極悪ホストを叩け

第1話

 夕暮れの雑踏の中、スーツ姿の男がハートに蔦が絡むデザインの看板の前に立つ。ここ新宿にあるバーGOLD HEARTは賑やかな繁華街の中にあるが客層が良く、落ち着いた雰囲気が好まれてマイノリティも多く集う店だ。

 ドアを開けると、ブルー系のダウンライトに照らされた店内には、ローテンポのジャズが流れている。


 男は店内を見回した。テーブル席には男女だけでなく、男性同士、女性同士のカップルもいて、それぞれの時間を楽しんでいる。男はカウンターに目を留めた。

 紺色のカジュアルなテーラードジャケットに、白とベージュのシャツを重ね着し、黒いパンツ姿の青年がカクテルを傾けている。整った顔で物憂げに長い前髪をかき上げる様子は、テレビに映る男性アイドルグループも顔負けだ。


「久しぶりだな、結紀。ここに来れば会えると思ってたよ」

 男に声を掛けられた高谷結紀は驚いた表情で振り向いた。そして、すぐに打ち解けた笑顔になる。

「蓮人じゃん、久しぶりだな」

 蓮人と呼ばれた男は控えめな愛想笑いを浮かべる。その表情に陰りがあることに高谷はすぐに気が付いた。蓮人は高谷の横に座り、ソーダ水を注文する。


「何かあったのか」

 他愛の無い会話が途切れたとき、高谷は蓮人の肩を叩いた。マスターが2杯目のソーダ水のグラスを目の前に置いた。それを一口含んで蓮人は話をはじめた。


「うちの店さ、店長は良い人でやりやすいって話、しただろ」

 蓮人は25歳で、大学在学中に始めた歌舞伎町のホストクラブのバイトをそのまま続けている。店は優良店で、黒い噂とは無縁。キャストのことも大切にしてくれると明るい顔で話をしていたのは半年前のことだ。

「最近入った新しいキャストのせいで雰囲気がめちゃくちゃ悪くなったんだよ」

 蓮人の顔が急に曇る。高谷は黙って相づちを打ちながら話を促す。


凛久りくって奴でさ、26歳で顔も良くて話も上手い。すぐに店のナンバーワンになったんだ。月額一千万プレーヤーだよ」

 だが、凛久は素行が悪いらしく、客の女性に店の外でも法外に貢がせたり、気に食わないキャストを嫌がらせでやめさせたりすることもあるという。さらには女性の酒にドラッグを盛り、店から離れられないようにしているという話もある。

 辞めていくキャストの代わりに凛久の縁故でやってくるキャストは同じように素行が悪く、店長は彼らを制御できずに困っているということだった。


「蓮人はやつらとは合わないんだろう」

「うん、俺はドラッグなんて。それに店のお客さんは大切だから」

 蓮人は純粋なのだ。それで胃薬を手放せない。本当はホストなんて向いていないのかもしれない、と高谷は思う。

「店を変えないのか。蓮人なら引く手あまただろ」

 蓮人は渋い顔で力無く首を振る。

「俺は店長にすごく世話になった。それに客層は良かったし、彼女たちには癒しになる店だったと思う。そんな店が凛久に乗っ取られようとしているんだ。どうも奴の背後にはヤクザ者が絡んでいて、店をドラッグ売買の拠点にしようと企んでいるらしい」


「許せないわ」

 突然、高谷の横にいた女性が呟いた。肩にかかる長い髪に凜々しい切れ長の瞳、整った顔立ちに蓮人は目を奪われる。

「女性を食い物にするなんて」

 白いセーターにベージュのロングスカートを履いたスレンダーな女性だ。高谷が友人なのだと蓮人に紹介した。

「落ち着いて、千弥さん」

 高谷が千弥を宥めている。刑部千弥はトランスジェンダー女性だ。女性の繊細な気持ちは分かりすぎるほどよく分かる。


「話を聞いてもらえただけでも楽になったよ、ありがとう」

 蓮人はソーダ水を飲み干した。これから店に出勤するという。

「何とかできるかもしれない」

 高谷の言葉に蓮人は困惑している。

「でも、相手は背後にヤクザまでいる。どんな報復があるか」

「証拠を掴んで警察に駆け込めばいいわ」

 千弥は息巻いている。気持ちだけでもありがたかった、と蓮人はもう一度礼を言って店を出て行った。


 ***


 午後10時、歌舞伎町の夜はこれからだ。はっぴを着た客引きがスーツ姿の酔っ払いを強引に呼び込んでいる。ホットパンツの女たちは裏路地の入り口に立って、スマートフォンをしきりに操作している。通りをたむろする外国人も多種多様な国籍だ。ギラギラした目つきで獲物を探しているように見えた。

