第5話

 土曜日の朝6時、曹瑛と郭皓淳は烏鵲堂からほど近い千代田通りで落ち合った。早朝とあって、車通りは少ない。烏鵲堂には臨時休業の看板を出してきた。郭皓淳が孫景から借りた白い軽四を路肩に寄せて駐車していた。曹瑛は無言で車に乗り込む。

「おはようさん」

 郭皓淳が溌剌とした笑顔を向ける。朝が苦手な曹瑛はひとつ大きなあくびをした。黒のハーフコートに、黒いスーツ、臙脂色のタイを締めている。

「やる気満々だな」

 郭皓淳は明るいベージュのカーディガンに白のVネックシャツ、グレーのチノパンというラフないで立ちだ。曹瑛は腕組をして郭皓淳を一瞥する。


 郭皓淳は大井埠頭へ向けて軽四を発進させる。早速窓を全開しにてタバコを吸い始めた。曹瑛も真鍮製のジッポでマルボロに火を点ける。

「今日の作戦は至ってシンプルだ。大井埠頭の倉庫にあるインチキ健康食品“康帝”の在庫を押える。今日サンシャインホールで開かれるセミナー用に積み上げているものだ」

 曹瑛はタバコの煙を窓の外に吐き出す。何も言わないが、了解したという意思表示だろう。


「ま、俺一人でも全然いけるんだがな、お前と組めて嬉しいよ」

 郭皓淳は以前から、曹瑛と組んで裏の仕事を受けたいと考えており一度は強引な勧誘をしたことがある。その後も何度か行動を共にして、表の世界で生きることを決断した曹瑛が裏の世界に戻る気が無いことを感じ取っていた。

「お前と組んだつもりはない」

 曹瑛は感情の無い声で呟く。

「俺はな、八虎連時代のお前を見て、その冷徹で正確な仕事振りに惚れ込んだ。そのとき、いつか一緒に仕事をしてみたいと思ったんだよ」


「俺は足を洗った、そもそも俺は誰とも組まない」

 曹瑛は苛立ちながらタバコを灰皿で揉み消す。灰皿にはシケモクが山盛りになっており、火がつきそうだ。

「だが、腕は衰えていない。そうだろう」

 郭皓淳は曹瑛のピリピリした態度を気にすることなく続ける。

「以前の冷酷な仕事人のお前ではなく、今のお前に興味を惹かれている。ずいぶん人間になったじゃないか」

 郭皓淳は自分の言葉にがよほどおかしかったのか、くっくっと笑う。

「訳が分からない」

 曹瑛は不機嫌を隠しもせず、唇をへの字に曲げてもう一本マルボロを取り出した。


 ***


 曹瑛と郭皓淳とは別行動で、伊織と榊、高谷も動き出していた。榊は西口のバスターミナル付近で伊織を拾う手筈になっている。

「朝早いのに結構人が多いね」

 高谷が眠い目をこすりながら伊織の姿を探す。朝のバスターミナルは地方からの長距離バスが慌ただしく出入りしている。バスから降り立った客がトランクからカートを受け取り、一斉に新宿駅を目指す。


「伊織さん、どこかな・・・」

 歩道を眺めていた高谷が目を見開き、動きを止めた。朝日に輝く赤が視神経を貫く。こみ上げる笑いをなんとか堪えながら、榊に路肩に車を寄せるように伝えた。

「どうした、結紀何がおかしい・・・ブッ」

 笑い転げる高谷を怪訝な顔で見つめていた榊は、歩道で待つ伊織の姿を見てのけぞった。伊織が榊のBMWに気がつき、近づいてくる。


「おはよう、榊さん、高谷くん」

 後部座席に伊織が乗り込む。一度は笑いが収まっていた榊と高谷が、堪えきれずに爆笑する。

「なんだよ、もう見飽きたでしょ」

 顔を合わせたとたんに笑い転げる兄弟に、伊織はふくれっ面を向ける。榊と高谷は目から涙を流しながら呼吸困難に陥っている。

「いや、まだ免疫が・・・おい、こっち向くな伊織」

 バックミラー越しに呆然と目を見開く伊織と目が合い、榊はハンドルに突っ伏す。伊織は今日のセミナー会場潜入作戦のため、郭皓淳から借り受けたド派手な赤色のラメシャツとシルバーのハイウエストツヤツヤボトムを身につけていた。


