第5話 舞台上の刺客
パーティ会場にはチャイナテイストの仮装をした来賓が集まった。ユニークな仮装が話題となり、会場は明るい雰囲気に包まれている。ライアンは長袍をアレンジした衣装を身につけていた。深い光沢のある黒は光の加減で紫にも見えた。ブロンドの髪をゆるく後ろに流し、耳元には鮮やかな赤色のタッセルが揺れている。
ライアンの周囲にはグローバルフォース社の若手幹部が集い、来賓たちをもてなしている。人を惹きつけるカリスマのある男だ。その傍には白いチャイナドレスを着た千弥が立つ。胸元を飾る大きな赤い牡丹の美しい刺繍が上品ながら華やかな雰囲気を演出している。
ライアンが榊の姿を見つけて笑顔で手を振る。
「素晴らしい。とても似合うよ、英臣」
ライアンは榊の黒い長袍姿を恍惚とした表情で見つめている。
「今回の見立ては悪くない」
「そうだろう。君のストイックな精神性を表現する肌の露出を抑えたデザインだ。私としては不本意だが、こうしてみるとそれがまたセクシーでもある。ブーツはワイルドさを強調するアクセントだよ」
ライアンは目を細めながら満足げに頷いている。この格好なら乱闘になっても動くことができる、と榊は別のことを考えていた。
「曹瑛はいないのか」
ライアンは周囲を見渡すが、曹瑛の姿はない。
「ああ、表舞台に立つつもりはないらしい」
「彼の秘めたるセクシーさを際立たせる素晴らしいデザインだろう。彼の純粋な強さはセクシーですらある。それを表現したかったんだ」
ぜひひと目見たい、とライアンは悦に入っている。榊はあの衣装が自分用でなくて良かったと胸を撫で下ろした。
「結紀くん、かわいいじゃない」
千弥が若草色のショートパンツ姿の高谷を見て微笑む。
「子供扱いしないでよ」
高谷は腰に手を当てて唇を尖らせた。ふてくされる姿にまだあどけなさが残る。
「結紀、いいじゃないか。やっぱり若い子は溌剌とした姿がいい。爽やかな色も似合うよ」
ライアンは嫌がらせのつもりは全くないようだった。高谷は怒るに怒れず複雑な気分だ。
「あっ」
背中に衝撃があり、高谷がバランスを崩した。それを千弥が支える。
「ああごめん、高谷くん。肩幅が掴めなくて」
伊織が振り向いたとき、パワーショルダーが高谷にぶつかったのだ。
「伊織、君は奥ゆかしい。もっと目立つべきだよ。そのくらい主張があった方がいいね」
伊織は自分の胸元の大きなメデューサの紋章を見つめる。これが一体何の主張なのだろうか。困惑した目でライアンを見つめる。
「それに、君はヴェルサーチがお気に入りのようだ。今回のチャイナテイストのテーマに沿うよう雷文調のデザインがある衣装を選んだよ」
別にヴェルサーチがお気に入りというわけではない。無理矢理着せられた郭皓淳のド派手なシャツがたまたまヴェルサーチだったというだけだ。伊織は眉根を寄せる。
「厳密にはメアンダーというデザインなんだ。ギリシア雷文と呼ばれるが、中国の雷文と異なるのはラインが繋がっていることだ」
ライアンのうんちくは続く。
「ああ、そろそろ挨拶の時間だ」
CEOのライアンは開会の挨拶をすることになっているらしく、取り巻きに囲まれて舞台の方へ向かった。踵を返したドレスの背中が広く開いており、榊と高谷は度肝を抜かれた。セレブのセンスは理解しがたい。
挨拶の場には主賓の魏秀永も立つことになっている。榊と高谷、伊織も豪華な食事が並ぶテーブルの間を縫って舞台の方へ向かう。曹瑛もどこかで魏秀永の姿を見守っているだろう。
会場の明かりが落ちて、舞台の幕が上がる。美しい二胡の音色が響き渡り、青色のダウンライトが舞台を照らしている。前座の中国舞踊が始まった。煌びやかな衣装の女性が並び立ち、扇子を広げて舞う。思わぬパフォーマンスに会場から感嘆のため息が漏れる。
