第4話

 バリケードで囲まれたリングの中で二人の選手が睨み合う。リングといっても、床は打ちっぱなしのコンクリートだ。バリケードは等間隔に設置した鉄柵に有刺鉄線が張り巡らされている。

「ありえない。これ、棘がついてるよ」

 伊織がバリケードを指さしながら青ざめている。投げ飛ばされてぶつかれば、まさに流血デスマッチとなるだろう。

「ビール飲みたいぜ」

 リング付近は高輝度のスポットライトが照りつけ、ただでさえ興奮に湧く場内でも特に気温が高い。榊はうっとうしげに紺色のタイを緩める。


 前座の選手は二人とも中肉中背で、一人はソフトモヒカン、もう一人は金髪に染めた髪を肩まで伸ばしている。二人は同時に踏み込み、取っ組み合いを始めた。殴る、蹴る、髪を引っ張る、なり振り構わず暴れている。

「いいぞ、やれ」

「ぶっ飛ばせ」

 野太い声でヤジが飛ぶ。それに奮起したのか、やや距離を取って肩で息をしていた二人がぶつかり合う。どちらも決め手の技もなく、ただ殴り合いで体力を削り合っている。


「こいつらはド素人だな」

 腕組をした榊がつまらなそうにぼやく。

「お前が乱入して気合いをいれてやるか」

「バカ言え」

 曹瑛の笑えないジョークに榊はため息をついた。ソフトモヒカンも金髪もずいぶん疲弊している。防具なしの素手の殴り合いだ。ソフトモヒカンは口から血を流し、金髪の右目は腫れ上がっている。二人ともそろそろ決着をつけたいに違いない。


 ソフトモヒカンの拳が金髪の頬にヒットした。金髪は叫び声を上げて大きくよろめく。

「て、てめえ」

 金髪が怒りに目を見開いている。ソフトモヒカンは唇の血を拭いながら笑みを浮かべる。

「卑怯だぜ」

「卑怯もヘチマもあるか。これは地下試合なんだ。勝てばいい」

 ソフトモヒカンの指にはゴツい金属製のナックルが握られている。殺傷能力は素手の比ではない。金髪は先の一撃で目眩を起こし、足元が覚束ない。


 余裕の笑みを浮かべたまま、ソフトモヒカンがナックルをつけた拳で殴りかかる。

「俺あいつに賭けたのによ、クソッ」

 金髪に賭けたらしい男が舌打ちをしている。会場の誰もが勝負あった、と思った。ソフトモヒカンの拳を避けて間合いに入った金髪が勢いよく振りをつけて頭突きを食らわせた。不意を突かれたソフトモヒカンは白目を剥いてよろめく。そこに追い打ちをかけ、金髪が猛烈なタックルでソフトモヒカンに突進した。そのままバリケードに突っ込む。

「うぎゃああああ」

 ソフトモヒカンの背中に無数の棘が突き刺さる。叫び声を上げたソフトモヒカンはコンクリの床にのたうち回り、そのまま起き上がれなくなった。


 土壇場の逆転劇に会場が沸いた。レフェリーが金髪の拳を高く上げると、歓声が起きた。怪我を負ったソフトモヒカンは担架で運ばれていく。金髪も顔が変形するほどボコボコに殴られていた。よろけながら花道を退出していく。

「なんて壮絶な試合なんだ・・・」

 伊織は唖然としている。テレビで見るプロレスやボクシングのような華やかさはなく、泥臭さと血なまぐささがひどくリアルだ。コンクリートの床には血の染みが散っている。

「テレビでは見られないショーだよね。だからネット中継で異常な人気がある」

 高谷は案外冷静だった。かつての恋人、秋生がこのような闇試合に参加していたことを思い出す。


 白いレザーのミニスカートのラウンドガールが次の試合を告げる。次のカードは名の知れた選手らしく、双方の名前が会場から叫ばれた。先ほどの前座よりも見ていて安定感のある、格闘家らしい試合だった。しかし、素手のバーリトゥードは流血は避けられない。相手を痛めつければ試合中継のネット上では“いいね”が急上昇する。


「ケンカを見世物にしているうちはかわいいものだが、そのうち観衆はより過激なものを求めるようになる」

 曹瑛はもっと壮絶な試合を見たことがあるのかもしれない。その声音には感情が感じられないが、唇は一文字に引き結ばれていた。

 翔平はこの試合に参加するはずだ。獅子堂は現われるだろうか。伊織は周囲を見渡すが、それらしき影はない。リングでは第三試合の幕が閉じようとしていた。


「次の試合は比嘉が出場する。現在王者との対決だ」

 高谷がタブレットで対戦カードを確認する。比嘉翔平と対戦するのは新城敦史。34歳の元プロボクサーでライトヘビー級のベルトを持っている。翔平のオッズは1.5だ。

「比嘉は八試合七KOというなかなかの戦歴だけど、新城は二十五試合二十一KOで信頼性が高いね。比嘉の方が分が悪いってこと」

 高谷の説明に伊織は頷く。以前の職場のおっさんたちと大井競馬場に行ったことがあるが、勝ち目の少ない馬ほどオッズがいい。その説明を思い出した。


 会場から声援が上がる。対角線上にある花道から翔平と新城が登場した。まるでスター選手の扱いだ。新城の方がベテランで人気が高いらしく、会場は新城コールに沸いている。スポットライトが煌々とリングを照らす。

