第8話
「あいつ、バイクで逃げる気だ」
黒服の一人が獅子堂を指さす。
「間に合った、オッケーだよ」
伊織が獅子堂に向かって叫ぶ。
「俺は逃げない」
獅子堂はアクセルを全開で吹かし、黒服たちへ向かってハーレーで突進する。
「うおっ、俺たちを轢く気か」
「う、撃てっ」
獅子堂は身を屈めて銃弾をかわしながらもスピードを緩めず直進する。そのまま黒服たちの間を突き抜けた。獅子堂は急ブレーキを掛け、車体をターンさせる。黒服たちは獅子堂の動きに注目する。
「何がしたいんだ、あいつ」
「み、見ろ」
一人が背後を指さす。山のように積まれた廃タイヤがゆっくりと倒れてくる。
「う、うわああ、逃げろ」
「ひえええ、潰される」
廃タイヤは雪崩のように崩れ、津波のようににアスファルトの上を転がる。突然のことに身動きが取れなかった黒服たちは一気に押し寄せる無数のタイヤに呑まれてしまった。
獅子堂はハーレーの後部につけたロープを外し、投げ捨てた。ロープの先にはがっしりとタイヤが結びつけられている。
「やった、うまくいったね」
伊織がおそるおそる廃タイヤの影から顔を出す。伊織の発案で、一番下段の廃タイヤをロープで結びつけ、ハーレーで引っこ抜いたのだ。バランスを崩した廃タイヤの山は一気に崩れ落ち、黒服たちを飲み込んだ。黒服はタイヤの下敷きになって呻いている。
「いいアイデアだった」
「こんなに上手くいくとは思ってなかったよ」
榊に褒められたが、伊織はタイヤの下敷きになった黒服たちを心配する。
「こいつら、そう簡単にくたばるようなタマじゃない」
榊は伊織の背中をバシンと叩いた。
「意外と敵に回したくない奴だ」
曹瑛がニヤリと笑う。伊織も歯を見せて笑った。
「てめえら、許さねえ」
一人残った若頭の高田が唇を歪めてこちらを睨み付けている。その目には暗い怒りが宿っている。銃を取り出そうと、スーツの胸元に手を入れる。
「ほい、隙ありだ」
高田の背後から郭皓淳が大きな廃タイヤを頭からすっぽりと被せた。胴のところでタイヤに拘束され、高田は身動きができなくなった。
「くそ、貴様ら、ぶっ殺してやる」
高田はタイヤにハマった情けない格好で罵声を浴びせる。しかし、その場で地団駄を踏むことしかできない。
廃倉庫から高谷が出てきた。
「結紀、どうだ」
「うん、うまくいった」
榊と高谷は顔を見合わせてにんまりと笑う。
「今日の賭け金はすべて災害義援金に回しておいたよ」
高谷はシステムを乗っ取り、掛け金全額を寄付サイトに送金したのだ。榊の指示だった。
遠くパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。この闇試合の会場も、主催の島内組もこれで崩壊だ。銃を胸に持ったまま身動きできない高田はガックリと膝を落とした。
獅子堂は手負いの翔平をハーレーの後部座席に乗せて深夜の海岸線を走る。真っ暗な海に埠頭の明かりが揺らめいている。
「停めてくれ」
翔平に言われて、獅子堂はハーレーを路肩に停車した。翔平はハーレーから降り立ち、防波堤に飛び乗った。潮風が傷口に染みて、心地良い痛みに思わず口元を緩めた。これが親友の拳か、と頬をさする。
獅子堂も防波堤に立つ。聞こえるのは穏やかな波の音と、時折通り過ぎる車のエンジン音だけ。
「和真、お前に本気で殴られて目が覚めた」
翔平は目を閉じて波の音を聴く。懐かしい故郷の海を思い出しているのか、表情は穏やかだ。
「お前が闇試合のスターになることを夢見ているなら、それでもいいと思った。しかし、闇試合に出場する本当の理由は、空手道場を存続させ、子供たちに空手の精神を教えること。お前が悩んでいるのはすぐに分かった」
