廃線ロマンを求めて
第1話
閉店後の烏鵲堂にやってきた伊織は、帆布の肩掛けバッグからチラシを取り出す。秋に上野公園で開催される多国籍フードイベントのチラシを置いてもらうためだ。伊織の勤める出版社も協賛しており、当日は取材に行くことになっている。
「棚の上に置くといい。無くなったら出しておく。多めに置いていけ」
伊織の持ってくる中国関連のイベント情報のチラシは、中国に興味のあるお客さんがよく手にして持って帰る姿を見かける。烏鵲堂に設置してもらえると、欲しい人の手に渡る。
「いつも助かるよ、ありがとう」
伊織は曹瑛にチラシの束を手渡した。
伊織は椅子に座り、地元の情報誌を広げる。ページをめくっていくと、気になる記事が目に留まった。
「廃線跡をサイクリングだって」
片付けを終えた曹瑛も記事を覗き込む。
「筑波線は茨城県土浦市の土浦駅と岩瀬駅を結ぶ鉄道路線で、1987年4月に廃止。現在はサイクリングロードとして残っている、か」
点在する古い駅舎が残るホーム跡が休憩所になっており、趣きがある。古い駅舎跡を目指しながら自転車でのんびり走るのも楽しそうだ。
書店の店じまいを終えた高谷がカフェスペースへの階段を上ってきた。一階で書籍を探していた榊も一緒だ。
「秋の夜長に小説でも読もうと思ってな」
榊は近年話題になっている中国のSF小説の上下巻を購入したようだ。榊は伊織の横に座り、情報誌に目を向けた。
「廃線跡のサイクリングロードか、この時期は気持ちがいいだろうな」
榊も興味を示した。
「結紀、お前も運動不足だろ。一緒に行くか」
榊の誘いに、運動の苦手な高谷の返事は歯切れが悪い。
「レンタサイクルで電動自転車も借りられるみたいだよ」
「そうか、なら行こうかな」
伊織がレンタサイクルのページを広げてみせる。高谷はそれでようやく参加する気になったようだ。
「瑛さんも行こうよ」
「仕方ない、付き合ってやるか」
伊織の誘いに腕組をしていた曹瑛は、返事をして立ちあがる。長袍を着替えるために三階の居住スペースへ階段を上がっていった。
「あいつ、誘われるのを待っていたみたいだな」
榊がくくっと笑っている。
「榊さん、瑛さんがへそを曲げるからそういうこと言わないでよ」
伊織がしーっと唇に人差し指を当てる。スマホで天気予報を調べると、週末の天気は良さそうだ。榊の車で茨城県へ向かうことにした。
***
朝7時、神保町の烏鵲堂に集合し、榊のBMWで首都高環状線から常磐自動車道へ。朝が弱い高谷は助手席でうたた寝をしている。途中のサービスエリアでモーニングを食べて小一時間走る。
土浦北インターを降りて、霞ヶ浦のほとりにあるサイクリング拠点に到着した。天気が良いこともあり、朝から賑わっている。本格的なサイクリングウェアの人も見かける。ロッカーやシャワールームも整備されていた。
「コースがあるよ。全長は180キロだって」
伊織が地図を指さす。走行距離を聞いて高谷が全力で首を振る。
「旧筑波鉄道を巡るコースなら40キロだ。初心者向けともある」
霞ヶ浦一周も魅力的だが、今回は廃線を辿るコースにした。初心者向けと聞いて高谷も安心している。コースが決まったので、レンタサイクルのコーナーへ向かう。
「今日は人出が多くて、結構出払っちゃって」
ショップ店員が残りの自転車を見せてくれた。走りやすいロードバイクやクロスバイクは軒並み出払っている。2人乗りのタンデム自転車か、車輪が小さいミニベロしか残っていなかった。
「こんな小さな車輪で長距離は大変だよ、こっちかな」
消去法で、伊織は高谷とタンデム自転車を借りることにした。
「お前はどうする」
「当然こっちだ」
榊の問いに、曹瑛はミニベロを選んだ。自動的に榊もミニベロに決定する。180センチを越える男がこんなかわいい自転車に乗る絵面を想像し、伊織は思わず吹き出した。唇をへの字に曲げた曹瑛が伊織の額に渾身のデコピンを決めた。
