第2話 水面下の攻防
ライアンは円卓のスタッフに向き直り、にっこりと微笑む。榊の腰に手を回そうとして、たたき落とされても気にしない。
「彼は私のパートナー、榊英臣だよ」
ライアンは誇らしげにスタッフに榊を紹介する。
「ビジネスパートナーの榊です」
榊はあらぬ誤解を生まぬよう、すかさず被せていく。ライアンは気を悪くする様子は無く、榊とのこれまでの共同事業について説明した。続いて高谷を秘書として紹介し、席につくよう促した。
「ライアン、なんて図々しい奴」
女性秘書に扮した高谷が唇を尖らせて榊の耳元で囁く。まさかこんなに榊との仲をアピールしてくるとは。スタッフが動じないところを見ると、ライアンの嗜好は周知の事実のようだ。
「商談を早く切り上げて、とっとと引き上げるぞ」
榊は縁なし眼鏡をクイと押し上げる。高谷は頷いて、タブレットを取り出した。
「それでは早速ビジネスの話をしよう」
ライアンはノートパソコンの画面を正面のプロジェクタに投影する。それを見た榊は硬直し、高谷は大きな目をさらに見開いて前のめりになった。
「横浜ベイエリアのホテルプロジェクトはどこだったかな」
ライアンは悠々と目的のフォルダを探している。プロジェクタにはライアンのデスクトップ画面に設定してある凜としたスーツ姿の榊がでかでかと映し出されている。榊は額から生ぬるい汗がタラタラと流れ落ちるのを感じた。スタッフは至って真顔だ。このデスクトップ画面で過去にも打ち合わせが行われたのだろう。
高谷も呆れて口をポカンと開けている。隣に座る榊の魂が抜けそうなのに気が付いて、慌てて腕を揺さぶる。
「榊さん、気をしっかり」
「あ、ああすまん」
榊は気力を振り絞り意識を保つ。今にも椅子を蹴って立ち上がり、「破談だ」と叫んでこの部屋を飛び出したい。
「うーん、どこだったかな」
ライアンは悠長にプロジェクトのフォルダを探している。画面に映るフォルダ構造は整然としており、分からなくなるはずなどない。わざと榊の写真をアピールしているのだ。高谷は歯噛みする。
高谷はバッグからハンカチを取り出し、榊の額に流れる汗を軽く拭き取った。
「大丈夫ですか、榊さん」
高谷はわざと親密な様子を見せつける。それを見たライアンは、口元を緩めたまま目尻をピクリと動かす。
―やるな、結紀
―お前の嫌がらせには屈しないぞ
高谷とライアンは静かな火花を散らす。
散々デスクトップ画像をアピールして、漸くフォルダが見つかった。ライアンは自らプレゼンを始める。
「横浜は1859年に開港した。それから租界が形成され多くの外国人が往来した。横浜に上海、香港の定期船航路が開設され、中国人貿易商たちもやってくるようになる。彼らは居留地に牌楼や関帝廟が建て、チャイナタウンが栄えた」
ライアンは横浜の歴史をかいつまんで説明する。
「黒竜江省出身の貿易商を祖父に持つ魏秀永は、幼少期に横浜で三年間過ごした。今や彼は中国有数の資産家で、今回のクライアントだ」
魏秀永のすごした洋館のモノクロ写真がプロジェクターに映し出される。レトロモダンなレンガ建築の瀟洒な洋館、館内で撮影されたと思われる幼い魏秀永と家族の写真だ。花柄の壁紙に、飾り窓、奥には中華風の家具が並ぶ。
「彼は今78歳で、日本で家族と過ごした思い出を蘇らせたいと望んでいる。個人が思い出に浸るだけではなく、かつての洋館をイメージしたラクジュアリーなホテルを建設して地元に貢献したいという考えなんだよ」
榊は真剣な眼差しで聞き入っている。ライアンはその表情を恍惚として見つめている。
人の想いを乗せたホテル建築で、街の活性化の貢献にもなる。やり甲斐のあるビジネスだ。ライアンの持ちかけるビジネスはいつも好条件だけでなく、質も高い。全くくじけることなく暑苦しいモーションをかけてくるライアンは苦手だが、ビジネス手腕にかけては認めざるを得ない。
「コンセプトアートを用意しているんだ、どこにあったかな」
ライアンはフォルダを探し始める。ダブルクリックをしてフォルダの中身が画面いっぱいに広がった。榊は白目を剥く。スーツ姿だけでなく、プライベートでの私服や温泉宿での浴衣姿まで、あらゆるシーンの榊の写真が並んでいた。円卓のスタッフは微笑ましい顔でプロジェクターを見つめている。
「お探しするのを手伝いましょう」
ライアンのあからさまなアピールを見かねた高谷は席を立ち、ライアンの傍にやってきた。ライアンは笑みを浮かべている。
「ライアン、いい加減にしてよ。榊さん今にも気絶しそうだ」
高谷はライアンの耳元で囁く。
「何のことかな。フォルダが見つからなくてね、これはたまたま開いてしまったんだよ」
ライアンは全く悪びれもしない。高谷はキーボードを操作し、ショートカットキーで瞬時にフォルダを完全削除した。
