第2話

「じゃあ今日はこれで」

 高谷と千弥は席を立つ。

「また来てね、次は俺をご指名で」

 カイトとリョウタは源氏名の入った銀ラメに黒文字、金色のかぼちゃの馬車の箔押しが入った名刺を手渡す。そんなどぎついデザインの名刺は初めてで、千弥は思わず二度見した。

「ありがとう、楽しかった~」

 高谷が作り笑顔で手を振る。階段を降りて通りに出ると、裏路地から言い争う声が聞こえた。二人は息を潜めて路地を覗き込む。


 そこには凛久りくの姿があった。肩にかかるゆるいパーマを当てた髪を明るい茶色に染め、黒のスーツに黒のドレスシャツ、派手な飾りベルトに大きな白いスカーフを首に巻いている。長身で細身、店にいた男たちと比べても存在感があった。


「もうお金無いの」

 ピンク色のパーティドレスに白いカーディガンの若い女が凛久に泣きついている。

「じゃあ、お前とは縁の切れ目だな」

 凛久は鼻を鳴らして嘲笑う。女性は凛久に縋り付く。


「私を愛してるって言ったじゃない」

「金が無い奴には用はない、こっちも商売だ。金を作りたいならいい店紹介するぜ」

「そんなぁ」

 女性は膝から崩れ落ちた。凛久は蔑んだ目で女性を見下ろし、店への階段を上がっていく。


「ひどいわ」

 甘い言葉で女性を誘い、店に通わせて金が無くなれば易々と捨てる。この街ではよく見る光景だ。千弥は気の毒そうに女性を見つめる。女性はふらりと立ち上がり、ネオンの街へ消えていった。

「あの目、薬物中毒だよ」

 高谷がぼやく。女性の目は瞳孔が開いて、虚空を見つめていた。そして目の下に刻まれた真っ黒なクマ。彼女を立ち直らせてくれる善良な人間が周囲にいれば良いのだが。

「この店で行われている悪事を暴こう」

 高谷の言葉に千弥も深く頷いた。


 ***


 仕事帰り、千弥は高谷と落ち合うために閉店後の烏鵲堂カフェスペースに立ち寄る。階段を上ってすぐに孫景と目が合った。孫景は腕組をして渋い顔を向けている。千弥は気まずい表情を浮かべる。

「千弥、危ないことに首を突っ込んでるって聞いたぞ」

 孫景は険しい表情で千弥の顔を覗き込む。

「だって、話を聞いて許せなくて」

 千弥は唇を噛んで肩を落とす。書店の片付けを終えた高谷が階段を上がってきた。孫景に説教をされている千弥を見て、慌てて駆け寄る。


「元はと言えば、俺の連れの話からなんだ。俺も一緒に行ったんだよ、ゴメン」

 高谷が助け船を出す。孫景は千弥を妹のように大事に思っている。怒るのも当然だった。千弥は孫景に恋心を抱いており、一度は断られたものの諦め切れていない。嬉しさと切なさが入り交じり、落ち込んでいる。


「そういうときは俺も呼べよ」

 孫景は呆れながら小さくため息をついた。千弥もホッとして笑顔を見せる。

「男性同伴でホストクラブに行く女性はいないでしょ」

「まあ、そうだな」

 孫景は頭をかきながら笑った。緊張した雰囲気が解けて、高谷も安堵する。


「俺が孫景に話した」

 榊がやってきた。黒のシャドウストライプのスーツの上着を脱いでハンガーにかける。白いシャツブラウスにベスト姿で高谷の横に足を組んで座る。

「榊に頼まれてな、これ調べたぜ」

 孫景がテーブルにジッパーつきのプラスチックパックを置いた。中には白いシルクのハンカチが入っている。ホストクラブ“レディ・シンデレラ”でテーブルに零れた千弥のシャンパンを拭き取ったものだ。

「依存性の高い向精神薬の成分が検出できた。純度の高い悪質なものだ。間違いなく違法だよ」

 孫景はブローカーで、情報も扱う。このような調査はお手のものだ。


「凛久は気に入らないキャストを前後不覚に陥らせて、動画で撮影して脅すようなこともやっているらしい」

 卑劣な男だ。高谷は怒りを露わにする。

「薬物売買だけなく、そっちも押さえる必要があるな」

 榊も凛久の背後にいる組織を調べていた。池袋に事務所を構える木戸組だ。

「凛久は源氏名で、本名は木戸陽貴きどはるき、木戸組長の息子だ。縄張りを越えてシノギをすることは御法度だが、自分の息のかかった息子を送り込んでアコギな商売をしようとしているというわけだ」

 高谷と千弥は息を呑んで顔を見合わせた。これは思ったより危険な案件だ。


「このココナッツの、美味しいね。黒ごまも風味が良いよ」

 隣のテーブルで伊織が皿に盛られた一口サイズの月餅を食べている。

「これはカスタードだ」

 曹瑛が次の味を勧める。

「甘さが控えめで美味しい。お茶はどの組み合わせにするの」

 中国では中秋節に家族で月餅を食べる伝統がある。それにちなんで店の期間限定メニューを考えているらしい。三つのプチ月餅と緑茶系、烏龍茶系の2種類のセットにしたいと曹瑛は言う。


 高谷と千弥、榊と孫景の視線を感じて、伊織は慌てて月餅を勧める。隣のテーブルとの温度差は大きい。

「瑛さんの試作品なんだって。すごいよねえ、お店で売ってるみたいだよ」

 綺麗に型押しされた月餅は形も艶も良く、中華街の有名店で並ぶ高級な商品と遜色が無い。

「お前たちはどうする、この話乗るか」

 榊の問いに、話を聞いていなかった伊織は首を傾げる。高谷が概要をかいつまんで伝えた。


「そんなのひどいよ、許せない」

 ワンテンポ遅れて伊織も憤慨し始めた。曹瑛は黙って腕組をしているが、唇がへの字になっているところを見ると胸クソ悪いと思っていることは確かなようだ。

 曹瑛の試作品のプチ月餅を食べながら作戦会議が始まった。

「私がもう一度店に客として入り込んで、凛久を指名するわ」

 千弥が切り出した。それから役割分担をして作戦を詰めていく。

「結紀、店長に話をつけられるか」

「うん、蓮人を通せばいけると思う」

 高谷は早速、蓮人に連絡を取る。蓮人はすぐに店長に話を通してくれることになった。


 決起大会と称して、烏鵲堂の隣にある中華料理店”百花繚乱”へなだれ込む。榊と孫景は紹興酒、千弥と高谷と伊織は生ビール、曹瑛は烏龍茶で火鍋を囲んで乾杯する。陰陽の鍋に赤と白の薬膳スープが満たされており、新鮮な野菜や春雨とラム、豚ロースが運ばれてきた。

 伊織は赤い麻辣スープに汗だくになりながら目を回している。曹瑛は辛いものは得意らしく、それを見てせせら笑いながら平然と箸を進めている。


「曹瑛、ちょっといいか」

 榊が曹瑛に耳打ちをする。話を聞く曹瑛の顔がだんだん険しくなる。

「・・・貴様、気でも触れたのか」

 曹瑛が目を細めて榊を見やる。

「いいアイデアだろ」

 榊はニヤリと笑う。曹瑛は黙々とラム肉を頬張りながら何やら考えている。

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