土浦駅を出発して、霞ヶ浦を眺めながら筑波山方面へ。伊織が前、高谷が後で運転するタンデム自転車は最初は慣れずにふらついていたものの、走り続けるうちにだんだん安定してきた。普通の自転車よりもこぎ出しの負担は大きいが、息が合えば楽に走ることができる。
「うん、これならいけそう」
「それなら良かった」
一番若いわりに体力の無いインドア派の高谷には、伊織が頑張って漕げば前に進めるタンデム自転車がぴったりのようだ。
車道とは分離された自転車道が整備され、走りやすくなっている。桜並木が続く田舎道を走れば、涼やかな風が心地良く汗も引いていく。
「さすがに漕ぎにくいな」
伊織と高谷のタンデム自転車と並んでミニベロを漕ぐ榊がぼやく。座席の高さは通常のママチャリより高く設定できるものの、車輪が小さいため一漕ぎで前に進む距離も短い。長い脚が邪魔になっている姿はどこか滑稽に見えた。ロードバイクに乗る若い女性たちにやすやすと追い抜かれていく。
「適当なところで引き返そうか」
ミニベロで40キロコースは堪えるだろう、見るからに気の毒だ。心配した伊織が声をかける。曹瑛も上背が高く、自転車を漕ぐ足は窮屈そうだ。
「そうだな・・・」
「お前はやはりその程度か」
黙々とミニベロを漕いでいた曹瑛が言葉を被せてきた。じわじわとスピードを上げて榊を追い抜いていく。
「なんだと」
榊の鋭い眼光が曹瑛を捕らえる。
「お前は俺に勝てない。己の力不足を道具のせいにするようではな」
曹瑛が後を振り向き、口角を上げて笑う。その笑みには明らかな挑発の色が浮かんでいる。榊はこめかみを痙攣させて曹瑛を睨み付ける。
「貴様、あくまでも張り合う気か」
榊もスピードを上げ、曹瑛に並ぶ。曹瑛はペダルを漕ぐ足に力を込める。伊織と高谷のタンデム自転車をどんどん引き離していく。
「ああ、また始まった」
伊織は小さなため息をつく。高谷も背後で呆れているようだ。榊と曹瑛の背中がどんどん遠ざかる。二人は張り合いながらスピードを上げていく。長い脚で車輪の小さなミニベロを高速で漕ぐのは、かなりの体力を消耗するだろう。
「そのうちどこかで休憩してると思う。俺たちはのんびり行こう」
「そうしよう」
伊織と高谷は頷きあった。
榊と曹瑛はクロスバイクの若い女性グループを追い抜いていく。
「えっ、何あれ」
「あんな小さな自転車で、信じられない」
驚愕の声を尻目に、長身の2人はミニベロでサイクリングロードを爆走する。
「ミニベロであんなスピードで走る奴、初めて見た・・・」
「スピードに乗ったロードバイクを追い抜いたぞ」
自前のロードバイクに乗り、結構なスピードで走る男性を追い抜いたときには仰天された。もはや互いに負けたく無いという執念だ。
「ここ、古い駅舎だよ」
「ちょっと休憩しよう」
伊織と高谷はタンデム自転車を停めた。駅のホームと看板が残っている。看板はサイクリングロード用に新しく付け替えられており、次の拠点までの距離が分かるようになっている。
木陰に座り、ペットボトルのお茶を飲む。
「まさかこんなときにも張り合うなんて、ホントにバカなんだから」
高谷は汗を拭いながら唇を突き出す。その姿は榊に追いてけぼりを食らい、ふて腐れているようでもあった。
「組み合わせが違ったら俺たちも巻き込まれていたよね」
曹瑛と伊織、榊と高谷の組み合わせでタンデム自転車に乗っていたら、きっとその状況で意地の張り合いが始まっていた。
「あ、それはマジでヤバい」
「だよね・・・」
伊織は乾いた笑いを浮かべた。
榊と曹瑛は汗だくだった。普通の自転車ならここまで負荷はかからないだろうが、ミニベロの車輪の小ささでは同じ距離を進むためにママチャリの3倍漕ぐ必要がある。
「お前もそろそろ限界じゃないのか」
榊が目を細める。
「俺はまだ走れる。お前こそ休めば良い。仕方ないから付き合ってやる」
「休みたいのはお前だろう」
「俺はまだ余裕だ」
そうは言うものの、曹瑛もかなり息が上がっている。二人は睨み合いながらひたすらペダルをこぎ続ける。
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