第10話 夜間飛行とパラシュート
横浜ロイヤルアークホテルのパーティ会場脇のセミスイートルームに魏秀永は匿われていた。椅子に腰を下ろし、両手を膝の上で組んで落ち着かない様子だ。
「魏老師、どうか心配なさらないで」
白いチャイナドレスを纏う千弥が気を揉む魏秀永を気遣う。
「しかし、私の代わりに宮野さんがさらわれてしまった。ミスターハンターまで」
魏秀永は不安げに頭を抱える。千弥はガラス製のティーポットから温かい紅茶を注ぎ、テーブルに置いた。
「間も無く閉会です。お茶を飲み終えたら挨拶をお願いできますか」
千弥は穏やかな笑みを浮かべる。その落ち着いた態度に魏秀永は彼らに心配はいらないと悟ったのか、紅茶を手に取った。
「宮野さんは曹瑛の友人だね、彼が犯人を追っているのか」
「ええ、そうです。頼もしい仲間も一緒です」
それを聞いた魏秀永は深く頷いた。曹瑛ならば、必ず二人を救い出せる。そう確信できた。セミスイートの扉がノックされた。千弥がドアを開くと、グローバルフォース社の社員が顔を出す。
「魏老師、舞台で閉会のご挨拶をお願いします」
ライアンの代わりにホテルプロジェクトのリーダーが立つという。魏秀永は紅茶を飲み干し、立ち上がる。千弥にエスコートで廊下に出た。
「魏秀永、貴様なぜここに」
廊下の先に黒い詰襟とスーツの男が立ちはだかる。魏秀永がホテル内にいたことに驚いている。伊織の変装はまだバレてはいないらしい。詰襟と黒スーツは胸ポケットから自動小銃を取り出し、魏秀永に狙いをつける。
千弥は魏秀永を庇うように前に歩み出る。
「魏秀永の身柄を渡してもらおう、逆らえば容赦はしない」
銃を構えた男たちがじりじりと歩み寄る。グローバルフォース社の社員は銃を見て、怯えている。
「魏老師は閉会の挨拶があるの、そこをどきなさい」
千弥は毅然とした態度を崩さない。女に舐められたとあって、男たちは苛立っている。
「これは脅しじゃねえぞ、撃てねえと思ったのか」
スーツの男が千弥に狙いをつける。千弥の額から汗がたらりと流れ落ちる。
「やめなさい、君たちの言うことを聞こう」
魏秀永が男たちを制止しようとしたとき、突然詰襟が銃を落とした。
「何してやがる」
黒スーツが呆れた顔で詰襟を責める。
「おかしいな、急に手の力が抜けて」
銃を持っていた手がビリビリと痺れている。よく見れば、髪の毛ほどの細さの針が手首に突き立っていた。
「な、何だこれは」
驚く間もなく、詰襟は首筋にチクリと痛みを感じた。平衡感覚を失い、よろめいて壁に寄りかかる。様子がおかしいことに気が付いた黒スーツは周囲を警戒する。
「なんだ、腕が」
黒スーツは腕の感覚を失い、銃を落とした。ジャケットの腕に三本の針が突き立っている。慌てて針を抜くが、痺れた腕は感覚が戻らない。落とした銃を拾い上げようとしたそのとき、赤いハイヒールが黒スーツの腕を踏み抜いた。
「ぎゃっ」
黒スーツは痛みに叫び声を上げる。顔を上げると、白いチャイナドレスの女が仁王立ちしている。
「このクソアマ、その足をどけろ」
千弥は喚く黒スーツのこめかみに強烈な膝を見舞った。黒スーツは白目を剥いて、廊下の花瓶に頭を突っ込んで気絶した。
「貴様、よくも」
頭に血が昇った詰襟が千弥に殴りかかろうとする。千弥は構えを取る。
「ぐぎゃっ」
詰襟は目を血走らせて顔を歪め、赤い絨毯に転がりのたうち回っている。背後には郭皓淳が立っていた。峨嵋刺をくるくると回転させている。詰襟は峨嵋刺で背中の痛点を突かれ、耐えられないほどの痛みに悶え苦しんでいた。
「やれやれ、俺の出番も残してくれよ、お嬢さん」
郭皓淳は肩を竦める。郭皓淳は金色の唐草と白と黒の切り替えデザインのド派手な長袍を着ていた。これもライアンの見立てなのだろうか、ちょび髭にアヒル口で胡散臭さが炸裂しているが、何故か妙に似合う。
