第6話

 会場は息が詰まりそうなほどの熱気に包まれている。この闇試合で連勝を誇っていた花形選手である新城が呆気なく倒された、しかも謎のニューフェイスによって。予想外のハプニングに会場は沸きに沸いていた。ネット中継も盛り上がりを見せている。賭け試合の利益も膨れ上がっていることだろう。これから獅子堂と翔平の試合が始まる。誰もが予測不能のカードだった。


 獅子堂と翔平はリングの中央で睨み合う。データによれば、翔平は185センチ、獅子堂よりやや低いが鍛えられた身体つきは全くひけをとらない。

「お前とはつるんでよく悪さをしたな」

 翔平が口角を上げて笑う。

「ああ、懐かしい」

「時々喧嘩もしたが、本気でやり合うのはこれが初めてだな」

「そうだな」

 獅子堂は目を閉じて静かに頷く。そして翔平を真っ直ぐに見据えた。


「お前は闇試合でのし上がると言っていたな。それが本心かどうか見極めてやる」

 獅子堂の言葉に翔平はこめかみを震わせる。

「ずいぶんな物言いだな。お前に何が分かる」

 翔平は怒りに唇を歪め、構えを取る。獅子堂は冷静にその様子をじっと見つめている。ゴングが鳴った。観客席から興奮漲る雄々しい歓声が上がる。しかし、獅子堂は全く構えを取らない。


「獅子堂さん、戦う気が無いのかな」

 伊織が獅子堂の姿を見つめて呟く。

「お前は分かっていない。あいつは構えこそしていないが、凄まじい殺気を纏っている。本気だ」

 曹瑛の言葉に榊も頷く。高谷がタブレットを見ながら息を呑む。

「すごい金額が動いている。掛け金が予定されていた新城との試合の五倍に跳ね上がってる」

 それだけこの対戦は注目されている。翔平が勝てば、一気にスター選手に駆け上ることができ、獅子堂が勝てば熱烈なオファーを受けることになるだろう。


 獅子堂と翔平は睨み合いながら間合いを詰めていく。どちらもまだ撃って出ない。観客も息を呑んで見守っているのか、会場全体に張り詰めた空気が漲っている。

「おい、何チンタラやってんだよ」

 しびれを切らした観客が起ちあがった。顔を真っ赤にした50代のスーツ姿のオヤジだ。手にした空のビール瓶をリングに向かって投げつけた。

 獅子堂は飛来する瓶を拳で粉砕する。その隙を突き、翔平が獅子堂の脇腹を狙い、拳を放つ。獅子堂は翔平の腕を払い落とし、カウンターで肘鉄を繰り出す。翔平は上体を反らしてそれを避け、バックステップで間合いを取った。


 会場から怒声が上がる。試合を妨害したオヤジのところへインカムをつけた黒服が駆け付け、二人がかりでオヤジの両脇を抱えて客席から運び出してしまった。

「“空手に先手なし“・・・空手の精神はどうした」

「ここでそんな生っちょろいことが通用するか」

 翔平は吐き捨てるように叫ぶ。獅子堂に間合いを詰め、拳を繰り出す。鋭い中段突き、回し撃ちは弾かれたが、横蹴りでひるんだところに上段突きがヒットした。獅子堂は顎にダメージを受け、よろめく。翔平はすかさず追い打ちで獅子堂の腹に蹴り上げを食らわせた。獅子堂は吹っ飛び、コンクリートの床に転がった。


「うおおおおっ」

 翔平の攻撃がヒットしたことで、会場から雄叫びが上がる。

「比嘉の攻撃は正統派だ。それだけに怖い」

 榊が真剣な表情でリングを見つめている。

「体幹を捻ったことで腹のダメージは浅いが、顎に食らったのは効いているだろうな」

 曹瑛も冷静に二人の動きを追う。伊織は拳を握りしめて、この試合が無事に終わるのを祈っている。


 獅子堂は立ち上がり、床に血の混じった唾を吐いた。拳で荒々しく血に濡れた口元を拭い、ニヤリと笑う。

「さすがだな、道場で子供に教えるだけはある」

「ふざけるな」

 獅子堂の挑発に、翔平は重心を落として裏手撃ちを放つ。獅子堂はそれを肘でガードし、膝を蹴り上げる。翔平は獅子堂の膝をガードし、中段突きで脇腹を狙う。獅子堂は半歩下がって横蹴りで翔平の膝関節を外側から叩く。

