第4話 ドレス・アップ
レインボーブリッジの夜景を見下ろす横浜ロイヤルアークホテル最上階。グローバルフォース社主催の横浜デザイナーズホテルプロジェクトの成約を記念したパーティが開かれていた。ハロウィンと重なることもあり、参加者は全員仮装することになっている。仮装のテーマはチャイナテイスト。クライアントの魏秀永が中国人であることから、ライアンの粋な計らいだった。
ベイエリアの明かりが灯る頃、榊はホテル地下駐車場にBMWを停めた。高谷と曹瑛、伊織も一緒だ。衣装はホテルの一室に用意してあるとライアンからメッセージが入っている。先ほどから曹瑛は無言で腕組をしたまま、不機嫌オーラを醸し出している。榊も気乗りしない様子で、タバコの本数が多い。華やかな場所が本来苦手というだけでなく、ライアンの招待ということが要因なのは間違いない。
「パーティでは瑛さんは別行動なんだね」
「そうだ、表舞台に出ることは無い。早々に魏秀永を狙う輩を仕留めて、帰る」
そういえば、曹瑛は車中でJRの時刻表を調べていたことを伊織は思い出した。
「榊さん、そんなに心配しなくて大丈夫だよ。パーティは全員仮装なんだから、目立たないよ」
高谷も榊にフォローを入れる。ライアンが用意した衣装がとんでもないものではないかと思うと榊は憂鬱で仕方が無い。最上階へ昇るエレベーター内で、何度も曹瑛と榊の深いため息が漏れた。
エレベーターが開くと、賑やかな喧噪が聞こえてきた。煌びやかなチャイナドレスの女性がようこそ、とお辞儀をする。目の前を中国宮廷ドラマに登場するような漢服の男女が談笑しながら通り過ぎていく。
「榊さまとお連れさまですね。こちらへ」
会場脇の一室へ案内された。セミスイートの豪華な部屋にはウエルカムドリンクが準備されている。
「ここで着替えろというのか」
榊はテーブルにメモが置かれているのを見つけた。ライアンからのメッセージだ。
「ようこそ、君たちの衣装はクローゼットに用意してある、だと」
榊がメモを読み上げる。曹瑛はウォークインクローゼットの扉を開いた。ネームタグがついた衣装が並んでいる。
曹瑛はハンガーに掛けられた衣装を手に取り、黒いカバーを取り外してみる。中は黒い長袍だ。ライトの加減で布地がダークレッドに変化して見える。
榊もおそるおそる衣装を取り出す。漆黒の長袍に、ボトムは黒いパンツだ。意外と普通なデザインに、榊は拍子抜けした。
「来賓のあるパーティとあって、さすがのライアンも奇をてらうものは避けたかもしれないな」
榊は安心してその場で着替え始める。
「面倒だが、仕方が無い」
曹瑛も着替える気になったようで、衣装を持ってベッドルームに向かった。伊織と高谷は顔を見合わせてホッと息をついた。
―数分後。
着替え終えた榊はソファに座ってワインを開けていた。
「榊さん、プロの暗殺者みたい」
榊は上質な生地の黒い長袖長袍に革の手袋をつけている。足を組んでワインを傾ける姿は悪の組織のボスにしか見えない。
高谷は明るい若草色の五分丈チャイナ服にショートパンツ、カラーリングを合わせたカンフーシューズを履いている。
「俺、子供扱いされてるみたいだ」
高谷は丈の短いパンツが恥ずかしいらしく、頬を赤らめてもじもじしている。
「なんだこれは」
ベッドルームで着替えていた曹瑛の声だ。
「どうした」
榊と高谷が顔を出すと、曹瑛は頭を抱えて悶絶していた。榊の長袍は至ってシンプルなデザインだが、曹瑛のそれはサイドが編み上げになっていた。ボトムはホットパンツとサイハイブーツがベルトで繋がれている。上腕で留めた長袖、手には革のグローブといういでだちだ。胸元のスリット、ノースリーブの長袍から肩、脇と太ももの肌が露出するデザインだ。
「うわ、ライアン狙いすぎ」
高谷が思わずぼやく。榊も気の毒そうな顔で曹瑛から目を逸らした。曹瑛が大股で榊に詰め寄る。
「お前の衣装と交換だ。その衣装の方が仕事がやりやすい」
曹瑛は本気だ。榊は眉を顰める。
「ライアンはお前の潜入ミッションを考えて衣装をデザインしているはずだ。その服は機能性を重視している」
榊のもっともらしい言葉に、曹瑛は一瞬考える。
「そんなわけないだろう」
曹瑛のツッコミに榊はチッと舌打ちをする。高谷は榊の姑息な説得に呆れている。
「だいたい、俺は胸筋を鍛えているからな、お前のためにデザインされた衣装が入るはずがないだろう」
榊はニヤリと笑う。曹瑛は目を細めて榊を睨み付ける。
「貴様の目は節穴か。脇の部分が編み上げになっている。これを緩めればお前にも無理なく着こなすことはできる」
「チッ、気が付いたか」
「さあ、脱げ。交換だ」
曹瑛が榊に迫る
「断る」
「あのう、俺も着替えてみたんだけど」
伊織が扉から顔をのぞかせている。伊織は黒い詰襟の衣装だ。
「伊織さんはどんな衣装だったの」
高谷が声をかける。伊織は躊躇いがちに扉を開ける。その全身像を見た榊と高谷は唖然とした。
襟と袖には金色の雷文、胸には大きなメデューサの紋章がついている。特筆すべきは肩幅だ。伊織のなで肩を大きく演出ド派手なパワーショルダーは見る者を威嚇する。呆然とする伊織の顔に反してメデューサの紋章が微笑する。
「ぶほっ」
榊が我慢できずに吹き出した。郭皓淳プロデュースの伊織のトンデモ衣装に毎回腹筋を持って行かれる榊は全く免疫がつかないらしく、笑いながら膝から崩れ落ちている。高谷も涙目を拭いながら爆笑している。
「伊織、俺を笑い死にさせる気か」
榊は息も絶え絶えだ。
「榊さん、ひどい」
伊織は苦言を呈する。
「よせ、その肩で迫ってくるな、攻撃力が高すぎる」
笑い転げる榊と高谷を曹瑛は冷静に見下ろしている。そして伊織の方を向き直る。
「伊織」
「うん」
「似合っているぞ」
曹瑛はスーツや私服のチョイスはすべてショップ店員に任せている。自分が通販で選んで買った部屋着のセンスはひどいものだということを伊織は知っている。そんな曹瑛にフォローされても少しも嬉しくない。
「だが、強いて言うなら」
曹瑛は腰に手を当てて、伊織をじっと見つめる。榊と高谷は固唾を飲んで見守っている。
「ボトムにも金ラインがあった方がいい」
曹瑛は至って真顔だ。全員白目を剥いていた。
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