獅子堂はポケットからセブンスターを取り出し、手に馴染んだジッポで火を点ける。
「自分に嘘はつかない、か。お前はそうやって生きてきたのか」
「まあな、それで用心棒をやってりゃ世話はないがな」
獅子堂は自嘲気味に笑う。翔平も肩を揺らして笑った。
「お前の道場の周辺で島内の奴らが嫌がらせをしていたそうだ。奴らはお前を闇試合に駆り出すために姑息な手を使った」
それで生徒は減る一方だったのだ。翔平は悔しさに唇を噛む。
「一本くれ」
獅子堂は翔平にセブンスターを渡し、火を点けてやる。二本の煙が星を散りばめた空に立ち上る。
「だが、奴らはこの件で壊滅だ。すぐには難しいだろうが、生徒はこれから増えていくだろう。お前の熱意ならやれる」
獅子堂の言葉に、翔平は頷いた。紫紺の空に、流れる雲が光り始めた。彼方に見える海と空との真っ直ぐな境界線が美しい一筋の輝きを放つ。
「あの日見た夜明けの海を覚えている。真っ直ぐな一筋の光りを」
翔平の目には迷いは無かった。やがて太陽が昇り始め、暁の空が広がっていく。
「帰ろう」
翔平は防波堤から飛び降りた。獅子堂もハーレーに跨がり、エンジンを吹かした。
***
「この間は世話になった」
店にやってきた伊織に曹瑛、榊、高谷をエプロン姿の翔平が出迎える。
「すごく盛況だね」
伊織が周囲を見渡す。八席あるテーブルは家族連れや仕事仲間で満席、たくさんの料理が並んでいる。
「ああ、お陰様でな」
翔平はにっこり笑う。獅子堂が厨房から大皿に山盛りのラフテーを持って来た。沖縄郷土料理の豚肉の角煮だ。この一品は獅子堂の手作りらしい。榊の前には泡盛の瓶が置かれた。
ここは翔平の空手道場の一階で、空き店舗だった場所だ。翔平は料理が得意だと知る獅子堂のアイデアで、改装して沖縄郷土料理の店を始めたのだった。中華街からやや外れることもあり、珍しさもあってなかなか流行っているらしい。
「昼は沖縄料理、夜は道場をやる。最近は出張の仕事もあるんだ」
横須賀基地に駐屯している獅子堂の父、オスカーが部下の精神修養にと空手の訓練を翔平に依頼した。専属講師として基地に週一回通っている。通常の教室の生徒も増えているという。
「いらっしゃい、主人がお世話になったそうで」
ショートカットの小柄な女性が料理を運んできた。海ぶどう、ミミガー、島豆腐、ゴーヤチャンプル、ソーキそばと沖縄名物が並ぶ。
「朋子だ、うちの嫁さんだよ」
翔平が照れながら妻を紹介する。身重で、三ヶ月後には出産を控えているらしい。翔平がなり振り構わず必死になったことに合点がいった。
しかし、あのまま裏社会と関わり続けていたら、破滅しかなかっただろう。島内組はあの日、暴力行為と武器の不法所持、違法な集会で構成員は一網打尽となり、闇試合のことも明るみに出て世間を騒がせた。
「じゃあ、乾杯」
伊織の音頭でグラスが音を立てる。榊と獅子堂は泡盛ストレート、伊織と高谷はシークヮーサージュースで割ったものを、曹瑛は烏龍茶を手にしている。
「沖縄料理、美味しいね。海も綺麗だし、一度行ってみたいな」
伊織は海ぶどうをつつく。曹瑛はソーキそばを美味そうに啜っている。
「案内するぞ。ゴッパチをバイクで走るのは爽快だ」
獅子堂の母が民宿をやっているらしい。今度皆で行こう、と盛り上がる。
「皆さん良い友達ね」
「そうだな、ありがたいよ」
翔平は朋子と微笑みを交わした。もう自分に嘘はつかない。まっすぐな水平線を眺めて交わした青臭い約束をもう一度胸に刻んだ。
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