女性たちが舞台袖に引いて、白いラメの入ったレオタードの男性が2人登場する。天井から青色の布が降りてきた。男性は布に身体を絡ませながらどんどん高い位置へ昇っていく。布を巧みに操り、蝶のように空中を舞う。見事な中国雑技に、会場から拍手と歓声が上がる。
会場の熱気が高まったところで、拍手の中ライアンが登場した。目映いスポットライトがライアンを照らし出す。長身に艶やかなブロンド、深い紫色のドレスを着こなしたライアンの存在感に、会場は静まりかえる。
「ライアンて、改めて考えると本当はすごい人なんだよな」
高谷がぼやく。壇上でスポットライトを浴びるライアンは、手が届かない別世界の人間のようだ。一緒に泥だらけになって宝探しをしたことが信じられない。
「近くにいると迷惑極まりない奴だがな」
榊もそう言いながらライアンの演説に耳を傾けている。
ライアンは横浜の再開発を盛立てるデザイナーズホテルの構想を語っている。皆がライアンに熱い視線を送っている。
「このプロジェクトのパートナー、私の大事な友人でもある魏秀永を紹介しよう」
ライアンが舞台袖から魏秀永を招いた。握手をして、略歴を紹介する。
「このプロジェクトは私の夢でもあります」
魏秀永が中国語で話し始める。傍らに立つ女性が同時通訳を行っている。背景には魏秀永の幼い頃に記憶に残る横浜の街が映し出されている。
「いい話だ」
伊織は魏秀永の話に感銘を受けて涙を流している。
天井に吊られた舞台照明の作業通路に人影があった。黒づくめの男が腰につけたバッグからいくつかの金属部品を取り出す。それを手慣れた動作で組み立てていく。完成したのはサイレンサーつきの小型の銃だ。舞台装置に近いスタッフは警備員の厳しい取り調べを受けたが、男は銃を分解することで持ち込みに成功したのだ。
男は手すりから身を乗り出し、照明の下で熱弁を振るう魏秀永に狙いをつける。男は口の端を吊り上げて笑う。彼を仕留めたら多額の報酬が手に入る。しばらく雲隠れして遊んで暮らせるだけの金だ。
男は引き金に指を掛けた。その瞬間、銃を握る手に衝撃を感じた。手の甲が焼ける様に熱い。恐る恐る見ると、銀色の小さなナイフが突き立っている。ナイフを抜けば血が流れだし、痛みが襲ってきた。
「クソ、誰だ。邪魔しやがったのは」
男は悪態をつく。通路の奥に気配を感じた。カーテンの影に長身で細身の男が立っている。男は暗殺のプロだった。自分を狙う敵に気が付かなかったことに驚愕した。
「お前は三流だ」
「なんだと」
闇から聞こえる感情の無い声に、男は激昂した。手の傷に布を巻き付け、急ぎ止血する。銃口を暗闇に向けた。闇の中から現われたのは、黒い長袍を着た男、曹瑛だ。その瞳は冷たい水を湛えた夜の湖のようだ。
男は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。無言で佇む曹瑛の纏う静かな怒りと殺気を本能が感じ取り、怖れているのだ。
「お前には奴を殺せない。大人しく去るというなら見逃してやる」
曹瑛の言葉に、男は動揺する。しかし、ここで逃げ出すのはプロの名折れだ。逡巡の末、男はプライドにしがみつくことを選んだ。それにこちらは銃を持っている。目の前に立つ曹瑛は手をだらりと下ろし、構えも取っていない。
「奴を殺せば大金が手に入る」
邪魔されてたまるか、男は引き金を引いた。曹瑛は銃弾を避け、通路から身を投げたかと思うと驚くべき軌道で宙を舞う。目を凝らせば、天井から吊られた雑技の布を腕に巻いていた。
「まったく、救いがたい」
曹瑛は呆気に取られる男の首に布を巻き付け、瞬時に締め上げる。
「ぐうっ」
男は低い呻き声を上げて口から泡を吹く。やがて白目を剥いて気絶した。舞台では、魏秀永がスピーチを終えて会場から盛大な拍手が巻き起こっている。
曹瑛は目下の舞台袖に黒い詰襟の男が立っているのに気が付いた。あの無粋な衣装は仮装ではない、仲間の暗殺者だ。
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