第16話 燃え盛る業火


「鬼島の奴、やるじゃないか。榊をぶちのめしたら喜ぶ組筋は多い」

 榊と鬼島の戦いを舞台上で眺めながら、武藤は肩を揺らして笑う。ライアンは奥歯をギリ、と噛みしめる。すぐにでも助けにいきたい。しかし、ここで手出しをすれば榊に蹴りを入れられるだけでなく、その後金輪際口を聞いてくれないだろう。これがホームのニューヨークなら、あんな筋肉ダルマなどマシンガンを持った元海兵隊のガードたちに命じて蜂の巣にしてやるところだ。

 地団駄を踏みたい気持ちをぐっと堪えて、ライアンは冷静を装う。


「うおおおっ」

 榊は鬼島に向かっていく。なり振り構わぬ隙だらけの右ストレートを繰り出す。鬼島は前腕で榊の拳を受ける。

「悪くない」

 勢いのある拳だが、鬼島にダメージはない。すかさず左アッパーを繰り出し、鳩尾を抉る。鬼島は一瞬息を飲むが、歯茎を剥き出しにしてニヤリと笑った。

「効かねえな」

 榊の頬に強烈な張り手を食らわせる。榊の身体は吹っ飛び、絨毯に転がった。


「ぐっ」

 榊は目眩を覚えてふらつきながら上体を起こす。唇が切れて血が流れている。それを拭う間もなく、鬼島は容赦なく踏みつけにくる。榊は体勢を整えきれぬまま、床に転がってそれを避ける。

「無様だな、榊。ヒキガエルのように踏み潰してやる」

 鬼島は豪快に笑いながら榊を狙い、床をドスンドスンと踏みつける。榊は床に手をつき、腕の力で立ち上がった。その隙を狙い、鬼島の拳が飛ぶ。榊は両腕でガードするが、強烈な力に押され、よろめく。


 鬼島はスピードのあるジャブを連発する。榊は後退ってギリギリのところで避けることしかできない。

「英臣・・・!」

 ライアンは声にならない叫びを上げる。このままでは、愛する英臣がサンドバックになってしまう。嫌われてもいい、助けにいかないと、ライアンは覚悟を決めて足を踏み出そうとしたが、しかし、踏みとどまる。大ピンチにもかかわらず、榊の眼光は失われていない。鋭い光を湛え、鬼島を見据えている。


「うっ」

 榊はたるんだ絨毯に躓き、バランスを崩した。尻もちをつくように背後に倒れる。

「うわははは、トドメだ榊」

 鬼島は拳を振りかぶり、榊を狙って打ち下ろす。避けきれない、ライアンの顔から血の毛が引く。武藤も思わず手に汗握り、椅子から立ち上がった。

 バキッ、と木材の割れる音が宴会場に響く。鬼島の拳は床を撃ち抜き、肘の辺りまで床にめり込んでいる。榊は俊敏な動作で受け身を取り、鬼島の拳を逃れたのだ。


「往生際の悪い奴だ」

 鬼島は榊を睨み付け、腕を引き抜こうとする。宴会場の床はコンクリートだが、一部収納のために木材の蓋になっている部分があった。木材は腐食し、グズグズになっている。榊はそれを見抜き、わざと転倒して見せたのだ。

「くそっ、抜けねえ」

 鬼島は腕を床にめり込ませたまま、身動きが取れない。榊は立ち上がり、鬼島の腕の関節を狙い、ローキックを放つ。ボキッ、と鈍い音がして鬼島の腕があらぬ方向に曲がった。


「ぎゃぁああああ」

 鬼島の絶叫が轟く。肘の骨が砕けたのだ。榊は鬼島の顎をハイキックで蹴り飛ばす。鬼島の腕が床から抜けて、巨体が吹っ飛んだ。

「何してる立て、鬼島」

 武藤が慌てて叫ぶ。鬼島は激痛に泣き叫びながら、絨毯の上でのたうち回っている。榊はそれを冷ややかな目で見下ろしている。

「そっちは利き腕か、運が悪かったな」

 背筋が凍るほどのサディステックな視線に、ライアンは思わず恍惚の表情を浮かべる。あの目だ、あの射貫くような視線に惚れたのだと再確認する。


「くそ、くそっ」

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔で立ち上がった鬼島は、破れかぶれで榊に掴みかかろうとする。榊は鬼島の金のネックレスチェーンを両手で掴んだ。それを交差させ、首を一気に締め上げる。首にチェーンがめり込み、呼吸をすることが出来ない。鬼島は痙攣する手でチェーンを掴もうとして、もがき苦しんでいる。破れたチューブから空気が抜けるような音を漏らし、鬼島は白目を剥いて背後に倒れた。


「エクセレントだ、英臣」

 ライアンは榊に駆け寄る。

「なかなか厄介だった」

 榊はふう、と息をついて乱れた前髪をかき上げる。

「血が出ている」

 ライアンは胸元からシルクのハンカチを取り出し、榊の口元をそっと拭う。

「よせ、大丈夫だ」

 気恥ずかしさに拒否しようとした榊だが、ライアンの悲壮な表情を見て、その手を振り払うのをやめた。


 宴会場の入り口から高谷と伊織が駆け込んできた。

「榊さん、大丈夫?」 

 榊の足元に転がる巨漢を見て、高谷は驚いて目を見開く。こんなのと戦ったのか。榊のことだから、おそらくライアンに手出しはさせなかったはずだ。


 不意に、階下から大きな爆発音が響き、廃ホテル全体が揺らいだ。

「一体どうした」

 郭皓淳が持っていた手榴弾の爆発にしては大きすぎる。

「あっ、あいつ逃げた」

 伊織が指さした先に、舞台袖へ逃げ出す武藤とガードの姿があった。

「くそ、あいつら」

 榊が走りだそうとして、脇腹の痛みに顔を歪める。

「舞台袖から控え室を通って、廊下に出られるはずだよ」

 伊織の誘導で大宴会場を出ると、廊下の先に武藤たちの姿があった。鉄の扉を開けて非常階段から逃げるつもりだ。再び爆音が轟く。1階から黒煙がもうもうと立ち上っている。煙を抜けて、曹瑛が姿を現わした。


「奴ら1階にガソリンを撒いて火を点けた。下は火の海だ」

 曹瑛の言葉に、伊織と高谷は青ざめる。榊とライアンは怒りを露わにしている。獅子堂と郭皓淳、千弥が奴らの仲間を屋外へ運び出したようだ。

「上に逃げるしかない」

 曹瑛の言葉を聞いて榊は大宴会場に駆け戻り、気絶している鬼島を蹴り飛ばした。

「おい、焼け死にたくなければ起きろ」

 鬼島はのろのろと立ち上がる。榊の顔を見て、目を見開いて突っかかろうとした。

「馬鹿野郎、今は逃げるんだ」

 榊の剣幕に、鬼島は押し黙る。周囲に煙が充満しているのに気が付き、大人しく従うことにしたようだ。

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