第11話 誘拐犯の根城

 高速船はうねる波の上を水しぶきを上げながら飛ぶように走る。街の灯りが左手に見える。湾に沿って進んでいるようだ。

「ヘリの夜間飛行からナイトクルーズとは粋な計らいだ」

 船室のシートに腰掛けたライアンは足を組んで余裕を見せている。その横で黒い布を頭に被せられたままの伊織は肩を竦めている。誘拐犯たちは魏秀永がすり替わっていることに気がついていない。

「生意気な野郎だな、これだから金持ちは嫌いなんだよ」

 黒スーツに赤シャツの若者がチッと聞こえよがしに舌打ちをする。


「こいつらは大事な金づるだ、手出しするんじゃねえぞ」

 ライアンと伊織の正面に座るサングラスに無精髭の男が低い声で制止する。赤シャツは面白く無さそうに大股を開いて椅子に腰掛けた。

「ほう、ホテルプロジェクト中止の脅迫だけでなく、営利誘拐だったのか。なかなか気が利いているじゃないか」

 ライアンが柔和な笑みを浮かべる。

「あんたらは唸るほど金を持っている。派手にぶんどってやるさ」

 赤シャツはヒッヒッヒと下品な声を上げて笑う。


 高速船はスピードを緩めて岸に近付いていく。桟橋に停船し、ライアンと伊織は船を下りるよう命じられた。古い桟橋はギシギシと軋んで揺れた。

「ホテルにご到着だぜ、ちょっとばかり古いがな」

 赤シャツが指さす先には廃業したリゾートホテルが暗闇にそびえ立っている。昭和バブル期に建てられたとみえるコンクリート造りで、倒れかけた看板には「ホテルニュー熱海」と書いてある。

「熱海か、いいね。一度行きたいと思っていたよ」

 背中に銃を突きつけられながら、ライアンは怯える素振りもなく喜んでいる。

「まったく口の減らない奴だ」

 赤シャツはライアンの呑気なまでの余裕な素振りに呆れている。


 海に面したテラスに並ぶヤシの木は枯れ果てて、寒々しい風に吹かれている。水のないプールの脇を通り、ガラス張りのラウンジのドアからホテル内に入るよう誘導された。誘拐犯たちは勝手にこの廃ホテルを占拠しているようだ。

 埃っぽい赤い絨毯が敷き詰められた、もとは贅を尽くしたラウンジは天井から吊されたシャンデリアは傾きかけ、布が裂けて綿の飛び出た椅子が乱雑に転がっている。もちろん電気は通っていないため、災害用の非常灯を吊して光源にしていた。


 ライアンと伊織は長椅子に突き飛ばされた。正面のソファにはピンストライプのスーツに紫色のシャツを着た男が座っている。

「長旅お疲れさん、ようこそお二人さん」

 男はグラスに注いだウイスキーを飲み干し、吸いかけのタバコを揉み消した。

「武藤の兄貴、これからどうするんです」

 無精髭が紫シャツの男、武藤に耳打ちする。武藤と聞いて、ライアンは眉をピクリと動かす。部下に調べさせた情報では、武藤はホテルプロジェクトに横槍を入れている鈴村組の若頭だ。この男が実行犯と見て間違いない。


「そっちの、魏さんだったか。いつまでも被り物してたら苦しいだろう」

 武藤が魏秀永に扮した伊織を指さす。伊織は緊張して膝に置いた拳を握りしめる。無精髭が伊織に被されている黒い布を取り去った。そこに現われたのは、白髪に、京劇の化粧を施した顔だった。黒地に眉の上に白い流線型の文様、額に三日月がデザインされている。

「うおっ」

 クールに構えていた無精髭が驚いて黒い布を落とした。

「今日はハロウィンの仮装パーティだったんだよ。魏老師の仮装は包公だ」

 ライアンの説明に、鈴村組の男たちは首を傾げる。


「包公は安徽省合肥の官僚の家に生まれた。科挙に合格し、役人となり、各地の役所を歴任した。賄賂を取らない精錬潔白な官吏で、権力者にも公正な裁きを下した。中国では庶民に人気の人物だよ」