「いくらなんでも、その格好で待ち合わせ場所に来るなよ、思わず他人の振りをしたくなったぜ」

「早朝だから、人もそういないだろうし、まだ日も高くないと思ってたんだよ」

 朝日に輝く伊織の赤ラメシャツの衝撃を思い出し、榊は腹筋を押えて笑いを堪えている。高谷はシャドウストライプのスーツに身を包んだ普段は至ってクールな兄が、涙目で思い出し笑いをする様子を切ない目で見つめていた。

「榊さん、運転気をつけてね」

「お前がいうな」

 見かねた伊織が心配をして声をかける。榊のツッコミに高谷も密かに頷いていた。


 “康帝”の販促セミナー会場であるサンシャインホールの地下搬入口へBMWを乗り入れる。おそらく、裏で手を引く陣内組の構成員も来ているのだろう、黒塗りのベンツやレクサス、ジープが並ぶ。クレームなどのトラブルが発生したときには、登場する手筈だ。

 榊はBMWを駐車スペースに停める。駐車場には人気がない。9時開場、セミナーは10時から開始という予定になっている。3人は車から降り立った。エレベーターで8階の催し物ホールへ向かう。


「何だ、お前ら。ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ」

 タバコを咥えた柄の悪い黒スーツの男が声をかける。首にはご丁寧に今日のセミナーの運営主体でもあり、フロント企業“東通商会”のスタッフ証を下げている。榊はそれに目を留め、ニヤリと笑う。

「効果抜群の健康食品のセミナー会場に行きたいんだが、道に迷ってな」

「はあ、何言ってんだテメェ、ふざけてんのか」

 大股で近づいてきた眉無し男が、榊をわざとらしい上目遣いで睨み付ける。しかし、眉無しは榊の縁なし眼鏡の奥に光る鋭い眼差しに気づき、思わず後退る。


「カタギじゃねえなお前」

 眉無しは怯えながらも虚勢を張っている。榊の纏う剣呑な雰囲気はまるで同業者だ。いや、同業者でもこれだけの迫力ある気を纏えるものはそういない。

「エレベーターが来たよ」

 壁に隠れる形でちょうど死角に立っていた伊織が姿を現わした。赤いラメシャツを見て、眉無しが思わずプッと吹き出した。眉なしを威嚇していた榊も耐えきれず吹き出す。

「何だお前、その格好傑作だな。マジックでも見せてくれるのかよ」

 呆気にとられた眉無しに、高谷が電圧を落としたペン型スタンガンを見舞った。眉無しは瞬時に体の力が抜け、その場に倒れ込んだ。


 榊はスタッフ証を眉無しの首から取り上げ、自分の首に提げた。

「よくやったな、結紀。伊織も・・・ブッ」

「榊さん、俺を見るたび笑うの、いい加減やめてよ」

 伊織が榊に苦言を呈す。すまん、と言いながら榊はずっと肩を震わせていた。エレベーターに乗り込み、8階へ向かう。


 セミナー会場はコンサートもできる大きなホールになっている。その外周で健康食品の物販コーナーが設営されていた。エレベーターを降りた伊織は榊たちと別れ、セミナー会場入り口の待機列に並んだ。黒服のスタッフが周囲をうろついている。

 伊織はこの間、郭皓淳と騒ぎを起こした奴とバレないかヒヤヒヤしていた。

 参加受付の順番がやってきた。


「案内はお持ちですか」

「えっ」

 ふくよかというには生ぬるい容姿の女性スタッフが伊織を見上げる。その奇抜な赤ラメのシャツを見てあからさまに怪訝な顔になる。

「案内はがきが招待券になります。お持ちで無い方は入場できませんよ」

 面倒くさそうに女性スタッフはため息をつく。周囲の人たちは受付ではがきを手渡している。伊織は焦った。なんとかして会場に入り込まねば。


「どうしても参加したいんです。“康帝”を飲んでからめちゃくちゃ体の調子が良くて、寝起きも最高なんですよ」

 伊織は興奮気味に熱弁する。

「そう言われましても」

「頭痛や肩凝りも解消して、友達にもぜひ勧めたいんです」

 女性スタッフが扉近くにいた黒服に目配せする。黒服はイヤホンで何か喋りながらこちらに近づいてきた。しまった、騒ぎを大きくしすぎた。伊織は焦る。

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