「助かったわ、ありがとう」
気を取り直して千弥は魏秀永をパーティ会場へ案内する。会場にはライアンの部下の黒服たちが詰めているはずだ。ニューヨークハンターファミリーの用心棒の中でも精鋭の男たちというから心配はいらないだろう。
魏秀永はプロジェクトリーダーとともに舞台で閉会挨拶を済ませ、護衛に守られて宿泊するホテルへと引き上げていった。
「さて、俺も退散するかな」
郭皓淳は伸びをする。劉玲に依頼されてホテルに残る魏秀永のガードを任されていたのだ。
「君も帰るのか、せっかくだし一杯やろう」
郭皓淳はヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべる。
「お断りよ」
千弥はふいと顔を背ける。ホテルロビーのエレベーターで地下階へのボタンを押した。
「もしかして、奴らを追う気じゃないだろうな」
地下駐車場に停めていた赤色のワーゲンのドアに手をかける千弥を、郭皓淳が呼び止める。
「放っておけないわ」
千弥は車に乗り込む。その眼差しには強い光が宿っていた。郭皓淳は肩を竦める。エンジンをかけると同時に、助手席のドアが開いた。郭皓淳が勝手に乗り込んでくる。
「こんな美人をほったらかしにして帰るなんてできねえな」
郭皓淳はアヒル口を緩ませてにやりと笑う。実のところ、孫景に千弥を守るよう頼まれていた。それを伝えるのは野暮な話だ。
「吸っていいか」
郭皓淳が長袍の胸元からくしゃくしゃになったタバコの箱を取り出す。
「ダメ、禁煙よ」
千弥に諫められて、郭皓淳はやむなくタバコを諦めた。
***
―相模湾海上
ヘリの操縦席に座る孫景が、目の前を飛ぶ黒いヘリに動きがあることを感じ取った。ヘリはゆっくりと降下を始める。
「着陸するつもりか」
曹瑛も身を乗り出して運転席の窓ガラスから黒いヘリの動きを注視している。黒いヘリは海岸線に沿って飛んでいる。黒い影が二つ、ヘリから落下した。
「パラシュートや」
劉玲が目を見張る。パラシュートで魏秀永に扮した伊織とライアンを地上に降ろす気だ。夜の闇に紛れ、真っ黒なパラシュートは小さくなり、消えていった。黒いヘリは大きく方向転換し、山の方へ飛び去っていく。
「くそ、見失った」
榊は唇を噛む。曹瑛も怒りに震えている。
「降りる」
曹瑛がパラシュートを探し始める。
「アホいうな、どこに着地したかわからへんのに」
「そうだ、落ち着け曹瑛」
劉玲と榊が慌てて曹瑛を止める。
「それに、お前は高いところが苦手だろう」
榊の言葉に、曹瑛は目を細めて榊を睨み付ける。
「お前も一緒に来い」
「俺はパラシュートなんて使ったことがないんだよ」
「安心しろ、俺もだ」
曹瑛は堂々と胸を張っている。使ったことは無いが、使い方は知っているという。飛び降りるときに自分は目をつぶっているつもりだ。高谷は呆れている。曹瑛は座席の下に配備されたパラシュートを取り出して榊に押しつけようとする。
「お、獅子やんからや」
劉玲がスマホの画面を確認する。獅子堂から微信でメッセージが入ったようだ。
「パラシュートは桟橋について、高速船で移動を始めたらしい」
獅子堂はヘリからの通信を聞いて、地上でバイクを飛ばし、黒いヘリを追っていたのだ。
「お、獅子やん追跡するんやて」
相模湾を海岸線に沿って西へ向かっており、獅子堂はハーレーで湾岸線を走りながら船を追うという。
「俺たちもこのままヘリで追うぞ」
孫景はヘリの操縦桿を傾け、スピードを上げる。曹瑛はパラシュートを諦めたらしく、もとの場所に収納した。それを見た榊はホッと息をついた。
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