第14話 混戦
「伊織、怪我はないか」
曹瑛がフライパンを手に固まっている伊織に尋ねる。
「だ、大丈夫、ライアンが守ってくれた」
伊織は漸く我に返り、何度も頷いた。榊と曹瑛を下ろしたヘリは再び上昇し、空へ飛び去った。
「おい、表の唐沢を呼んで来い」
武藤が残った若衆に怒鳴る。若衆は怯えながらテラスに続くドアに手を掛けた。瞬間、ドアが勢いよく開き、吹っ飛ばされる。
「唐沢は来ない」
黒い革のジャケットに、アッシュゴールドの髪を逆立てた長身でガタイの良い男がテラスからラウンジに足を踏み入れる。武藤は唐沢がやられたことを悟った。
「畜生、貴様ら許さねえぞ」
武藤は後退る。曹瑛と榊、ライアンがじりじりと距離を詰めていく。ホテルのロビーから大勢の足音が聞こえてきた。黒い詰襟の集団がこちらへ向かって走ってくる。
「こいつらを痛めつけろ。その金髪だけは殺すな」
武藤はライアンを指差して叫び、詰襟を楯にして背後の螺旋階段を二階へ駆け上がる。
「二十、いや三十人はいるな」
曹瑛は背中から赤い柄巻のバヨネットを取り出し、構える。榊は鈴村組の若衆が落とした木刀を広い上げた。ライアンと獅子堂も前線に歩み出る。伊織と高谷はソファに身を隠す。
「相手は三十人もいる、まずいよ」
京劇の化粧のままの伊織が真剣な表情で高谷に向き直る。高谷は吹き出しそうになるのを必死で堪える。
「四人とも強いから、きっと大丈夫」
そう言いながらもやはり心配だ。高谷は榊の背中を見つめる。
詰襟たちが全員、自動小銃を構えた。問答無用で乱射を始める。曹瑛と榊、ライアン、獅子堂はバーカウンターを飛び越えて身を隠す。背後のミラーが銃撃で砕け、頭上から降り注ぐ。
「くそ、奴らいきなり撃ってきやがった」
榊が頭に降りかかった破片を払いながら舌打ちをする。
「生かしておくつもりはないようだ」
曹瑛は床に落ちていた銃を広い上げ、カウンターから一瞬顔を出して引き金を引いた。弾は詰襟の肩口に命中した。一人が銃を落とすが、他の者がさらに激しく撃ち込んでくる。
「弾切れだ」
曹瑛は銃を放り投げた。詰襟たちはじりじりと距離を詰めてくる。
「奴らの気を引いて、俺に考えがある」
「何をするつもりだ」
曹瑛は怪訝な顔をする。伊織は身を屈めてバーカウンターの脇からラウンジへ出て行こうとする。高谷は逆側から回り込むつもりだ。
ライアンは棚に転がっていた空き瓶を広い上げ、カウンターから詰襟たちに見えるように持ち上げる。銃声が響き、瓶は砕け散った。榊もそれに倣い、瓶を的にする。
「何をふざけている、観念して姿を見せろ」
詰襟が叫ぶが、バーカウンターから突き出た瓶が踊るのみ。
「撃つな、弾の無駄だ」
いくつか銃撃で破壊したが、リーダー格の長髪の男がそれ以上の弾の無駄遣いを制した。詰襟たちがバーカウンターに気を取られている隙に、伊織はソファに隠れて武藤が用意させたバケツに手を掛けていた。バケツの水をそっと床に流していく。水は一段下のリノリウムの床に流れていく。
薄暗いラウンジ内で、足元が水に浸されたことに気付くものがいない。伊織は壁際の椅子の背後に隠れている高谷に指で輪を作って合図を出した。高谷は頷き、チャイナ服のズボンのポケットからペンを取り出した。スイッチを入れると微かな火花が散る。それを床に転がした。
ペン先が床に零れた水に触れた瞬間、詰襟たちが小刻みに身体を痙攣させる。
「うぐぐぐ」
十人あまりが呻き声を上げ、もんどり打って床に倒れた。
「何だ、何が起きた」
詰襟たちは騒ぎ始める。倒れた仲間は白目を剥いて気絶している。床は水でひたひたに濡れていた。伊織と高谷が騒ぎに乗じてバーカウンターに戻ってきた。
「上手くいった、ありがとう高谷くん」
伊織は額から落ちる汗を拭った。緊張でまだ手が震えている。
「ナイスアイデア、伊織さん」
高谷の持ち歩いている護身用のペン型のスタンガンの強烈な電流を水で通電させたのだ。
「おい、あれを持ってこい」
長髪が部下の詰襟に指示を出す。
「いや、しかし金髪は殺すなと」
「なに、死にはしねえ、ちょっと驚かすだけだ」
長髪は部下を小突いた。部下は仕方なく丸い形状の金属を長髪に手渡した。
「こいつでそのカウンターごと吹っ飛ばしてやる」
長髪は唇を歪めて笑いながら、手にした手榴弾のピンに指をかける。
「手榴弾か、まずいな」
獅子堂がバーカウンターの背面に辛うじて残る鏡で長髪が手榴弾を手にしたのを見つけた。しかし、ここから飛び出せば、銃弾の餌食になる。
「降参するか」
榊がおどけて肩を竦める。
「いや、その必要は無いようだ」
ライアンは鏡を見て余裕の笑みを浮かべる。隣に座る曹瑛も笑みを浮かべて頷いた。
「お前らまとめて吹っ飛べ」
長髪が手榴弾のピンを抜き、腕を振りかぶる。そこで動きが止まった。周囲の詰襟たちは怪訝な表情を浮かべている。
「早く投げてください」
「何故持ったまま止まっているんです」
部下たちは慌て始める。長髪の腕はぷるぷると震えている。
「う、腕が痺れて動かねえ」
いつのまにか、腕に髪の毛ほどの細い針が三本突き立っている。このせいで腕が痺れているのだ。その言葉を聞いた部下たちは恐怖の叫び声を上げて、爆発に巻き込まれまいと長髪の周囲から逃げ出した。
「ひぃいいた、た、助けてくれ」
長髪の額から滝のような汗が流れ出す。このまま腕が動かせないままだと手榴弾が手の中で爆発し、片腕が吹っ飛ばされてしまう。
「う、うわあああ」
長髪が恐怖で目を閉じたまま絶叫する。しかし、いつまで経っても爆発しない。不意に、手の中の手榴弾を背後にいる何者かが奪い取った。見れば、いつの間にかピンが戻されている。
長髪が振り返ると、そこにはあひる口を緩めてニヤニヤ笑う男が立っていた。
「スリリングだっただろう」
郭皓淳のヘラヘラした顔に腹を立てた長髪が、自由が効く腕で掴みかかろうとする。郭皓淳は長髪の隙だらけの脇を峨嵋刺で突く。激痛に悲鳴を上げて長髪は床に転がり、のたうち回る。
「き、貴様」
詰襟が郭皓淳に殴りかかる。その腕を千弥が掴み、手首を捻り上げた。千弥が腕を勢い良く振ると、詰襟は吹っ飛んで、テーブルに頭をぶつけて気絶した。
「おお、怖い怖い」
「本当に口の減らない男ね」
おどける郭皓淳に、千弥はふいと顔を背ける。二人の周囲に詰襟たち十人がじりじりと詰め寄ってくる。
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