上野リベンジファイト

第1話

 年の瀬も迫る頃、週末の上野公園に赤や黄色の原色目映いカラフルなテントがずらりと軒を連ね、煌びやかなチャイナドレスやサリーを纏う女性たちが華を添えている。

 ここはアジア圏の食をテーマに文化交流を目的としたイベント「ハッピーアジアンキッチン」の会場だ。あちこちから独特のスパイスの香ばしい香りが漂っている。天候も良く、朝早くから大勢のお客さんで賑わっている。


 伊織の勤める日本と中国の文化交流雑誌を出版している青華書房もイベントに参加していた。ブースでは中国の美しい景勝地や歴史建造物のパネル展示、中国雑貨の販売をしており、お客さんが入れ替わり立ち替わりでやってくる。

 中でも人気なのは、中国茶体験ブースだ。ブースに立つ長身の男はシックな黒地に、肩口に見事な烏鵲が刺繍された長袍を纏っている。長い指を滑らかに動かし、見事な茶芸を披露するのは烏鵲堂の店主、曹瑛だ。無愛想に淡々と茶を淹れる姿も寡黙でミステリアスだと、遠巻きに女性の視線を集めている。


「大盛況だね」

 伊織も青華書房の社員としてブースに立っている。烏鵲堂カフェをブースに出すことを企画し、編集長で上司でもある王麗鈴に一も二も無く快諾された。曹瑛に頼んだところ、一度は面倒だと渋られたものの、当日のイベントがフードフェスと知って、曹瑛は俄然乗り気になったのだった。

 カフェブースにはティファールのポット、茶盤、茶器一式とミネラルウォーターを用意して簡単な茶席を設けている。お客さんは本格的な茶芸の見学と、中国茶の試飲ができる。


「もう二席ほどしたら休憩に行く」

 朝一番からずっと茶芸を披露している曹瑛は、昼時に他のブースを回って食べ歩きすることを楽しみにしているようだ。

「これ、お願いします」

 若い女子二人組が手作りミニ月餅を買っていく。曹瑛手作りの中華菓子をバスケットに並べて販売しているが、好評で飛ぶように売れている。持参分は午前中に売り切れそうだ。


「神保町にお店があるんですよ、ぜひ来てください」

 伊織が名刺大のカードを手渡す。烏鵲堂のロゴと店の地図、ホームページのアドレスが書かれたもので、高谷のデザインだ。カフェブースのトータルコーディネートも高谷が行っており、統一感のあるデザインになっている。

「わあ、お店があるんですね。お茶も美味しかったし、ぜひ行きます」

「あの方が店長さん?お店にもいるんですか」

 一人が小声で伊織に訊ねる。

「うん、お店でもお茶を淹れてくれるよ」

 女子二人組は喜んで帰っていった。この会話は今日何度目だろう、また新しいお客さんを獲得できた。烏鵲堂には曹瑛目当てで訪れる女性客も多い。


「腹が減った」

 曹瑛が伊織の元にやってきた。まだ11時だが、周辺のブースからは食欲をそそる香りが漂ってくる。

「せっかくなんだから楽しんでいらっしゃい」

 ブースが盛況で上機嫌な王麗鈴のすすめで、伊織は取材がてら曹瑛と食べ歩きに出かけることにした。曹瑛は黒い長袍の上に、襟と袖部分にダークレッドのファーがついた黒いロングコートを着ている。ライアンに無理矢理押しつけられたものらしい。相当に目を引く格好だが、防寒に良いと曹瑛は気にしていない。伊織はグレーのセーターにカーキ色のダウンジャケット、チノパンという無難な格好で、並んでみるとドレスコードのアンバランスさに思わず笑ってしまう。


