第7話 古い知り合い

 初めは表舞台に出ないと言い張っていた曹瑛だが、テーブルに並ぶ料理の匂いに誘われて、結局準備された席についた。

「舞台で大立ち回りしておいて、今更隠れてもどうにもならないだろう」

 フン、と鼻で笑う榊を曹瑛は鋭い眼光で睨む。

「お前をナイフ投げの的にしてやっても良かったんだぞ」

 曹瑛は榊の鼻っ面に人差し指を突きつける。殺気だって睨み合う二人を伊織が宥める。

「中国宮廷料理をベースに和風アレンジを加えたコースなんだって、美味しそうだね」

 榊は伊織の胸元のメデューサと目を合わせてしまい、必死で笑いを堪えながら震えている。


 透き通った美しい翡翠豆腐、香り高い豚三枚肉の燻製、レンコンのはさみ揚げ、雛鳥と葱の和え物、スパイシーなスペアリブなど10種類以上の前菜が並ぶ。それぞれに食材に合わせた丁寧な味付けがしてあり、見た目も美しい。野菜を盛り付けて作られた見事な鶴に驚嘆の声が聞こえてくる。ライアンと同じ席についている魏秀永も、このもてなしを喜んでいるようだ。


「中国宮廷料理は周代を起源とし、歴代皇帝はその権力を振るい、中国全土から最高の食材と調理人を集めた。宮廷料理は王朝の最高の料理を代表すると言っても過言ではない」

 曹瑛は箸を進めながら宮廷料理について伊織にうんちくを語る。

「宮廷料理は華美な見た目だけではない、健康維持とも密接に関わる。素材や調理法を工夫した医食同源の精神がある」

 今回の席は清朝の宮廷料理をベースにしたものだという。


「それぞれの王朝で宮廷料理があるんだね」

 伊織は曹瑛の話に聞き入っている。

「清朝は満州族の伝統食材と山東料理を基本としている。秦・漢の秦漢菜、唐代の唐朝宮廷菜、敦煌の敦煌宮廷菜と時代ごとの様式がある」

「満漢全席というやつか」

「あ、聞いたことがある」

 榊の言葉に高谷が反応する。

「そうだな。満州族と漢民族のそれぞれの伝統料理を多く集めた宴席のことだ。清朝の乾隆帝が揚州を旅したときに献上された料理が始まりとされ、西太后の時代にさらに洗練された」

 数日間かけて100種類もの料理を食べる贅を尽くしたものだったが、清朝の滅亡で宮廷の料理人は散り散りとなり、伝統は途絶えたという。


 主菜にフカヒレの蒸し煮、豚肉と松茸の煮込み、鱈の宮廷揚げ、伊勢エビと高級食材が運ばれてきた。

「こんなリッチなフカヒレ、初めて見た」

 伊織は目を丸くしている。これでラーメン定食が何回食べられるのか、思わず想像してしまった。

 デザートのスイカは大輪の牡丹の花を表現する緻密な装飾が施されている。パイナップルやドラゴンフルーツ、メロンが添えられていた。


 食事が終わり、歓談の時間が始まった。

「やはり君だったか、曹瑛」

 魏秀永が曹瑛に声をかける。曹瑛は気まずい表情を浮かべている。

「また助けられたね」

 伊織は穏やかな笑みを浮かべる魏秀永と曹瑛を見比べる。二人は知り合いのようだ。

「気をつけろ、あんたはまだ狙われているはずだ」

 曹瑛はそれだけ言うと、人混みに消えていった。

「曹瑛が魏老師と知り合いとは」

「俺も知らなかった」

 ライアンもこれには驚いているようだった。伊織もポカンとしている。あれほど嫌がっていた曹瑛が依頼を受けたことも腑に落ちる。


「魏老師、彼が私のパートナーの榊英臣だよ。彼はとても良い仕事をする。神保町にある曹瑛のブックカフェも彼が手がけたんだよ」

 ライアンが誇らしげに榊を紹介する。榊は腰に手を回そうとするライアンを肘鉄で牽制する。ライアンは笑顔のまま全く怯まない。

「ミスターハンターのビジネスパートナーの榊です」

 ビジネス、という部分を強調する。

「烏鵲堂には行ったことがある。とても素晴らしい店だ。君の手腕は確かだ、期待しているよ」

 魏秀永は烏鵲堂のことも知っていた。榊が曹瑛をチラリと見やる。曹瑛はパーティ会場の隅で気配を消して佇んでいる。


 ライアンは続いて伊織と魏秀永を引き合わせた。伊織は日中文化交流雑誌の記事を書きたいという話を持ちかける。魏秀永は横浜のデザイナーズホテル建築にかける夢を熱心に語り始めた。