「うぐっ」

 翔平は呻いて片膝をつきかけた。獅子堂は掌底で顎を撃つ。翔平は背後に吹っ飛んだが、受け身を取り立ち上がる。


 獅子堂は大股で翔平に歩み寄り、連続で拳を繰り出す。翔平は怯んだが、体勢を持ち直し、獅子堂の激しい攻撃をガードする。

「すごい戦いだ」

「あいつら、めちゃくちゃ熱いぜ」

 観客たちは手に汗握り、口々に叫ぶ。獅子堂の上段蹴りと翔平の上段蹴りが上空でクロスした。会場からは派手な大技に大歓声が上がる。


「覚えているか」

 獅子堂が額から流れる汗を拭いながら翔平に語りかける。

「島での最後の夏、バイクでゴッパチ(国道58号)を走った日のことだ」

 翔平は記憶を呼び覚まそうと、眉根を寄せる。獅子堂は続ける。

「あの日、夜明けの海を見ながら約束した」

 翔平は一瞬押し黙る。

「互いにどんな道に進もうとも、自分に嘘はつかないと」

「フン、それがどうした。くだらねえガキの約束だ」

 翔平はフンと鼻で笑い、唇から流れる血を拭う。獅子堂の自分を見つめる真っ直ぐな青色の瞳から目を逸らした。


「お前の道場の子供たちを見た。生き生きとした良い目をしていた。お前はこんなことをしたいわけではないだろう」

「世の中はそう甘くねえんだよ。空手道場をやっていくには金も必要だ」

 翔平は獅子堂の言葉を振り払うように頭を振った。玉のような汗が飛び散る。そして獅子堂の目を見据えた。その目には揺るぎない闘志が宿っている。獅子堂も構えを取る。


 二人が間合いを詰めた。息もつかせぬ激しい殴り合いが始まった。どちらも防御など後回しで、相手を渾身の力で叩く。あまりの鬼気迫る戦いに、会場は静まりかえっている。

「獅子堂さん・・・」

 伊織は呆然とその様子を見つめている。

「まるで魂同士の殴り合いを見ているようだ」

 榊の呟きに、試合を止めないと、と言いかけた伊織は言葉を呑んだ。これは男同士の友情をかけた戦いなのだ。

 獅子堂の拳が翔平の鳩尾にめり込んだ。翔平はぐうっ、と呻いて床に倒れ込む。会場からも低い呻きが漏れる。もうやめたらどうだ、という呟きも聞こえてくる。


「良い勝負だが、この辺で幕引きだな」

 VIP席で観戦していた島内組の若頭、高田の言葉に、黒服が動き出した。リングに近い立ち見席で観戦していた黒服が長身の柄シャツ男に指示をする。

「郭皓淳、あのニューフェイスをやれ」

 郭皓淳は背中から細い針を取り出した。試合中の獅子堂を針で撃ち、神経を貫いて動きを麻痺させる作戦だ。翔平を勝たせることで、島内組の意図する通りに賭けを操作できる。


 正面の席に座っていた伊織が派手な柄シャツに目を留めた。郭皓淳だ。黒服と何やら密談している。

「あれ、郭皓淳さん」

 伊織が小さく正面を指さす。曹瑛は郭皓淳の姿を認めて舌打ちをした。

「あいつが呼ばれるということは、試合を操作する気だな」

 この試合は獅子堂と翔平の男の勝負だ。郭皓淳にもそれは分かっているだろう。伊織は郭皓淳に指でバツマークを送った。


「何をしている」

 曹瑛が首を傾げる。

「郭皓淳さんにやめるように合図を送ってるんだ」

 指で一生懸命バツマークを作る伊織の真剣な表情に、榊は思わず吹き出した。

「心配するな、伊織。あいつも道理は弁えているだろう」

 曹瑛も小さく頷いた。


「言われんでもわかってるわ、伊織」

 対岸の郭皓淳は大きく肩を竦めた。

「何をしている、早くしろ」

 隣で焦っている黒服の首筋に針を撃った。黒服は脱力して床に倒れ込む。

「ああ、全く仕事運が無いぜ」

 郭皓淳はため息をつく。伊織を見れば、ホッとした表情で小さく拍手をしていた。


 翔平がゆらりと起ちあがる。獅子堂も何度も打撃を食らった膝にダメージが蓄積していおり、足元が覚束ない。それでも二人はじりじりと間合いを詰めていく。

「しぶといな」

「お前もな」

 互いに腫れ上がった顔を見合わせてニヤリと笑う。その壮絶な様子を観客たちは呼吸を止めて静かに見守っている。翔平は構えを取る。獅子堂も同じ型で構えた。


 二人が同時に踏み込む。獅子堂は体重を乗せた渾身の拳を繰り出す。翔平も獅子堂のテンプル目がけて正拳を放った。腕が交錯し、瞬間二人の身体は吹っ飛ぶ。互いの拳がヒットしたのだ。

 コンクリの地面に投げ出され、双方起き上がってこない。

「まさか、引き分けか」

「死んでないだろうな」

 客席がざわつき始めた。伊織に曹瑛、榊と高谷も息を呑む。


 獅子堂の足がピクリと動いた。そしてのろのろと上体を起こして起ちあがった。会場がどよめく。遅れて翔平も起ちあがろうとするが、膝立ちのまま動けない。獅子堂は翔平のそばに歩み寄る。

 獅子堂は右足に重心を傾け、左足で地面を強く蹴った。大きく回転させ、翔平のテンプルに蹴りを放った。防ぐ間もなく獅子堂の蹴りがクリーンヒットし、翔平はその場に倒れ、気を失った。


 一瞬の沈黙のち、会場が大歓声に包まれた。翔平の名前を書いたチケットが宙に舞う。

「クソ、どうなっている」

 VIP席の高田が起ちあがる。翔平が負けたとなれば、元締めとはいえ組は大損だ。それに、試合をハンドリングできなかった面子が立たない。

「生きて返すな」

 こめかみに血管を浮かび上がらせて低い声で呟いた。会場に散る黒服たちが動き出す。

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