 中国、韓国、台湾、ベトナム、トルコまで多彩なブースが並ぶ。都内人気店がプロデュースした店も多く出店し、あちこちで人だかりができている。

 曹瑛が美しいランプを吊り下げたブースで足を留めた。モザイク模様の色とりどりのガラスランプにキャンドルの優しい光りが灯っている。

「ここはトルコ料理だね」

「トルコ料理はフランス、中国と並ぶ世界三大料理と言われているな」

 曹瑛はこれまで食べたことがないらしく、興味を示している。大きな肉の塊を吊した迫力のあるブースは人目を引いている。大ぶりの串焼き肉、シシ・ケバブとマントゥ、ドゥルム、チャイを注文した。テントの下に設置された簡易テーブルに座る。


「羊串だな、肉串はどこにでもあるんだな」

 曹瑛はシシ・ケバブにかぶりつく。味つけは唐辛子のきいた香辛料と、黒胡椒でシンプルだ。マントゥはトルコ風水餃子で、もちもちの皮の中身はタマネギと挽肉、ソースはヨーグルトだ。

「ソースにヨーグルトか、斬新だな」

 曹瑛は思わず目を見開く。ヨーグルトにはニンニクの風味が効いていた。親しみのある材料でも、味付けひとつで異国の味になるものだ。


「これはツイスターだね」

 ドゥルムは小麦粉で作ったクレープ生地で、薄切り肉とトマト、タマネギ、パセリ、フライドポテトを巻いたものだ。トマトソースはスパイシーでコクがある。

「中国の羊串や水餃子に似ているが、味つけが面白い」

 曹瑛は満足げに角砂糖を落としたチャイを飲んでいる。チャイはアップルティーの甘い風味がした。


 トルコ料理を堪能し、ベトナムブースでは生春巻き、蒸しハマグリ、韓国ブースでは参鶏湯、台湾ブースで豆花を注文した。曹瑛はまだ食べたいらしく、周囲を注意深く見回している。

「懐かしい」

 曹瑛がそう言いながら手にしたのは、中国ブースで見つけた山査子飴だった。三センチほどの赤い実を連ねて串に刺し、飴でコーティングしたものだ。


「ビタミンやミネラルが豊富で、消化吸収を助ける効能がある」

 曹瑛は二本買って有無を言わさず伊織に手渡した。ここまで曹瑛に付き合ってかなり食べ過ぎたので、ちょうどいいかもしれない。

「山査子飴か、初めて食べるよ」

 ひとつ口に含んでみると、飴はさほど甘くはなく、酸味のある山査子の実と調和している。パリッとした飴の食感のあとに山査子の実のサクッとした舌触りがクセになりそうだ。

「これ美味しいね」

 飴のかかった艶やかなな赤い実を見ると、ベタベタに甘いかと思いきや案外食べやすい。6つの実が連なっていたが、あっという間に平らげてしまった。


「中国では街中の屋台でよく売られている」

 曹瑛が暗殺者として独り立ちし、街中を自由に歩けるようになったとき、真っ赤な実の鮮やかさに惹かれて山査子飴を一本買った。初めて食べた甘いものの美味しさは、鮮明な記憶として刻まれた。中国にいた頃は、屋台で見つけると一本買って、食べながら街を歩いたことを思い出す。山査子飴のような、甘酸っぱい気分に浸っている自分に気が付き、曹瑛は思わず自嘲した。


 青華書房のブースに戻れば、隣のブースがずいぶん賑わっているようだ。伊織が背伸びして覗き込んでみると、茶芸師が茶芸を披露していた。伊織はその顔を見て、呆然と立ち尽くす。

「どうした」

 埴輪のような顔で動きを止めた伊織を見て、曹瑛は首を傾げている。

「あの男、天野だ」

 伊織の口にした名前に覚えが無い曹瑛は眉根を寄せる。

「ほら、烏鵲堂に嫌がらせをしてきた天龍茶館の店長だよ」

 天野はチンピラを使って烏鵲堂でクレーム騒動を起こしたり、茶葉を盗もうとした男だ。嫌な予感がする、伊織は青ざめる。曹瑛は気に留める様子も無く、椅子に座って湯を沸かし始めた。

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