 ライアンの横に座る伊織は無言のままゆっくり頷く。顔の原型が分からないほどのメイクのおかげで、魏秀永ではないことがバレていないようだ。

「中国版遠山の金さんてやつか」

 武藤はおどけて鼻で笑う。

「さて、あんたらにはビデオ出演をしてもらおう。ホテルプロジェクトは中止だと声明を出してもらう。それから身代金の要求もだ」

 武藤は身を乗り出し、ライアンと伊織を見比べる。ツヤツヤの髪からきついポマードの匂いがした。


 ***


 獅子堂は湾岸線をバイクで走りながら高速船を追い、ホテルニュー熱海にたどり着いた。高速船から降ろされたライアンと伊織が桟橋を渡り、廃ホテルのラウンジへ連れて行かれるのを確認した。微信で劉玲にアジトの場所を伝え、外からラウンジの様子を伺う。

 ラウンジ内には黒スーツが八人、詰襟が五人確認できた。光源は非常灯だけで薄暗く、奥の様子は把握できない。ライアンと伊織は奥の座席に座らされているようだ。彼らは人質だ。敵も不用意に手は出さないだろう。


 テラスには黒スーツの見張りが三人立っている。寒そうにポケットに手を突っ込んでタバコを吸っている。獅子堂は身を屈め、気配を消して背後から忍び寄る。

「ったく寒いぜ、何で外の警備なんだよ」

 柄シャツの男がブツブツとぼやきながら身を震わせながら、芝生に立ちションを始めた。獅子堂は油断しきっている柄シャツの背後に立ち、腕の筋肉で首を締め上げる。不意を突かれて慌てた柄シャツはチャックを閉める間もなく気絶した。


 ヤシの木を背にして立つカーキ色のジャンパーを着た坊主頭の男が異変に気付いたらしく、こちらへ近付いてくる。獅子堂は空のプールに飛び降り、身を隠す。

「おい、サボってんじゃねえぞ」

 いなくなった仲間を探して辺りを見回す。プールサイドで不意に足を掴まれ、空のプールへ転がり落ちる。

「クソ、痛ぇな。何だ貴様は」

 目の前に、アッシュゴールドの髪を逆立てた黒いレザーのジャンパーの大柄な男が立っている。男はニヤリと笑いながら立ち上がる。190センチを越える獅子堂と並ぶ身長だ。獅子堂は静かに構えを取る。


 ***


「獅子やんから連絡があったで、奴ら熱海の廃ホテルをアジトにしてるらしい」

 劉玲が微信のメッセージを確認する。

「熱海か、熱海温泉はかつて徳川家康が二人の息子を連れて逗留し、京都で療養中の吉川広家に見舞いとして熱海の湯を運ばせたことからその名が全国に知れ渡ったという。弱アルカリ性の湯のあたりがやわらかく、美肌効果が期待できる。源泉数と湧出涼は日本屈指だ」

 榊はこの戦いが終わったらそのまま熱海温泉に浸かって帰るつもりだ。

「榊さん、目的は伊織さんとライアンの救出だからね」

 高谷が釘を刺す。


「熱海の名物は何だ」

 腕組をして沈黙を守っていた曹瑛が口を開いた。

「海産物は美味い。中でも干物が有名だ。それから、マグロの刺身に熱々のだし汁をかけて食べる茶漬けもある」

「ほう」

 曹瑛が神妙な顔で相づちを打つ。

「ベタだが、薄皮にあんがたっぷり入った温泉まんじゅうも美味いぞ」

「あのう、本来の目的忘れてないよね」

 高谷が半ば呆れながら榊と曹瑛と見比べる。

「ホテルの位置は分かった。ちょうど広い庭があるで」

 劉玲がニヤリと笑う。

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