第8話 危険なダンスタイム
パーティ会場中央では、来場者たちが二胡と笛の優雅な音色に合わせてスローテンポのダンスを踊っている。会場は華やかなチャイナ風衣装が舞うダンスホールに様変わりした。明るい喧噪の中で、伊織は魏秀永と話し込んでいた。伊織の拙い中国語にも魏秀永は笑顔を絶やさず頷いている。
「瑛さんとは知り合いなんですか」
伊織は先ほどから気になっていた疑問を投げかけた。
「君は彼の過去を知っているね。そう、彼は私の命の恩人だ」
「瑛さんが、命の恩人」
驚く伊織に、魏秀永は穏やかな表情で頷く。
ハルビンの邸宅でマフィアの雇った暗殺者に命を狙われたところを、曹瑛に救われたという。
「幼い孫娘も一緒だった。彼がいなければ孫共々私も殺されていたよ」
「そんなことが」
壮絶な出来事だ。伊織は言葉に詰まる。
「実は、曹瑛は私を殺すよう命じられていた。しかし、彼はそうしなかった。命令に反して、組織を裏切り国外へ逃亡することになった」
龍神事件の直前だ。伊織はそう直感した。
「彼の目を見て確信した。彼は正しい道を進める人間だと」
魏秀永は伊織に向き直る。
「それは間違っていなかった。彼は正しい道へ進み、君たちのような友人を得た。彼は人生を取り戻せたのだろう」
「きっと、そうですね」
伊織は榊と取っ組み合いを続ける曹瑛を遠目に見つめる。魏秀永との出会いが曹瑛の人生を変えるきっかけとなった。そして奇妙な縁でここにいるみんなと繋がっている。伊織は目頭が熱くなるのを感じた。
「瑛さんはあなたに恩義を感じています」
曹瑛の大切な恩人である魏秀永を守らなければ、伊織は決意した。密かに会話を聞いていた劉玲も鼻水をすすり上げ、涙ぐんでいた。
「英臣、やはり君は曹瑛を愛しているのか」
ライアンは切なげな瞳で曹瑛に縋り付く榊を見つめる。
「いや、違う。そういうわけでは」
慌てて否定する榊の背中に、グローバルフォース社幹部たちの視線が刺さる。
―バイで二股どころか、さらに別の男にも手を出すなんて
―ショートパンツのかわいい男の子とも親密だったわ
あらぬ疑いをかけられて、榊は白目を剥く。
「あほらしい」
曹瑛はその場を離れようと踵を返す。しかし、その足を止めた。
「あの黒服が見えるか」
曹瑛が榊に向き直り、来賓に紛れる黒い詰襟の男を視線で示す。
「ああ、殺気を隠しもしない」
榊も唇を引き結び、頷く。ライアンも二人の緊張感から敵の存在に気付いたようだ。
「では、私は彼と踊ることにしよう」
「お、ええよ」
ライアンは目映い金色の長袍に身を包んだ劉玲と手を繋ぎ、踊り始めた。曹瑛と榊も手を取り、周囲を警戒しながらぎこちないステップを刻み始める。
二人は魏秀永の近くに踊りながら移動していく。詰襟の男が動き始めた。ダンスをする客の間を縫って近付いてくる。胸元から光るものを取り出した。小型のナイフだ。薄暗い雑踏に紛れて斬りつける気だ。
曹瑛はくるりと身体を回転させ、ガーターベルトに仕込んだスローイングナイフを放つ。ナイフは詰襟の太股に命中した。詰襟はくぐもった呻き声を上げ、動きを止める。ここで騒ぎを起こすのは不本意らしく、口を噤み痛みに耐えている。
「曹瑛、後ろだ」
曹瑛は身体をのけぞらせながら、スローイングナイフを撃つ。榊は仰向けになった曹瑛の背を支える。
「右から来る」
榊は死角から迫る敵の姿を見つけ、曹瑛をフォローする。曹瑛は流麗な動作で舞いながらナイフで敵を牽制する。まるで二人が情熱的なダンスを踊っているようだ。ライアンは二人の姿に見惚れつつも、逃げ出す詰襟を捕縛するよう部下の黒服に指示を出す。
「なり振り構わずになってきよった」
劉玲はライアンと踊りながら、魏秀永の背後に近付いてきた詰襟に足を引っかける。
「派手なパフォーマンスでプロジェクトを中止に持ち込もうという魂胆だね、そうはいかないよ」
ライアンは床に転がった詰襟の尻を踏みつける。
「お前は鈍臭い、足を踏まれそうだ」
曹瑛は文句を言いながら振り向きざまにナイフを飛ばす。詰襟が腕を押さえて蹲る。
「悪いな、こういうのは柄じゃない。八時の方角だ」
榊は曹瑛の腕を引き、詰襟の立つ方向を示す。武器を取り出す前に曹瑛の放ったナイフが手首に突き立った。
「しかし、ライアンの見立ては悪くない。動きやすそうじゃないか」
紅い長袍の裾をはためかせて舞う曹瑛に、榊が軽口を叩く。曹瑛は瞬時にナイフを榊の頬にピタリと当てる。
「今からでも交換してやるぞ」
曹瑛は不満げに口をへの字に曲げている。
「それは遠慮しておこう、俺には似合わない」
榊は口角を上げて笑いながら横をすり抜けようとした詰襟に肘鉄を食らわせた。
不意に、会場の照明が落ちた。場内は一時騒然となる。暗闇に目が慣れ始めた頃に再びシャンデリアが灯る。二胡の演奏が再開され、すぐに落ち着きを取り戻した。緩やかな音楽に合わせてダンスは続く。
「魏秀永がいない」
曹瑛が周囲を見渡す。
「なんだと」
榊は会場出口に目を向けた。黒い布を頭に被せられた男が複数の詰襟に連れられて会場を出て行く。ライアンもその後に続く。抵抗しないところを見ると、背後から銃を突きつけられているようだ。
「行くぞ」
榊と曹瑛は頷き合い、人の波をすり抜けて出口へ走る。赤い絨毯を敷き詰めた廊下の先にエレベータがある。ドアの隙間から魏秀永とライアンの姿が見えた。ライアンは屈辱に顔を歪めている。エレベーターは無情にも閉まり、行き先ランプは屋上階を示している。
「やられた」
曹瑛はギリ、と奥歯を噛む。榊は非常階段へ続くドアを見つけ、駆け出した。ドアノブを回すが、施錠されている。エレベーターのランプは屋上階で止まったままだ。
「榊さん、曹瑛さん、大丈夫?」
高谷が駆けてきた。ライアンと魏秀永が誘拐されたことを聞いて青ざめる。
「結紀、こいつを動かせるか」
「うん」
高谷がタブレットを取り出し、ビルのメンテナンスシステムに侵入を試みる。榊と曹瑛は画面を見守っている。ポン、と電子音が響き、エレベーターが動き出した。
「よし、いいぞ。監視カメラの映像は取れるか、屋上だ」
「やってみる」
高谷はまた画面に集中しはじめる。
「ヘリで逃げる気だ」
高谷のタブレットには、屋上に停まったヘリコプターにライアンと魏秀永が乗せられる映像が映し出されている。プロペラは回転し、いつでも離陸できる体勢だ。曹瑛は眉根を寄せ、小さく舌打ちする。
会場には千弥が残り、主催と主賓不在の混乱をなんとか治めているようだ。エレベーターが到着した。曹瑛、榊、高谷はエレベーターに乗り込み、屋上階のボタンを押す。
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