を吹き飛ばしながら、ヘリが屋上に着陸した。

「ヤクザをコケにした落とし前をつけろ」

武藤は笑いながらヘリの方へ駆け出す。バンと音がして、ヘリの扉が開いた。撃たれる、伊織は目を瞑り肩を竦めた。


「ぎゃっ」

 ヘリに乗り込もうとした武藤の顔面を蹴りが見舞った。

「自分だけ逃げ出そうとは、ずうずうしいわ」

 ヘリの中には金色に光る長袍を着た劉玲がいた。

「はよ乗り」

 劉玲が笑顔で手招きする。

「劉玲さん、良かった」

 伊織はホッと大きなため息をつく。倒れた武藤とガードも積み込み、全員ヘリに乗り込んだ。爆音が轟き、屋上全体が揺れる。

「おっと、ヤバいぜ」

 運転席には孫景が座っている。ヘリは急上昇を始め、廃ホテルを飛び立った。


 消防車とパトカーのサイレンが鳴り響き、熱海のホテル街は赤く染まる。廃ホテル前のビーチには負傷したスーツや詰襟の男たちが寝かされていた。男たちの胸元から自動小銃や刃物が発見され、全員が警察に身柄を確保された。

 武藤と二人のガードはヤシの木に縛られているところを発見された。足元にはガソリンの携行缶と銃が転がっていた。不思議なことに、三人とも眉毛が片方剃り落とされていた。


***


 ライアンの手配で熱海の高級旅館の離れに宿泊できることになった。熱海温泉に入れると聞いて、榊はご満悦だ。すすと汗を洗い流し温泉を満喫して、部屋に酒を持ち込んで宴会が始まった。

「君たちのおかげで、無事にプロジェクトが進められそうだ。幸先がいい」

 ライアンは顔を赤らめて上機嫌だ。こんな大乱闘があって幸先がいいとは豪気なものだ、と高谷は感心する。


「しっかり飲んでくれ」

 榊はしきりにライアンに酒を勧めている。酔い潰して大人しくさせたいのだろうが、ライアンは頬は赤いものの、全く酔う気配が無い。

「今度、私もヘリに乗りたいな」

「お、おうまたいつかな」

 千弥は孫景と酒を酌み交わす。千弥はヘリに乗れなかったことを残念がっている。

「ヘリの手配、いつでもしたるよ」

 劉玲がにやにや笑っている。余計なおせっかいを、と孫景が脇腹を小突いた。部屋の端では郭皓淳が獅子堂にマッサージを施している。ちゃっかりワンコインはせしめているようだ。


 酒が飲めない曹瑛はひとり窓際のソファで暗い海を眺めながら、烏龍茶をちびちび飲んでいる。伊織は曹瑛の正面のソファに腰掛けた。

「魏秀永さんは瑛さんを命の恩人と言っていたよ」

 曹瑛は何も言わず、窓の外を眺めている。暗い海に遠く船の光が浮かんでいる。

「・・・覚えていない」

 曹瑛の言葉は素っ気ない。興味も無さそうに遠い光をぼんやりと眺めている。伊織はそれ以上何も言わなかった。不意に、曹瑛が小さく笑った。

「お前の変装はひどかった」

 伊織の京劇の化粧を思い出したようだ。あの顔料を落とすのは大変だった。化粧を施したのは劉玲だ。あんなに本格的に塗りたくられるとは思っていなかった。


「咄嗟の思いつきだったんだよ」

 伊織はふて腐れて唇を突き出す。

「お前も魏秀永の命の恩人だな」

 曹瑛はそう言いながら伊織の頭をポンと叩き、壁際のふとんにするりと潜った。向こうの端ではライアンが榊の隣を確保しようとして、抵抗する榊と揉み合いになっている。

「え、お前もって」

 伊織は曹瑛の方を振り向く。曹瑛はきっと魏秀永を覚えている。身じろぎもしない曹瑛の背中を見つめて、伊織は小さく頷いた。

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