「英臣の写真はクラウドにアップロードしてあるんだ、ここで消されても何ら問題はない」
鼻高々なライアンに高谷は渋い顔を向ける。
「ああ、失礼。見つけたよ」
ライアンはコンセプトアートを公開する。それから周辺の環境や施設、採算性などの数値を出し、完成は来年秋という話でキックオフミーティングは終了した。その間にも3回は間違えたと言いながら、榊の写真が満載のフォルダをプロジェクターに投影した。その度に榊は白目を剥いて、終盤にはすっかり憔悴しきっていた。
ミーティングが解散となり、榊と高谷は席を立つ。
「あっ」
高谷は慣れないヒールにバランスを崩し、前のめりになる。それをすかさず榊が抱きとめた。
「大丈夫か、結紀・・・もとい結子」
「すみません、社長。新しいヒールに慣れなくて」
高谷は肩を抱かれたまま榊を見上げる。2人にスタッフの視線が集まる。ここで女性秘書との親密な様子を見せつけておけば、ライアンと榊の仲が疑わしいものになるという高谷の作戦だ。
ライアンは冷静さを保ちながらも、目を細めて榊と高谷の様子をじっと見つめている。高谷はライアンに向けてにんまりと笑う。ライアンは余裕の笑みを浮かべながら近付いてくる。
「はっ」
榊の目の前にやってきたとき、ライアンがわざとらしい動作で転倒しかける。榊に抱きとめてもらおうという見え見えな魂胆だ。
「危ない」
榊に抱きつこうとしたライアンを間に入った高谷が受け止める。もちろん”危ない”のは榊だ。小柄な高谷は榊を守ろうとする一心で、大柄なライアンをがっしりと抱きとめた。おおっ、とスタッフから控えめなどよめきが上がる。
「危なかったですわ、ミスターハンター」
高谷はライアンを押し返しながら睨み付ける。
「ふ、なかなかなるな・・・結紀」
ライアンはすぐに何事もなかったかのように体勢を立て直した。榊は呆れ果ててため息をつく。
「私のオフィスに招待しよう。コーヒーでもどうだね」
用件は済んだので一秒でも早く帰りたい榊だが、無碍に断ることもできずライアンに連れられてオフィスに向かった。
高層ビル群が見渡せる全面ガラス張りのオフィスに通される。本革張りのソファに身を投げ、榊は大きなため息をつく。ライアンつきの秘書がドリップし立ての香り高いコーヒーを運んできた。榊の顔を見て、にっこり笑って出て行く。
ライアンもリラックスしてソファにかけて足を組む。
「この案件は、彼らに任せておいても良い仕事をするだろう。しかし、どうしても君に頼みたかったんだよ。魏秀永と父ロイは古い友人でね、ぜひ彼の想い出を形にしてもらいたいんだ」
「・・・わかった」
榊は頷いた。ライアンの気持ちに偽りはない。遠回しの精神攻撃には辟易するが、世界的に成功を収めているライアンにビジネス手腕をかわれているのは素直に誇らしい。
ふと、ライアンのデスクの上に写真立てがあるのを見つける。不思議とわざわざこちらを向けてある。見れば、父ロイと母、ライアンが並ぶ家族写真の横にスーツ姿の榊の写真だ。榊は口に含んだコーヒーを吹きそうになるのを気合いで耐えた。
高谷は気の毒そうに榊の背中をさする。
「しかし、あのエリアはカジノ計画の候補地でもあるな。黒い利権が渦巻いている」
榊の目が険しくなる。
「もちろん、その話も承知の上だ。土地は確保したが、不穏な動きがあると聞いている。だが、邪魔するものは許さない」
さきほどまでの微笑は消え、ライアンは冷酷なマフィアの顔になる。その冷たさに触れると火傷しそうだ。炎のような熱を秘める榊と真逆のはずだが似ている、と高谷は思う。自分には入り込めない世界に、小さく唇を噛んだ。
「久しぶりに君たちに会えて楽しかった。さあ、ロビーまで送ろう」
ライアンは元の柔和な笑顔に戻り、ソファから立ち上がった。
普段はニューヨーク本社にいて雲の上の存在であるライアンがロビーで見送りをする姿が珍しいようで、社員たちが振り返る。外回りから帰ってきた刑部千弥が、榊と女性秘書に化けた高谷を見つけて驚いている。
「あら、榊さんこんにちは。結紀くん、その格好」
「これには深い訳が」
事情を察した千弥はああ、とライアンを見やる。
―彼がCEOのパートナーなのね
―でも、あの若い秘書とも何かありそうよ
―バイセクシャルで二股をかけているのね
帰り際、そんなヒソヒソ話が否応なく聞こえてきて、自動ドアにぶつかりそうになる榊を高谷が必死で引っ張る。刃物を持ったゴロツキとの喧嘩には全く動じない榊だが、ライアンの無邪気とも言える恋人アピール攻撃には相当なダメージを食ったようだった。
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