「伊織さんて人の心を掴むのが上手いね」

 笑顔で相づちを打つ伊織の姿を見ながら、高谷がしみじみ感心している。

「真っ直ぐで裏表が無いから心を許せるんだろうな」

 榊も魏秀永がグローバルフォース社役員たちとの挨拶で見せたうわべだけの笑顔ではなく、心底楽しそうに語る姿を見て高谷の言葉に納得する。


「ライアン、魏秀永を狙った奴らの正体と目的は分かったのか」

 榊がライアンに耳打ちする。

「ああ、横浜を拠点にするジャパニーズマフィア鈴村組がバックについているようだ。黒いチャイナ服は蘇州鳳仙会から派遣された刺客だ。どうやらカジノ利権のために手を結んでいるようだ」

 チャイニーズマフィアも関わっているとは、根が深い。榊は眉根を寄せる。その顔を恍惚として見つめるライアンを高谷が渋い顔で見上げる。


「魏老師は慈善事業にも意欲的や。それを良く思わん奴らがおんねん」

 聞き覚えのある関西弁に振り向けば、劉玲が立っていた。全身金色の長袍に、龍の透かし彫りが施してある。榊と高谷は度肝を抜かれ、目映い金色に目を細めている。

「劉玲、よく来てくれたね」

 ライアンは劉玲にハグをする。今回のプロジェクトに上海の企業として参加しているという。劉玲は上海九龍会の上級幹部だが、表向きは会社社長ということになっていた。


「孫さんも来てたのね」

 千弥が黒い長袍姿の孫景を見つけて嬉しそうに笑顔を向ける。白いチャイナドレスを着た千弥に、孫景は思わず頬を染める。千弥はトランスジェンダーで、身体は男性だが細身でしなやかな身のこなしは奥ゆかしい美しさがあった。

「お、おう。劉玲のお守りだよ」

「その衣装素敵ね」

「ありがとな。君も綺麗だよ」

 思わず綺麗、と口にして孫景は照れ隠しに手にしたグラスを一気に煽った。


 会場の照明がダウンライトになり、ムーディーなダンスミュージックが始まった。欧米系のメンバーが音楽に合わせてパートナーの手を取り、踊り始めた。

「刺客はまだ諦めていないはずだ」

 先ほどまで壁際で様子を伺っていた曹瑛が、いつの間にか魏秀永の背後に立っている。

「この暗さに乗じて仕掛けてくるな」

 榊も鋭い目線で周囲を見回す。

「英臣、私とダンスを」

 ライアンの誘いに榊は首を思い切り横に振る。

「それどころじゃないだろう」

「敵の気を逸らすことができる」

 ライアンが迫ってくる。榊は戦きながら後退る。曹瑛は呆れ顔で関わりたくないと引き気味に眺めている。


「さあ、英臣」

 ライアンが両手を広げて襲いかかってきた、ように榊には見えた。榊は全力でそれを避け、知らんぷりを決め込んでいる曹瑛に掴みかかる。

「曹瑛貴様、自分だけ逃げようと思うなよ」

「ライアンはお前にご執心だ。踊ってやればいい」

「俺を売る気か」

 榊は鋭い目線で曹瑛を睨み付ける。曹瑛は唇の端を吊り上げてニヤリと笑う。

「お前は奴のパートナーだろう」

「ビジネスパートナーだ、略すな」

 榊と曹瑛は取っ組み合いを始めた。醜い争いに高谷はため息を漏らす。千弥はリードして孫景の手を取り、ダンスを始めている。

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