 翔平は上下ともに真っ黒に染め上げた空手着を着ていた。背筋を伸ばしてリング中央に堂々と立つ姿は、格闘家の魂を捨てていないように伊織には思えた。

 新城はボクサースタイルで手にはバンテージを巻いているが、グローブは無い。プロを引退して身を持ち崩したが、闇試合に誘われ頭角を現わした。金のためにプロのプライドはかなぐり捨てた男だ。闇試合の経験も長いためか、その目には異様な殺気が宿る。


「新城敦史か、昔テレビで試合を見たことがある。真摯な目をしたいいボクサーだった。それがここまで堕ちるとはな」

 榊が目を細める。プロ時代には剛毅な試合を見せる選手だった。闇試合に出入りするようになっても衰えてはないようだ。


「貴様か、最近のし上がってきているのは」

 新城は首を突き出して翔平を威嚇する。翔平はそれに全く動じない。新城は小馬鹿にしたようにフンと鼻を鳴らす。


「うわっ、ちょっとあんた、待て」

 入り口でチケットを捌き終えて油を売っていた受付の若者が叫び声を上げる。歓声に湧く会場に、大型バイクが低音のエグゾーストを響かせて乗り込んできた。黒のハーレーに乗っているのは白シャツにレザーパンツを履いた大柄な男だ。アッシュゴールドに染めた髪がスポットライトを反射し艶やかに光る。


 観衆は突然のことに押し黙る。バイクから降り立った男は、リングに向かって真っ直ぐに歩いてくる。

「なんだあいつは」

「一体何者だ」

 周囲の観客は騒然となる。男が周囲の黒服の制止を振り切って、リングに足を踏み入れる。翔平はその顔を見て目を見開いた。

「道に迷って遅刻した」

 そう言って男はサングラスを取る。


「し、獅子堂さん」

 伊織が目を丸めて驚いている。ここにやってくるのではないかと思ってはいたが、まさかこんな派手な登場をするとは。

「あいつ、やっと来たか」

 榊はニヤリと笑う。曹瑛も口の端に笑みを浮かべている。何が起きるか楽しくて仕方がないという様子だ。


「和真、どうしてここが分かった」

 翔平は突然現われた幼馴染みに渋い顔を向ける。

「俺も裏社会で飯を食っている」

 獅子堂は深いブルーの瞳で翔平を見つめる。翔平は口ごもる。獅子堂にはすべてお見通しなのだ。闇試合の参加は一度きりではないことも。


「これはお前が本当にやりたいことなのか、それならば俺は止めはしない」

 獅子堂の言葉に翔平はこめかみを震わせながら拳を握りしめる。

「…そうだ。俺はここでのし上がる」

 翔平は意を決したように顔を上げ、獅子堂を睨み付けた。


「おい、お前は何なんだ。突然乱入して試合の邪魔してんじゃねえぞ」

 二人のやりとりに苛立っていた新城が間に割って入る。会場も総立ちで大ブーイングが始まった。

「お前が翔平の相手か」

「そうだ。邪魔するならお前からぶっ殺すぜ」

 新城が獅子堂を挑発し、ファイティングポーズを取る。獅子堂は翔平を振り返り、鼻っ面に人差し指を突きつける。

「お前の相手は俺だ」

「和真、どういうつもりだ」

 翔平の問いに答えず、獅子堂は新城に向かって構えを取る。


「てめえ、俺とやろうってのか、容赦しねえぜ」

 新城は完全に頭にきたようだ。黒服が慌てていたが、観客たちはこの演出が気に入ったようで、新城コールが巻き起こる。そのまま獅子堂と戦わせるよう指示が出たらしく、黒服たちは持ち場に戻った。


「面白くなってきた」

 榊はやっぱりビールを買っておけば良かった、とぼやきながらリングに注目する。

「獅子堂さん、相手は元プロボクサーだ、大丈夫かな」

「お前は奴を信じていないのか」

 冷静な曹瑛の言葉に伊織は唇を噛む。確かに獅子堂がただ無惨に負けるとは思えない。伊織は鼻息も荒く獅子堂に向かってガッツポーズをした。獅子堂はそれに気が付いたらしく、小さく頷いた。

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