 ここは魔窟だと田舎育ちの千弥は思う。蓮人の店は大きな商業ビルの脇を入った比較的目立つ場所にあった。雑居ビルの看板に“レディ・シンデレラ”とピンク色の文字で書かれている。


「千弥さん、本当にやるの」

 看板を見上げて唇を引き結び、緊張した面持ちの千弥に高谷が声をかける。

「ええ、まずは裏を取らないとね」

 千弥は拳を握りしめる。言い出したら聞かない、以外と頑固だ。

「高谷くんがいてくれるから安心だわ、でもお兄さんに怒られるかも」

「榊さんは別に、関係ないだろ」

 高谷は兄のことを引き合いに出されて頬を膨らませた。過保護にされていることを揶揄された気がしたのだ。


「結構板についてるわよ」

 千弥は高谷の姿を改めて上から下まで眺める。長い黒髪に、ぱっちりした目、ピンク色のリップ、首元を隠すスタンドネック、パフスリーブの薄いベージュのブラウスに黒いジャンパースカート、白い靴下、黒のエナメルパンプスを履いている。

「そうかな、ありがとう」

 高谷は照れ笑いする。必要に迫られての女装だが、何度かこなすうちにそれなりに慣れてしまった感がある。


 千弥はライトグレーのパンツスーツに白いブラウスで、仕事帰りのキャリアウーマンを印象付けている。

「行きましょう」

 雑居ビルの階段を上がり、“レディ・シンデレラ”とブロンズ製の看板の出ている扉を押し開く。高谷と千弥は友人同士、初めてのホストクラブに遊びに来たという設定だ。


「ようこそ、レディ・シンデレラへ。ご指名は」

 茶色の髪の毛を逆立てた優男が出迎えてくれた。千弥は思わず不快感に目を細める。

「あ、初めてなんです」

 高谷がもじもじしながら上目遣いで優男を見つめる。千弥はハッと我に返り、作り笑顔を浮かべた。

「どうぞこちらへ、レディ」

 優男がテーブルへ案内する。ダウンライトと間接照明で上品なムードを演出する店内は8割ほど席が埋っていた。なかなかの人気店だ。高級感のあるダークブラウンのソファ席に通される。


「カイトです、よろしくぅ」

「リョウタだよ」

 同じように髪を逆立てた男が二人、テーブルについた。この店では髪の高さを競い合うのだろうか、と千弥はつい目線が上に行ってしまう。

「君たち友達なの」

「そのネイルかわいいね」

 すらすらと出てくる心にもないおべっかに、千弥は愛想笑いを浮かべるのがやっとだった。高谷は場慣れしているのか、適当に調子を合わせている。


「ちょっとお手洗いに」

 高谷は席を立つ。客待ちをしていた蓮人を見つけ、手招きした。

「どうかしましたか、お客様・・・お前、結紀か」

 蓮人は高谷の姿に目を見開いて驚いている。高谷は人差し指を唇に当てた。

「あのテーブルにいるのは凛久の仲間か」

「カイトとリョウタか、そうだ。凛久が連れてきた。彼女、この間の・・・ああいう大人しそうな女性はカモだよ」

「わかった、オッケー」

 高谷はにっと白い歯を見せて笑う。そして物陰から千弥のテーブルの様子を伺う。


 千弥は二人のホストにすっかり辟易していた。話に実がない。こんな男の相手をして、逆にお金をもらいたいくらいだ。

「チヒロちゃんて、古風な名前だね。へえ、島根出身なんだぁ。俺行ったことないや」

 カイトが千弥に熱心に話しかけている。千弥は苦笑いで対応している。その隙をついて、千弥の飲んでいるシャンパンにリョウタが白い粉末を入れた。粉末はすぐに溶けてシャンパンの泡となる。


「あ~酔っちゃったみたい」

 トイレから戻った高谷がソファに倒れ込む。同時に千弥のシャンパングラスを手で弾いた。グラスはコトンとテーブルに倒れ、中の液体はすべて零れてしまった。

「いやだ、大丈夫?ユウキちゃん」

 高谷は千弥に目配せをする。千弥も瞬きで合図した。高谷は千弥のスーツが濡れないよう、シルクのハンカチでテーブルから滴り落ちるシャンパンを拭き取った。

「ゴメンなさい」

「いいよ、おしぼりで拭こう」

 ターゲットにドラッグを飲ませることができず、カイトとリョウタは唇を歪ませる。

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